夢十夜 3
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問題文
(だいふたや)
第二夜
(こんなゆめをみた。)
こんな夢を見た。
(おしょうのむろをさがって、ろうかづたいにじぶんのへやへかえると)
和尚の室を退がって、廊下伝いに自分の部屋へ帰ると
(あんどんがぼんやりともっている。)
行灯がぼんやり点っている。
(かたひざをざぶとんのうえについて、とうしんをかきたてたとき)
片膝を座布団の上に突いて、灯心を掻き立てたとき
(ばなのようなちょうじがぱたりとしゅぬりのだいにおちた。)
花のような丁子がぱたりと朱塗の台に落ちた。
(どうじにへやがぱっとあかるくなった。)
同時に部屋がぱっと明るくなった。
(ふすまのえはぶそんのふでである。くろいやなぎをこくうすく、えんきんとかいて)
襖の画は蕪村の筆である。黒い柳を濃く薄く、遠近とかいて
(さむそうなぎょふがかさをかたむけてどてのうえをとおる。)
寒そうな漁夫が笠を傾けて土手の上を通る。
(ゆかにはかいちゅうもんじゅのじくがかかっている。)
床には海中文殊の軸が懸かっている。
(たきのこしたせんこうがくらいほうでいまだににおっている。)
焚き残した線香が暗い方でいまだに臭っている。
(ひろいてらだからしんかんとして、にんきがない。)
広い寺だから森閑として、人気がない。
(くろいてんじょうにさすまるあんどんのまるいかげがあおむくとたんにいきているようにみえた。)
黒い天井に差す丸行灯の丸い影が仰向く途端に生きているように見えた。
(たてひざをしたまま、ひだりのてでざぶとんをまくって、みぎをさしこんでみると、)
立膝をしたまま、左の手で座布団を捲って、右を差し込んで見ると、
(おもったところに、ちゃんとあった。あればあんしんだから)
思った所に、ちゃんとあった。あれば安心だから
(ふとんをもとのごとくなおして、そのうえにどっかりすわった。)
蒲団をもとのごとく直して、その上にどっかり坐った。
(おまえはさむらいである。さむらいならさとれぬはずはなかろうとおしょうがいった。)
お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚が云った。
(そういつまでもさとれぬところをもってみるとおまえはさむらいではあるまいといった。)
そういつまでも悟れぬところをもって見ると御前は侍ではあるまいと言った。
(にんげんのくずじゃといった。ははあいかったなといってわらった。)
人間の屑じゃと云った。ははあ怒ったなと云って笑った。
(くやしければさとったしょうこをもってこいといってぷいっとむきをむいた。)
口惜しければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいっと向を向いた。
(けしからん。となりのひろまのゆかにすえてあるおきどけいがつぎのときをうつまでには)
怪しからん。隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには
(きっとさとってみせる。さとったうえで、こんやまたにゅうしつをする。)
きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室をする。
(そうしておしょうのくびとさとりとひきかえにしてやる。)
そうして和尚の首と悟りと引替えにしてやる。
(さとらなければ、おしょうのいのちがとれない。)
悟らなければ、和尚の命が取れない。
(どうしてもさとらなければならない。じぶんはさむらいである。)
どうしても悟らなければならない。自分は侍である。
(もしさとれなければじじんする。さむらいがはずかしめられて)
もし悟れなければ自刃する。侍が辱められて
(いきているわけにはいかない。きれいにしんでしまう。)
生きている訳にはいかない。綺麗に死んでしまう。