河童 9 芥川龍之介
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | ねね | 4384 | C+ | 4.5 | 97.3% | 1440.3 | 6495 | 180 | 96 | 2024/10/14 |
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問題文
(きゅう しかしがらすがいしゃのしゃちょうのげえるはひとなつこいかっぱだったのにちがいありません)
九 しかし硝子会社の社長のゲエルは人なつこい河童だったのに違いありません
(ぼくはたびたびげえるといっしょにげえるのぞくしているくらぶへいき、ゆかいに)
僕はたびたびゲエルといっしょにゲエルの属している倶楽部へ行き、愉快に
(ひとばんをくらしました。これはひとつにはそのくらぶはとっくのぞくしている)
一晩を暮らしました。これは一つにはその倶楽部はトックの属している
(ちょうじんくらぶよりもはるかにいごこちのよかったためです。のみならずまたげえるの)
超人倶楽部よりもはるかに居心のよかったためです。のみならずまたゲエルの
(はなしはてつがくしゃまっぐのはなしのようにふかみをもっていなかったにせよ、ぼくにはぜんぜん)
話は哲学者マッグの話のように深みを持っていなかったにせよ、僕には全然
(あたらしいせかいを、ーーひろいせかいをのぞかせました。げえるはいつもじゅんきんのさじに)
新しい世界を、ーー広い世界をのぞかせました。ゲエルはいつも純金の匙に
(かっふぇのちゃわんをかきまわしながら、かいかつにいろいろのはなしをしたものです。)
珈琲の茶碗をかきまわしながら、快活にいろいろの話をしたものです。
(なんでもあるきりのふかいばん、ぼくはふゆそうびをもったかびんをなかにげえるのはなしをきいて)
なんでもある霧の深い晩、僕は冬薔薇を盛った花瓶を中にゲエルの話を聞いて
(いました。それはたしかへやぜんたいはもちろん、いすやてえぶるもしろいうえに)
いました。それはたしか部屋全体はもちろん、椅子やテエブルも白い上に
(ほそいきんのふちをとったせせっしょんふうのへやだったようにおぼえています。)
細い金の縁をとったセセッション風の部屋だったように覚えています。
(げえるはふだんよりもとくいそうにかおじゅうにびしょうをみなぎらせたまま、ちょうど)
ゲエルはふだんよりも得意そうに顔中に微笑をみなぎらせたまま、ちょうど
(そのころてんかをとっていたquoraxとうないかくのことなどをはなしました。)
そのころ天下を取っていたquorax党内閣のことなどを話しました。
(くおらっくすということばはただいみのないかんとうしですから、「おや」とでも)
クオラックスという言葉はただ意味のない間投詞ですから、「おや」とでも
(やくすほかありません。が、とにかくなによりもさきに「かっぱぜんたいのりえき」という)
訳すほかありません。が、とにかく何よりも先に「河童全体の利益」という
(ことをひょうぼうしていたせいとうだったのです。)
ことを標榜していた政党だったのです。
(「くおらっくすとうをしはいしているものはなだかいせいじかのろっぺです。)
「クオラックス党を支配しているものは名高い政治家のロッペです。
(「しょうじきはさいりょうのがいこうである。」とはびすまるくのいったことばでしょう。)
『正直は最良の外交である。』とはビスマルクの言った言葉でしょう。
(しかしろっぺはしょうじきをないちのうえにもおよぼしているのです。・・・」)
しかしロッペは正直を内治の上にも及ぼしているのです。・・・」
(「けれどもろっぺのえんぜつは・・・」)
「けれどもロッペの演説は・・・」
(「まあ、わたしのいうことをおききなさい。あのえんぜつはもちろんことごとく)
「まあ、わたしの言うことをお聞きなさい。あの演説はもちろんことごとく
