河童 8 芥川龍之介

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芥川龍之介

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(はち ぼくはがらすがいしゃのしゃちょうのげえるにふしぎにもこういをもっていました。)

八 僕は硝子会社の社長のゲエルに不思議にも好意を持っていました。

(げえるはしほんかちゅうのしほんかです。おそらくはこのくにのかっぱのなかでも、げえるほど)

ゲエルは資本家中の資本家です。おそらくはこの国の河童の中でも、ゲエルほど

(おおきいはらをしたかっぱはいっぴきもいなかったのにちがいありません。しかしれいしににた)

大きい腹をした河童は一匹もいなかったのに違いありません。しかし茘枝に似た

(さいくんやきゅうりににたこどもをさゆうにしながら、あんらくいすにすわっているところは)

細君や胡瓜に似た子どもを左右にしながら、安楽椅子にすわっているところは

(ほとんどこうふくそのものです。ぼくはときどきさいばんかんのぺっぷやいしゃのちゃっくに)

ほとんど幸福そのものです。僕は時々裁判官のペップや医者のチャックに

(つれられてげえるけのばんさんへでかけました。またげえるのしょうかいじょうをもって)

つれられてゲエル家の晩餐へ出かけました。またゲエルの紹介状を持って

(げえるやげえるのゆうじんたちがたしょうのかんけいをもっているいろいろのこうじょうもみて)

ゲエルやゲエルの友人たちが多少の関係を持っているいろいろの工場も見て

(あるきました。そのいろいろのこうじょうのなかでもことにぼくにおもしろかったのは)

歩きました。そのいろいろの工場の中でもことに僕におもしろかったのは

(しょせきせいぞうがいしゃのこうじょうです。ぼくはとしのわかいかっぱぎしとこのこうじょうのなかへはいり、)

書籍製造会社の工場です。僕は年の若い河童技師とこの工場の中へはいり、

(すいりょくでんきをどうりょくにした、おおきいきかいをながめたとき、いまさらのようにかっぱのくにの)

水力電気を動力にした、大きい機械をながめた時、今さらのように河童の国の

(きかいこうぎょうのしんぽにきょうたんしました。なんでもそこではいちねんかんにななひゃくまんぶのほんを)

機械工業の進歩に驚嘆しました。なんでもそこでは一年間に七百万部の本を

(せいぞうするそうです。が、ぼくをおどろかしたのはほんのぶすうではありません。それだけの)

製造するそうです。が、僕を驚かしたのは本の部数ではありません。それだけの

(ほんをせいぞうするのにすこしもてかずのかからないことです。なにしろこのくにではほんを)

本を製造するのに少しも手数のかからないことです。なにしろこの国では本を

(つくるのにただきかいのじょうごがたのくちへかみといんくとはいいろをしたふんまつとをいれるだけ)

造るのにただ機械の漏斗形の口へ紙とインクと灰色をした粉末とを入れるだけ

(なのですから。それらのげんりょうはきかいのなかへはいると、ほとんどごふんとたたない)

なのですから。それらの原料は機械の中へはいると、ほとんど五分とたたない

(うちにきくばん、しろくばん、きくはんさいばんなどのむすうのほんになってでてくるのです。)

うちに菊版、四六版、菊半裁版などの無数の本になって出てくるのです。

(ぼくはたきのようにながれおちるいろいろのほんをながめながら、そりみになったかっぱの)

僕は瀑のように流れ落ちるいろいろの本をながめながら、反り身になった河童の

(ぎしにそのはいいろのふんまつはなんというものかとたずねてみました。するとぎしは)

技師にその灰色の粉末はなんと言うものかと尋ねてみました。すると技師は

(くろびかりにひかったきかいのまえにたたずんだままつまらなそうにこうへんじをしました。)

黒光りに光った機械の前にたたずんだままつまらなそうにこう返事をしました。

(「これですか?これはろばののうずいですよ。ええ、いちどかんそうさせてから、ざっと)

「これですか?これは驢馬の脳髄ですよ。ええ、一度乾燥させてから、ざっと

など

(ふんまつにしただけのものです。じかはいっとんにさんせんですがね。」)

粉末にしただけのものです。時価は一噸二三銭ですがね。」

(もちろんこういうこうぎょうじょうのきせきはしょせきせいぞうがいしゃにばかりおこっているわけでは)

もちろんこういう工業上の奇蹟は書籍製造会社にばかり起こっているわけでは

(ありません。かいがせいぞうがいしゃにも、おんがくせいぞうがいしゃにも、おなじようにおこって)

ありません。絵画製造会社にも、音楽製造会社にも、同じように起こって

(いるのです。じっさいまたげえるのはなしによれば、このくにではへいきんいっかげつにしちはっぴゃくしゅの)

いるのです。実際またゲエルの話によれば、この国では平均一ヶ月に七八百種の

(きかいがしんあんされ、なんでもずんずんひとでをまたずにたいりょうせいさんがおこなわれるそうです)

機械が新案され、なんでもずんずん人手を待たずに大量生産が行われるそうです

(したがってまたしょっこうのかいこされるものもしごまんびきをくだらないそうです。)

