耳なし芳一 9 /9
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問題文
(もんをぬけ、にわをよこぎり、えんがわにちかづいてくると、)
門を抜け、庭を横切り、縁側に近づいてくると、
(ほういちのまんまえでぴたりととまりました。)
芳一の真ん前でぴたりと止まりました。
(「ほういち!」)
「芳一!」
(とあののぶといこえがよびます。)
とあの野太い声が呼びます。
(しかし、なにもみえぬほういちは、いきをころして、じっとしています。)
しかし、なにも見えぬ芳一は、息を殺して、じっとしています。
(「ほういち!」)
「芳一!」
(そのこえはさいど、きびしくいいました。)
その声は再度、厳しく言いました。
(やがて、さんどめはあらあらしいくちょうで、)
やがて、三度目は荒々しい口調で、
(「ほういち!」)
「芳一!」
(ほういちはいしのごとくじっとしております。)
芳一はいしのごとくじっとしております。
(すると、そのこえがぶつぶついいます。)
すると、その声がブツブツ言います。
(「こたえがない。はて、これはいかんぞ・・・)
「答えがない。はて、これはいかんぞ・・・
(どこにいるのか、みてみなければならぬ」)
どこにいるのか、見てみなければならぬ」
(おもおもしいあしおとがえんがわにあがり、ようじんぶかくちかづいてくると)
重々しい足音が縁側に上がり、用心深く近づいてくると
(ーーほういちのそばでたちどまりました。)
ーー芳一のそばで立ち止まりました。
(それからややしばらくのあいだはーーまったくのせいじゃくです。)
それからややしばらくの間はーーまったくの静寂です。
(ほういちはしんぞうがこどうをうつたびに、)
芳一は心臓が鼓動を打つたびに、
(おもわずぜんしんがわななくのをかんじました。)
思わず全身がわななくのを感じました。
(とうとうさいごに、すぐそばでしわがれたこえがつぶやきました。)
とうとう最期に、すぐそばでしわがれた声がつぶやきました。
(「おや、ここにびわがあるぞ。)
「おや、ここに琵琶があるぞ。
(が、びわほうしはというと・・・みみがふたつみえるだけだ。)
が、琵琶法師はというと・・・耳が二つ見えるだけだ。
(・・・なるほど、これではへんじがないはずだ。)
・・・なるほど、これでは返事がないはずだ。
(へんじをしようにも、くちがないわ・・・)
返事をしようにも、口がないわ・・・
(みみしかのこっておらんからな。)
耳しかのこっておらんからな。
(・・・しからば、わがしゅくんにはこのみみでももちかえるといたそうか。)
・・・しからば、わが主君にはこの耳でも持ち帰るといたそうか。
(・・・おおせのとおりにつかいをはたしたしるしに・・・」)
・・・仰せの通りに使いを果たしたしるしに・・・」
(そのせつな、ほういちははげしいいたみをかんじました。)
その刹那、芳一は激しい痛みを感じました。
(りょうのみみがてつのゆびにぐいとつかまれ、)
両の耳が鉄の指にぐいとつかまれ、
(もぎとられたのです。)
もぎ取られたのです。
(それでも、ほういちはさけびごえひとつたてませんでした。)
それでも、芳一は叫び声一つ立てませんでした。
(おもいあしおとはえんがわづたいにとおざかり、)
重い足音は縁側づたいに遠ざかり、
(ーーにわさきにおりると、ーーとおりへとでていき)
ーー庭先に降りると、ーー通りへと出ていき
(ーーやがてきえました。)
ーーやがて消えました。
(ふときがつくと、)
ふと気がつくと、
(あたまのりょうがわからなまあたたかいものがたれおちています。)
頭の両側から生あたたかいものが垂れ落ちています。
(それでも、ほういちはてをあげようともしませんでした。)
それでも、芳一は手を上げようともしませんでした。
(おしょうはよあけまえにかえってきました。)
和尚は夜明け前に帰ってきました。
(すぐさまうらてにまわり、えんがわへいそごうとしたひょうしに、)