(うそです。が、うそということはだれでもしっていますから、ひっきょうしょうじきとかわらない)
嘘です。が、嘘ということはだれでも知っていますから、畢竟正直と変わらない
(でしょう、それをいちがいにうそというのはあなたがただけのへんけんですよ。われわれかっぱは)
でしょう、それを一概に嘘と言うのはあなた方だけの偏見ですよ。我々河童は
(あなたがたのように、・・・しかしそれはどうでもよろしい。わたしのはなしたい)
あなた方のように、・・・しかしそれはどうでもよろしい。わたしの話したい
(のはろっぺのことです。ろっぺはくおらっくすとうをしはいしている、そのまた)
のはロッペのことです。ロッペはクオラックス党を支配している、そのまた
(ろっぺをしはいしているものはpou-fouしんぶんの(この「ぷうふう」という)
ロッペを支配しているものはpou-fou新聞の(この『プウ・フウ』という
(ことばもやはりいみのないかんとうしです。もししいてやくすれば、「ああ」とでも)
言葉もやはり意味のない間投詞です。もし強いて訳すれば、『ああ』とでも
(いうほかありません。)しゃちょうのくいくいです。が、くいくいもかれじしんのしゅじんと)
言うほかありません。)社長のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主人と
(いうわけにはゆきません。くいくいをしはいしているものはあなたのまえにいる)
いうわけにはゆきません。クイクイを支配しているものはあなたの前にいる
(げえるです。」「けれどもーーこれはしつれいかもしれませんけれども、ぷうふう)
ゲエルです。」「けれどもーーこれは失礼かもしれませんけれども、プウ・フウ
(しんぶんはろうどうしゃのみかたをするしんぶんでしょう。そのしゃちょうのくいくいもあなたのしはいを)
新聞は労働者の味方をする新聞でしょう。その社長のクイクイもあなたの支配を
(うけているというのは・・・」「ぷうふうしんぶんのきしゃたちはもちろんろうどうしゃの)
受けているというのは・・・」「プウ・フウ新聞の記者たちはもちろん労働者の
(みかたです。しかしきしゃたちをしはいするものはくいくいのほかはありますまい。)
味方です。しかし記者たちを支配するものはクイクイのほかはありますまい。
(しかもくいくいはこのげえるのこうえんをうけずにはいられないのです。」)
しかもクイクイはこのゲエルの後援を受けずにはいられないのです。」
(げえるはあいかわらずびしょうしながら、じゅんきんのさじをおもちゃにしています。)
ゲエルは相変わらず微笑しながら、純金の匙をおもちゃにしています。
(ぼくはこういうげえるをみると、げえるじしんをにくむよりも、ぷうふうしんぶんの)
僕はこういうゲエルを見ると、ゲエル自身を憎むよりも、プウ・フウ新聞の
(きしゃたちにどうじょうのおこるのをかんじました。するとげえるはぼくのむごんにたちまち)
記者たちに同情の起こるのを感じました。するとゲエルは僕の無言にたちまち
(このどうじょうをかんじたとみえ、おおきいはらをふくらませてこういうのです。)
この同情を感じたとみえ、大きい腹をふくらませてこう言うのです。
(「なに、ぷうふうしんぶんのきしゃたちもぜんぶろうどうしゃのみかたではありませんよ。)
「なに、プウ・フウ新聞の記者たちも全部労働者の味方ではありませんよ。
(すくなくともわれわれかっぱというものはだれのみかたをするよりもさきにわれわれじしんの)
少なくとも我々河童というものはだれの味方をするよりも先に我々自身の
(みかたをしますからね。・・・しかしさらにやっかいなことにはこのげえるじしんさえ)
味方をしますからね。・・・しかしさらに厄介なことにはこのゲエル自身さえ
(やはりたにんのしはいをうけているのです。あなたはそれをだれだとおもいますか?)
やはり他人の支配を受けているのです。あなたはそれをだれだと思いますか?