従ってまた職工の解雇されるものも四五万匹を下らないそうです。

(そのくせまだこのくにではまいあさしんぶんをよんでいても、いちどもひぎょうというじに)

そのくせまだこの国では毎朝新聞を読んでいても、一度も罷業という字に

(であいません。ぼくはこれをみょうにおもいましたから、あるときぺっぷやちゃっくと)

出会いません。僕はこれを妙に思いましたから、ある時ペップやチャックと

(げえるけのばんさんにまねかれたきかいにこのことをなぜかとたずねてみました。)

ゲエル家の晩餐に招かれた機会にこのことをなぜかと尋ねてみました。

(「それはみんなくってしまうのですよ。」しょくごのはまきをくわえたげえるは)

「それはみんな食ってしまうのですよ。」食後の葉巻をくわえたゲエルは

(いかにもむぞうさにこういいました。しかし「くってしまう」というのは)

いかにも無造作にこう言いました。しかし「食ってしまう」というのは

(なんのことだかわかりません。するとはなめがねをかけたちゃっくはぼくのふしんを)

なんのことだかわかりません。すると鼻目金をかけたチャックは僕の不審を

(さっしたとみえ、よこあいからせつめいをくわえてくれました。)

察したとみえ、横合いから説明を加えてくれました。

(「そのしょっこうをみんなころしてしまって、にくをしょくりょうにつかうのです。ここにあるしんぶんを)

「その職工をみんな殺してしまって、肉を食料に使うのです。ここにある新聞を

(ごらんなさい。こんげつはちょうどろくまんよんせんななひゃくろくじゅきゅうひきのしょっこうがかいこされました)

ご覧なさい。今月はちょうど六万四千七百六十九匹の職工が解雇されました

(から、それだけにくのねだんもさがったわけですよ。」)

から、それだけ肉の値段も下がったわけですよ。」

(「しょっこうはだまってころされるのですか?」)

「職工は黙って殺されるのですか?」

(「それはさわいでもしかたはありません。しょっこうとさつほうがあるのですから。」)

「それは騒いでもしかたはありません。職工トサツ法があるのですから。」

(これはやまもものはちうえをうしろににがいかおをしていたぺっぷのことばです。)

これは山桃の鉢植えを後ろに苦い顔をしていたペップの言葉です。

(ぼくはもちろんふかいをかんじました。しかししゅじんこうのげえるはもちろん、ぺっぷや)

僕はもちろん不快を感じました。しかし主人公のゲエルはもちろん、ペップや

(ちゃっくもそんなことはとうぜんとおもっているらしいのです。げんにちゃっくは)

チャックもそんなことは当然と思っているらしいのです。現にチャックは

(わらいながら、あざけるようにぼくにはなしかけました。)

笑いながら、あざけるように僕に話しかけました。

(「つまりがししたりじさつしたりするてかずをこっかてきにしょうりゃくしてやるのですね。)

「つまり餓死したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのですね。

(ちょっとゆうどくがすをかがせるだけですから、たいしたくつうはありませんよ。」)

ちょっと有毒瓦斯をかがせるだけですから、たいした苦痛はありませんよ。」

(「けれどもそのにくをくうというのは、・・・」)

「けれどもその肉を食うというのは、・・・」

(「じょうだんをいってはいけません。あのまっぐにきかせたら、さぞおおわらいに)

「常談を言ってはいけません。あのマッグに聞かせたら、さぞ大笑いに

(わらうでしょう。あなたのくにでもだいよんかいきゅうのむすめたちはばいしょうふになっているでは)

笑うでしょう。あなたの国でも第四階級の娘たちは売笑婦になっているでは

(ありませんか?しょっこうのにくをくうことなどにふんがいしたりするのはかんしょうしゅぎですよ」)

ありませんか?職工の肉を食うことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ」

(こういうもんどうをきいていたげえるはてぢかいてえぶるのうえにあったさんどうぃっち)

こういう問答を聞いていたゲエルは手近いテエブルの上にあったサンドウィッチ

(のさらをすすめながら、てんぜんとぼくにこういいました。」)

の皿を勧めながら、恬然と僕にこう言いました。」

(「どうです?ひとつとりませんか?これもしょっこうのにくですがね。」)

「どうです?一つとりませんか?これも職工の肉ですがね。」

(ぼくはもちろんへきえきしました。いや、そればかりではありません。)

僕はもちろん辟易しました。いや、そればかりではありません。

(ぺっぷやちゃっくのわらいごえをうしろにげえるけのきゃくまをとびだしました。)

ペップやチャックの笑い声を後ろにゲエル家の客間を飛び出しました。

(それはちょうどいえいえのそらにつきあかりもみえないあれもようのよるでした。ぼくはその)

それはちょうど家々の空に月明かりも見えない荒れ模様の夜でした。僕はその

(やみのなかをぼくのすまいへかえりながら、のべつまくなしにへどをはきました。)

闇の中を僕の住居へ帰りながら、のべつ幕なしに嘔吐を吐きました。

(よるめにもしらじらとながれるへどを。)

夜目にも白じらと流れる嘔吐を。

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芥川龍之介

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