すぐさま裏手にまわり、縁側へ急ごうとした拍子に、
(なにやらべとべとするものにあしをすべらせました。)
何やらべとべとする物に足をすべらせました。
(そして、きょうふのさけびをあげました。)
そして、恐怖の叫びをあげました。
(ちょうちんのあかりにてらしてみると、それはちだったのです。)
提灯の明かりにてらしてみると、それは血だったのです。
(そこで、あちらにめをやると、)
そこで、あちらに目をやると、
(ほういちはめいそうのしせいで、じっとすわったままでーー)
芳一は瞑想の姿勢で、じっと座ったままでーー
(そのりょうみみのあたりからまだちがながれでております。)
その両耳のあたりからまだ血が流れ出ております。
(「ほういち」)
「芳一」
(おしょうはぎょっとしてこえをだしました。)
和尚はぎょっとして声を出しました。
(「これはかわいそうに、なんとした。)
「これはかわいそうに、なんとした。
(・・・こんなにひどくけがをして・・・」)
・・・こんなにひどく怪我をして・・・」
(おしょうのこえをきいて、もうじんはたすかったとおもいました。)
和尚の声を聞いて、盲人は助かったと思いました。
(そのまま、わっとなきふすと、)
そのまま、わっと泣き伏すと、
(なみだながらにさくやのおそろしいできごとをかたりました。)
涙ながらに昨夜の恐ろしい出来事を語りました。
(「ああ、なんとかわいそうに、ほういち」)
「ああ、なんとかわいそうに、芳一」
(おしょうはおおごえをあげました。)
和尚は大声を上げました。
(「これは、わしがわるかった。)
「これは、わしが悪かった。
(ほんとうに、このわしがわるかった。)
ほんとうに、このわしが悪かった。
(おまえのからだじゅう、くまなくきょうもんをかいたつもりでおったが、)
おまえの身体じゅう、隈なく経文を書いたつもりでおったが、
(みみをわすれてしもうた。)
耳を忘れてしもうた。
(そこはこぞうにまかせっきりで、じぶんでたしかめもせなんだのは、)
そこは小僧にまかせっきりで、自分で確かめもせなんだのは、
(まったくこのわしがうかつじゃった。)
まったくこのわしが迂闊じゃった。
(・・・だが、いまさらどうにもなるものではない。)
・・・だが、いまさらどうにもなるものではない。
(ーーこのうえは、いちにちもはやくそのきずをなおすことをこころがけることじゃ。)
ーーこの上は、一日も早くその傷を治すことを心がけることじゃ。
(・・・さあ、ほういちや、げんきをだすがいい。)
・・・さあ、芳一や、元気を出すがいい。
(もうなんはさったのだ。)
もう難は去ったのだ。
(これからはにどとあんなもうじゃどもにくるしめられることはないからの」)
これからは二度とあんな亡者どもに苦しめられることはないからの」
(りょういのてあてをうけて、ほういちのきずはまもなくなおりました。)
良医の手当を受けて、芳一の傷は間もなく直りました。
(そのみにふりかかったふしぎなできごとのうわさは、)
その身に降りかかった不思議な出来事の噂は、
(つつうらうらにひろまり、ほういちのなはたちまちゆうめいになりました。)
津々浦々に広まり、芳一の名はたちまち有名になりました。
(かずおおくのきじんがそのびわをききに、)
数多くの貴人がその琵琶を聞きに、
(つぎつぎとあかまがせきをおとずれました。)
次々と赤間ヶ関を訪れました。
(そのおかげでほういちはあまたのきんぴんをおくられて、)
そのおかげで芳一はあまたの金品を贈られて、
(ふゆうのみになりました。)
富裕の身になりました。
(ーーけれども、あのふしぎなできごとがあってからというもの、)
ーーけれども、あの不思議な出来事があってからというもの、
(ほういちはもっぱら「みみなしほういち」というなで)
芳一はもっぱら「耳なし芳一」という名で
(よにしられるようになったのであります。)
世に知られるようになったのであります。