河童 14 芥川龍之介

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芥川龍之介の名作

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問題文

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(じゅうし ぼくにしゅうきょうというものをおもいださせたのはこういうまっぐのことばです。)

14 僕に宗教というものを思い出させたのはこういうマッグの言葉です。

(ぼくはもちろんぶっしつしゅぎしゃですから、まじめにしゅうきょうをかんがえたことはいちどもなかった)

僕はもちろん物質主義者ですから、真面目に宗教を考えたことは一度もなかった

(のにちがいありません。が、このときはとっくのしにあるかんどうをうけていたために)

のに違いありません。が、この時はトックの死にある感動をうけていたために

(いったいかっぱのしゅうきょうはなんであるかとかんがえだしたのです。ぼくはさっそくがくせいの)

いったい河童の宗教はなんであるかと考え出したのです。僕はさっそく学生の

(らっぷにこのもんだいをたずねてみました。)

ラップにこの問題を尋ねてみました。

(「それはきりすときょう、ぶっきょう、もはめっときょう、はいかきょうなどもおこなわれています。)

「それはキリスト教、仏教、モハメット教、排火教なども行われています。

(いちばんせいりょくのあるものはなんといってもきんだいきょうでしょう。せいかつきょうともいいますがね)

一番勢力のあるものはなんといっても近代教でしょう。生活教ともいいますがね

((「せいかつきょうというやくごはあたっていないかもしれません。このげんごは)

(「生活教という訳語は当たっていないかもしれません。この原語は

(quemoochaです。chaはいぎりすごのismといういみにあたる)

quemoochaです。chaはイギリス語のismという意味に当たる

(でしょう。quemoo.のげんけいquemalのやくはたんに「いきる」という)

でしょう。quemoo.の原型quemalの訳は単に「生きる」という

(よりも「めしをくったり、さけをのんだり、こうごうをおこなったり」するいみです。))

よりも「飯を食ったり、酒を飲んだり、交合を行ったり」する意味です。)

(「じゃこのくににもきょうかいだのじいんだのはあるわけなのだね?」)

「じゃこの国にも教会だの寺院だのはあるわけなのだね?」

(「じょうだんをいってはいけません。きんだいきょうのだいじいんなどはこのくにだいいちのだいけんちくですよ)

「常談を言ってはいけません。近代教の大寺院などはこの国第一の大建築ですよ

(どうです。ちょっとけんぶつにいっては?」あるなまあたたかいどんてんのごご、らっぷは)

どうです。ちょっと見物に行っては?」ある生暖かい曇天の午後、ラップは

(とくとくとぼくといっしょにこのだいじいんへでかけました。なるほどそれはにこらいどうの)

得々と僕といっしょにこの大寺院へでかけました。なるほどそれはニコライ堂の

(じゅうばいもあるだいけんちくです。のみならずあらゆるけんちくようしきをひとつにくみあげただいけんちく)

十倍もある大建築です。のみならずあらゆる建築様式を一つに組み上げた大建築

(です。ぼくはこのだいじいんのまえにたち、たかいとうやまるいやねをながめたとき、なにか)

です。僕はこの大寺院の前に立ち、高い塔や円い屋根をながめた時、なにか

(ぶきみにさえかんじました。じっさいそれらはてんにむかってのびたむすうのしょくしゅのように)

無気味にさえ感じました。実際それらは天に向かって伸びた無数の触手のように

(みえたものです。ぼくらはげんかんのまえにたたずんだまま、(そのまたげんかんにくらべて)

見えたものです。僕らは玄関の前にたたずんだまま、(そのまた玄関に比べて

(みても、どのくらいぼくらはちいさかったのでしょう!)しばらくこのけんちくよりも)

みても、どのくらいぼくらは小さかったのでしょう!)しばらくこの建築よりも

など

(むしろとほうもないかいぶつにちかいきだいのだいじいんをみあげていました。)

むしろ途方もない怪物に近い稀代の大寺院を見上げていました。

(だいじいんのないぶもまたこうだいです。そのこりんとふうのえんちゅうのたったなかにはさんけいにんが)

大寺院の内部もまた広大です。そのコリント風の円柱の立った中には参詣人が

(なんにんもあるいていました。しかしそれらはぼくらのようにひじょうにちいさくみえた)

何人も歩いていました。しかしそれらは僕らのように非常に小さく見えた

(ものです。そのうちにぼくらはこしのまがったいっぴきのかっぱにであいました。)

ものです。そのうちに僕らは腰の曲った一匹の河童に出会いました。

(するとらっぷはこのかっぱにちょっとあたまをさげたうえ、ていねいにこうはなしかけました。)