(それはわたしのつまですよ。うつくしいげえるふじんですよ。」)
それはわたしの妻ですよ。美しいゲエル夫人ですよ。」
(げえるはおおごえにわらいました。)
ゲエルは大声に笑いました。
(「それはむしろしあわせでしょう。」)
「それはむしろしあわせでしょう。」
(「わたしはまんぞくしています。しかしこれもあなたのまえだけに、ーーかっぱでない)
「わたしは満足しています。しかしこれもあなたの前だけに、ーー河童でない
(あなたのまえだけにてばなしでふいちょうできるのです。」)
あなたの前だけに手放しで吹聴できるのです。」
(「するとつまりくおらっくすないかくはげえるふじんがしはいしているのですね。」)
「するとつまりクオラックス内閣はゲエル夫人が支配しているのですね。」
(「さあそうもいわれますかね。・・・しかしななねんまえのせんそうなどはたしかにある)
「さあそうも言われますかね。・・・しかし七年前の戦争などはたしかにある
(めすのかっぱのためにはじまったものにちがいありません。」)
雌の河童のために始まったものに違いありません。」
(「せんそう?このくににもせんそうはあったのですか?」)
「戦争?この国にも戦争はあったのですか?」
(「ありましたとも。しょうらいいつあるかわかりません。なにしろりんごくのあるかぎりは」)
「ありましたとも。将来いつあるかわかりません。なにしろ隣国のある限りは」
(ぼくはじっさいこのときはじめてかっぱのくにもこっかてきにこりつしていないことをしりました。)
僕は実際この時はじめて河童の国も国家的に孤立していないことを知りました。
(げえるのせつめいするところによれば、かっぱはいつもかわうそをかせつまとにしている)
ゲエルの説明するところによれば、河童はいつも獺を仮設的にしている
(ということです。しかもかわうそはかっぱにまけないぐんびをそなえているということです。)
ということです。しかも獺は河童に負けない軍備を具えているということです。
(ぼくはこのかわうそをあいてにかっぱのせんそうしたはなしにすくなからずきょうみをかんじました。)
僕はこの獺を相手に河童の戦争した話に少なからず興味を感じました。
((なにしろかっぱのきょうてきにかわうそのいるなどということは「すいここうりゃく」のちょしゃは)
(なにしろ河童の強敵に獺のいるなどということは「水虎考略」の著者は
(もちろん、「さんとうみんたんしゅう」のちょしゃやなぎだくにおさんさえしらずにいたらしい)
もちろん、「山島民譚集」の著者柳田国男さんさえ知らずにいたらしい
(しんじじつですから。)「あのせんそうのおこるまえにはもちろんりょうごくともゆだんせずに)
新事実ですから。)「あの戦争の起こる前にはもちろん両国とも油断せずに
(じっとあいてをうかがっていました。というのはどちらもおなじようにあいてをきょうふ)
じっと相手をうかがっていました。というのはどちらも同じように相手を恐怖
(していたからです。そこへこのくににいたかわうそがいっぴき、あるかっぱのふうふをほうもん)
していたからです。そこへこの国にいた獺が一匹、ある河童の夫婦を訪問
(しました。そのまためすのかっぱというのはていしゅをころすつもりでいたのです。)
しました。そのまた雌の河童というのは亭主を殺すつもりでいたのです。
(なにしろていしゅはどうらくものでしたからね。おまけにせいめいほけんのついていたことも)
なにしろ亭主は道楽者でしたからね。おまけに生命保険のついていたことも
(たしょうのゆうわくになったのかもしれません」「あなたはそのふうふをごぞんじですか?」)
多少の誘惑になったのかもしれません」「あなたはその夫婦を御存知ですか?」
(「ええ、いや、おすのかっぱだけはしっています。わたしのつまなどはこのかっぱを)
「ええ、いや、雄の河童だけは知っています。わたしの妻などはこの河童を
(あくにんのようにいっていますがね。しかしわたしにいわせれば、あくにんよりもむしろ)
悪人のように言っていますがね。しかしわたしに言わせれば、悪人よりもむしろ
(めすのかっぱにつかまることをおそれているひがいもうそうのきょうじんです。そこでこのめすの)
雌の河童につかまることを恐れている被害妄想の狂人です。そこでこの雌の
(かっぱはていしゅのここあのちゃわんのなかへせいかかりをいれておいたのです。それをまた)
河童は亭主のココアの茶碗の中へ青化加里を入れておいたのです。それをまた
(どうまちがえたか、きゃくのかわうそにのませてしまったのです。かわうそはもちろんしんで)
どう間違えたか、客の獺に飲ませてしまったのです。獺はもちろん死んで
(しまいました。それから・・・」「それからせんそうになったのですか?」)
しまいました。それから・・・」「それから戦争になったのですか?」
(「ええ、あいにくそのかわうそはくんしょうをもっていたものですからね。」)