するとラップはこの河童にちょっと頭を下げた上、丁寧にこう話しかけました。

(「ちょうろう、ごたっしゃなのはなによりもです。」あいてのかっぱもおじぎをしたあと)

「長老、御達者なのは何よりもです。」相手の河童もお時宜をした後

(やはりていねいにへんじをしました。「これはらっぷさんですか?あなたもあいかわらず)

やはり丁寧に返事をしました。「これはラップさんですか?あなたも相変わらず

(ーーああ、とにかく、ごじょうぶらしいようですね。が、きょうはどうしてまた・・」)

ーーああ、とにかく、御丈夫らしいようですね。が、今日はどうしてまた・・」

(「きょうはこのかたのおともをしてきたのです。このかたはたぶんごしょうちのとおりーー」)

「今日はこの方のお伴をしてきたのです。この方はたぶん御承知のとおりーー」

(それかららっぷはとうとうとぼくのことをはなしました。どうもまたそれはこのだいじいんへ)

それからラップは滔々と僕のことを話しました。どうもまたそれはこの大寺院へ

(らっぷがめったにこないことのべんかいにもなっていたらしいのです。)

ラップがめったに来ないことの弁解にもなっていたらしいのです。

(「ついてはどうかこのかたのごあんないをねがいたいとおもうのですが。」)

「ついてはどうかこの方の御案内を願いたいと思うのですが。」

(ちょうろうはおおようにびしょうしながら、まずぼくにあいさつをししずかにしょうめんのさいだんをゆびさしました)

長老は大様に微笑しながら、まず僕に挨拶をし静かに正面の祭壇を指差しました

(「ごあんないともうしても、なにもおやくにたつことはできません。われわれしんとのらいはいする)

「御案内と申しても、何もお役に立つことはできません。我々信徒の礼拝する

(のはしょうめんのさいだんにある「せいめいのき」です。「せいめいのき」にはごらんのとおり、)

のは正面の祭壇にある『生命の樹』です。『生命の樹』にはご覧のとおり、

(きんとみどりとのみがなっています。あのきんのみを「ぜんのみ」といいあのみどりのみを)

金と緑との果がなっています。あの金の果を『善の果』と言いあの緑の果を

(「あくのみ」といいます」ぼくはこういうせつめいのうちにもうたいくつをかんじだしました。)

『悪の果』と言います」僕はこういう説明のうちにもう退屈を感じ出しました。

(それはせっかくのちょうろうのことばもふるいひゆのようにきこえたからです。)

それはせっかくの長老の言葉も古い比喩のように聞こえたからです。

(ぼくはもちろんねっしんにきいているようすをよそおっていました。が、ときどきはだいじいんの)

僕はもちろん熱心に聞いている容子を装っていました。が、時々は大寺院の

(ないぶへそっとめをやるのをわすれずにいました。こりんとふうのはしら、ごしっくふうの)

内部へそっと目をやるのを忘れずにいました。コリント風の柱、ゴシック風の

(きゅうりゅう、あらびあじみたいちまつもようのゆか、せせっしょんまがいのきとうづくえ、ーー)

穹窿、アラビアじみた市松模様の床、セセッションまがいの祈祷机、ーー

(こういうもののつくっているちょうわはみょうにやばんなびをそなえていました。しかしぼくの)

こういうものの作っている調和は妙に野蛮な美を具えていました。しかし僕の

(めをひいたのはなによりもりょうがわのがんのなかにあるだいりせきのはんしんぞうです。)

目を引いたのは何よりも両側の龕の中にある大理石の半身像です。

(ぼくはなにかそれらのぞうをみしっているようにおもいました。それもまたふしぎでは)

僕は何かそれらの像を見知っているように思いました。それもまた不思議では

(ありません。あのこしのまがったかっぱは「せいめいのき」のせつめいをおわるとこんどは)

ありません。あの腰の曲った河童は「生命の樹」の説明を終わると今度は

(ぼくやらっぷといっしょにみぎがわのがんのまえへあゆみより、そのがんのなかのはんしんぞうに)

僕やラップといっしょに右側の龕の前へ歩み寄り、その龕の中の半身像に

(こういうせつめいをくわえだしました。「これはわれわれのせいとのひとり、ーー)

こういう説明を加え出しました。「これは我々の聖徒のひとり、ーー

(あらゆるものにはんぎゃくしたせいとすとりんとべりいです。このせいとはさんざん)

あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん

(くるしんだあげくすうぇでんぼるぐのてつがくのためにすくわれたようにいわれています)

苦しんだあげくスウェデンボルグの哲学のために救われたように言われています

(が、じつはすくわれなかったのです。このせいとはただわれわれのようにせいかつきょうをしんじて)

が、実は救われなかったのです。この聖徒はただ我々のように生活教を信じて

(いました。ーーというよりもしんじるほかはなかったのでしょう。)

いました。ーーというよりも信じるほかはなかったのでしょう。

(このせいとのわれわれにのこした「でんせつ」というほんをよんでごらんなさい。このせいとも)

この聖徒の我々に残した『伝説』という本を読んでごらんなさい。この聖徒も

(じさつみすいしゃだったことはせいとじしんこくはくしています。」)

自殺未遂者だったことは聖徒自身告白しています。」

(ぼくはちょっとゆううつになり、つぎのがんへめをやりました。つぎのがんにあるはんしんぞうは)

僕はちょっと憂鬱になり、次の龕へ目をやりました。次の龕にある半身像は

(くちひげのふといどいつじんです。「これはつぁらとすとらのしじんにいちぇです。)

口髭の太い独逸人です。「これはツァラトストラの詩人ニイチェです。

(そのせいとはせいとじしんのつくったちょうじんにすくいをもとめました。が、やはりすくわれずに)

その聖徒は聖徒自身の造った超人に救いを求めました。が、やはり救われずに

(きちがいになってしまったのです。もしきちがいにならなかったとすれば、あるいは)

気違いになってしまったのです。もし気違いにならなかったとすれば、あるいは

(せいとのかずへはいることもできなかったかもしれません・・・」)

聖徒の数へはいることもできなかったかもしれません・・・」

(ちょうろうはちょっとだまったのち、だいさんのがんのまえへあんないしました。)

長老はちょっと黙った後、第三の龕の前へ案内しました。

(「さんばんめにあるのはとるすといです。このせいとはだれよりもくぎょうをしました。)

「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒はだれよりも苦行をしました。

(それはがんらいきぞくだったためにこうきしんのおおいこうしゅうにくるしみをみせることをきらった)

それは元来貴族だったために好奇心の多い公衆に苦しみを見せることを嫌った

(からです。このせいとはじじつじょうしんじぜられないきりすとをしんじようとどりょくしました。)

からです。この聖徒は事実上信じぜられない基督を信じようと努力しました。

(いや、しんじているようにさえ、こうげんしたこともあったのです。しかしとうとう)

いや、信じているようにさえ、公言したこともあったのです。しかしとうとう

(ばんねんにはひそうなうそつきだったことにたえられないようになりました。このせいとも)

晩年には悲壮な嘘つきだったことに堪えられないようになりました。この聖徒も

(ときどきしょさいのはりにきょうふをかんじたのはゆうめいです。けれどもせいとのかずにはいっている)

時々書斎の梁に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の数にはいっている

(くらいですから、もちろんじさつしたのではありません。」)

くらいですから、もちろん自殺したのではありません。」

(だいよんのがんのなかのはんしんぞうはわれわれにほんじんのひとりです。ぼくはこのにほんじんのかおをみたとき)

第四の龕の中の半身像は我々日本人のひとりです。僕はこの日本人の顔を見た時

(さすがになつかしさをかんじました。「これはくにきだどっぽです。れきしするにんそくの)

さすがに懐かしさを感じました。「これは国木田独歩です。轢死する人足の

(こころもちをはっきりしっていたしじんです。しかしそれいじょうのせつめいはあなたには)

心持ちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには

(ふひつようにちがいありません。ではごばんめのがんのなかをごらんください。」)

不必要に違いありません。では五番目の龕の中をご覧ください。」

(「これはわぐねるではありませんか?」「そうです。こくおうのともだちだったかくめいか)

「これはワグネルではありませんか?」「そうです。国王の友達だった革命家

(です。せいとわぐねるはばんねんにはしょくぜんのきとうさえしていました。しかしもちろん)

です。聖徒ワグネルは晩年には食前の祈祷さえしていました。しかしもちろん

(きりすときょうよりもせいかつきょうのせいとのひとりだったのです。わぐねるののこしたてがみに)

基督教よりも生活教の聖徒のひとりだったのです。ワグネルの残した手紙に

(よれば、しゃばくはなんどこのせいとをしのまえにかりやったかわかりません。」)

よれば、娑婆苦は何度この聖徒を死の前に駆りやったかわかりません。」

(ぼくらはもうそのときにはだいろくのがんのまえにたっていました。)

僕らはもうその時には第六の龕の前に立っていました。

(「これはせいとすとりんとべりいのともだちです。こどものおおぜいあるさいくんのかわりに)