「ええ、あいにくその獺は勲章を持っていたものですからね。」
(「せんそうはどちらのかちになったのですか?」「もちろんこのくにのかちになった)
「戦争はどちらの勝ちになったのですか?」「もちろんこの国の勝ちになった
(のです。さんじゅうろくまんきゅうせんごひゃっぴきのかっぱたちはそのためにけなげにもせんししました。)
のです。三十六万九千五百匹の河童たちはそのために健気にも戦死しました。
(しかしてきこくにくらべれば、そのくらいのひがいはなんともありません。このくににある)
しかし敵国に比べれば、そのくらいの被害はなんともありません。この国にある
(けがわというけがわはたいていかわうそのけがわです。わたしもあのせんそうのときにはがらすを)
毛皮という毛皮はたいてい獺の毛皮です。わたしもあの戦争の時には硝子を
(せいぞうするほかにもせきたんがらをせんちへおくりました」「せきたんがらをなににするのですか?」)
製造するほかにも石炭殻を戦地へ送りました」「石炭殻を何にするのですか?」
(「もちろんしょくりょうにするのです。われわれは、かっぱははらさえへればなんでも)
「もちろん食糧にするのです。我々は、河童は腹さえ減ればなんでも
(くうのにきまっていますからね。」「それはーーどうかおこらずにください。)
食うのにきまっていますからね。」「それはーーどうか怒らずにください。
(それはせんちにいるかっぱたちには・・・われわれのくにではしゅうぶんですがね。」)
それは戦地にいる河童たちには・・・我々の国では醜聞ですがね。」
(「われわれのくにでもしゅうぶんにちがいありません。しかしわたしじしんこういっていれば、)
「我々の国でも醜聞に違いありません。しかしわたし自身こう言っていれば、
(だれもしゅうぶんにはしないものです。てつがくしゃのまっぐもいっているでしょう。)
だれも醜聞にはしないものです。哲学者のマッグも言っているでしょう。
(「なんじのあくはなんじみずからいえ。あくはおのずからしょうめつすべし」・・しかもわたしはりえきの)
『汝の悪は汝自ら言え。悪はおのずから消滅すべし』・・しかもわたしは利益の
(ほかにもあいこくしんにもえたっていたのですからね。」ちょうどそこへはいって)
ほかにも愛国心に燃え立っていたのですからね。」ちょうどそこへはいって
(きたのはこのくらぶのきゅうじです。きゅうじはげえるにおじぎをしたのち、ろうどくでもする)
きたのはこの倶楽部の給仕です。給仕はゲエルにお時宜をした後、朗読でもする
(ようにこういいました。「おたくのおとなりにかじがございます。」「かーーかじ!」)
ようにこう言いました。「お宅のお隣に火事がございます。」「火ーー火事!」
(げえるはおどろいてたちあがりました。ぼくもたちあがったのはもちろんです。)
ゲエルは驚いて立ち上がりました。僕も立ち上がったのはもちろんです。
(が、きゅうじはおちつきはらってつぎのことばをつけくわえました。)
が、給仕は落ち着き払って次の言葉をつけ加えました。
(「しかしもうけしとめました。」げえるはきゅうじをみおくりながら、なきわらいにちかい)
「しかしもう消し止めました。」ゲエルは給仕を見送りながら、泣き笑いに近い
(ひょうじょうをしました。ぼくはこういうかおをみると、いつかこのがらすがいしゃのしゃちょうをにくんで)
表情をしました。僕はこういう顔を見ると、いつかこの硝子会社の社長を憎んで
(いたことにきがつきました。が、げえるはもういまではだいしほんかでもなんでもない)
いたことに気がつきました。が、ゲエルはもう今では大資本家でもなんでもない
(ただのかっぱになってたっているのです。ぼくはかびんのなかのふゆそうびのはなをぬき、)
ただの河童になって立っているのです。僕は花瓶の中の冬薔薇の花を抜き、
(げえるのてへわたしました。「しかしかじはきえたといっても、おくさんはさぞおどろき)
ゲエルの手へ渡しました。「しかし火事は消えたといっても、奥さんはさぞ驚き
(でしょう。さあ、これをもっておかえりなさい。」「ありがとう。」)
でしょう。さあ、これを持ってお帰りなさい。」「ありがとう。」
(げえるはぼくのてをにぎりました。それからきゅうににやりとわらい、こごえにこうぼくに)
ゲエルは僕の手を握りました。それから急ににやりと笑い、小声にこう僕に
(はなしかけました。「となりはわたしのかさくですからね。かさいほけんのかねだけは)
話しかけました。「隣はわたしの家作ですからね。火災保険の金だけは
(とれるのですよ。」ぼくはこのときげえるのびしょうをーーけいべつすることもできなければ)
とれるのですよ。」僕はこの時ゲエルの微笑をーー軽蔑することもできなければ
(ぞうおすることもできないげえるのびしょうをいまだにありありとおぼえています。)
憎悪することもできないゲエルの微笑をいまだにありありと覚えています。