「これは聖徒ストリントベリイの友達です。子どもの大勢ある細君の代りに

(じゅうさんしのくいてぃのおんなをめとったしょうばいにんあがりのふらんすのがかです。)

十三四のクイティの女をめとった商売人上がりの仏蘭西の画家です。

(このせいとはふといけっかんのなかにすいふのちをながしていました。が、くちびるをごらんなさい。)

この聖徒は太い血管の中に水夫の血を流していました。が、唇をご覧なさい。

(ひそかなにかのあとがのこっています。だいななのがんのなかにあるのは・・もうあなたは)

砒素か何かの痕が残っています。第七の龕の中にあるのは・・もうあなたは

(おつかれでしょう。ではどうかこちらへおいでください。」)

お疲れでしょう。ではどうかこちらへおいでください。」

(ぼくはじっさいつかれていましたから、らっぷといっしょにちょうろうにしたがい、こうのにおいのする)

僕は実際疲れていましたから、ラップといっしょに長老に従い、香の匂いのする

(ろうかづたいにあるへやへはいりました。そのまたちいさいへやのすみにはくろいヴぇぬす)

廊下伝いにある部屋へはいりました。そのまた小さい部屋の隅には黒いヴェヌス

(のぞうのしたにやまぶどうがひとふさけんじてあるのです。ぼくはなにのそうしょくもないそうぼうをそうぞうして)

の像の下に山葡萄が一房献じてあるのです。僕は何の装飾もない僧房を想像して

(いただけにちょっといがいにかんじました。するとちょうろうはぼくのようすにこういう)

いただけにちょっと意外に感じました。すると長老は僕の容子にこういう

(きもちをかんじたとみえ、ぼくらにいすをすすめるまえになかばきのどくそうにせつめいしました)

気持ちを感じたとみえ、僕らに椅子を勧める前に半ば気の毒そうに説明しました

(「どうかわれわれのしゅうきょうのせいかつきょうであることをわすれずにください。われわれのかみ、ーー)

「どうか我々の宗教の生活教であることを忘れずにください。我々の神、ーー

(「せいめいのき」のおしえは「おうせいにいきよ」というのですから。・・・)

『生命の樹』の教えは『旺盛に生きよ』というのですから。・・・

(らっぷさん、あなたはこのかたにわれわれのせいしょをごらんにいれましたか?」)

ラップさん、あなたはこのかたに我々の聖書をご覧にいれましたか?」

(「いえ、・・・じつはわたしじしんもほとんどよんだことはないのです。」)

「いえ、・・・実はわたし自身もほとんど読んだことはないのです。」

(らっぷはあたまのさらをかきながら、しょうじきにこうへんじをしました。が、ちょうろうは)

ラップは頭の皿を掻きながら、正直にこう返事をしました。が、長老は

(あいかわらずしずかにびしょうしてはなしつづけました。「それではおわかりに)

相変わらず静かに微笑して話しつづけました。「それではお分かりに

(なりますまい。われわれのかみはいちにちのうちにこのせかいをつくりました。(「せいめいのき」)

なりますまい。我々の神は一日のうちにこの世界を造りました。(『生命の樹』

(はきというものの、なしあたわないことはないのです。)のみならずめすのかっぱを)

は樹というものの、成しあたわないことはないのです。)のみならず雌の河童を

(つくりました。するとめすのかっぱはたいくつのあまり、おすのかっぱをもとめました。)

造りました。すると雌の河童は退屈のあまり、雄の河童を求めました。

(われわれのかみはこのなげきをあわれみ、めすのかっぱののうずいをとり、おすのかっぱをつくりました。)

我々の神はこの嘆きを憐れみ、雌の河童の脳髄を取り、雄の河童を造りました。

(われわれのかみはこのにひきのかっぱに「くえよ、こうごうせよ、おうせいにいきよ」という)

我々の神はこの二匹の河童に『食えよ、交合せよ、旺盛に生きよ』という

(しゅくふくをあたえました。」ぼくはちょうろうのことばのうちにしじんのとっくをおもいだしました。)

祝福を与えました。」僕は長老の言葉のうちに詩人のトックを思い出しました。

(しじんのとっくはふこうにもぼくのようにむしんろんしゃです。ぼくはかっぱではありませんから)

詩人のトックは不幸にも僕のように無神論者です。僕は河童ではありませんから

(せいかつきょうをしらなかったのもむりはありません。けれどもかっぱのくににうまれた)

生活教を知らなかったのも無理はありません。けれども河童の国に生まれた

(とっくはもちろん「せいめいのき」をしっていたはずです。)

トックはもちろん「生命の樹」を知っていたはずです。

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