嫁取婿取 24
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問題文
(てつびんやとめがねや)
鉄瓶屋と眼鏡屋
(やましたふさいはみょうなおしもんどうをしている。「うれないよ」)
山下夫妻は妙な押し問答をしている。「売れないよ」
(「うれないことはありませんわ」「うれない。ほかのしなものとはせいしつがちがう」)
「売れないことはありませんわ」「売れない。他の品物とは性質が違う」
(「せいしつがちがってもひつようひんですもの、うれないってことはありませんわ」)
「性質が違っても必要品ですもの、売れないってことはありませんわ」
(「いえをごらん。せたいをもったときにかったのをいまだにつかっている」)
「家を御覧。世帯を持った時に買ったのを未だに使っている」
(「いいえ、あれからかいましたわ。これはにんずうがふえてさきのじゃ)
「いいえ、あれから買いましたわ。これは人数が殖えて先のじゃ
(まにあわなくなったとき、かったんでございますよ。)
間に合わなくなった時、買ったんでございますよ。
(あなたはわすれていらっしゃるんです」)
あなたは忘れていらっしゃるんです」
(「それにしても、ふたつだろう?あとにもさきにも」「はあ」)
「それにしても、二つだろう?後にも先にも」「はあ」
(「ふたりでふたつというと、ひとりでひとつだ。じんせいにいっぺんしかかわない」)
「二人で二つというと、一人で一つだ。人生に一遍しか買わない」
(「てつびんやのほうからいえば、いっせたいにふたつうれていますわ。)
「鉄瓶屋の方から言えば、一世帯に二つ売れていますわ。
(うれないってことはございませんよ」)
売れないってことはございませんよ」
(「ぜったいにうれないとはいってない。うれがとおいというんだ」と)
「絶対に売れないとは言ってない。売れが遠いと言うんだ」と
(てつびんがうれるかうれないかのそうぎである。)
鉄瓶が売れるか売れないかの争議である。
(「わかりましたよ。あなたのおこころもちがすっかりわかりました」「そうさ」)
「分かりましたよ。あなたのお心持がすっかり分かりました」「そうさ」
(「わたし、まだなんとももうしあげていませんわ」)
「私、まだ何とも申し上げていませんわ」
(「おなじしょうにんでもさかなやなんかはしなものがすぐきえてしまってあとがきくから)
「同じ商人でも魚屋なんかは品物が直ぐ消えてしまって後が利くから
(はんじょうする。てつびんはいっぺんかえば、ししそんそんのだいまである。)
繁盛する。鉄瓶は一遍買えば、子々孫々の代まである。
(そのあたりのどうりがわかればよいのさ」)
その辺りの道理が分かれば良いのさ」
(「いいえ、そうじゃございませんわ。ていだいでないから)
「いいえ、そうじゃございませんわ。帝大でないから
(おきにめさないんですわ」)
お気に召さないんですわ」
(「そんなことないよ。ていだいもしょうだいもだいがくにかわりはない」)
「そんなことないよ。帝大も商大も大学に変わりはない」
(「いいえ、それをしゅんいちとわたしとでむりにもうしあげたものですから)
「いいえ、それを俊一と私とで無理に申し上げたものですから
(こんどはしょうばいにけちをおつけになるんですわ」)
今度は商売にケチをおつけになるんですわ」
(「そうきょっかいしちゃこまる。よのなかにははんじょうするせいしつのしょうばいとしんだいかぎりをする)
「そう曲解しちゃ困る。世の中には繁盛する性質の商売と身代限りをする
(せいしつのしょうばいがある。やすこのいっしょうにかんけいすることだから)
性質の商売がある。安子の一生に関係することだから
(そこをよおくかんがえてみろというんだ」)
そこをよおく考えて見ろと言うんだ」
(「てつびんやだからしんだいかぎりするってりくつはございませんよ」)
「鉄瓶屋だから身代限りするって理屈はございませんよ」
(「いまもはなしてきかせたとおり、しなもののせいしつじょう)
「今も話して聴かせた通り、品物の性質上
(さかなやほどははんじょうしないにきまっている」)
魚屋ほどは繁盛しないに決まっている」
(「それじゃあなたはさかなやからもらいにくれば、やすこをおあげになりますか?」)
「それじゃあなたは魚屋から貰いにくれば、安子をお上げになりますか?」
(「やるとも。ていだいでのさかなやをつれてきなさい。よろこんでやる」と)
「やるとも。帝大出の魚屋をつれて来なさい。喜んでやる」と
(やましたさんはできないそうだんをする。)
山下さんは出来ない相談をする。
(「それであなたはきょうとへやることにはごふどういでございますのね?」)
「それであなたは京都へやることには御不同意でございますのね?」
(「どういもふどういもない」「なんでございますの?それなら」)
「同意も不同意もない」「なんでございますの?それなら」
(「まだはなしがはじまったばかりでかんがえちゅうだ」)
「まだ話が始まったばかりで考え中だ」
(「またおてまがかかりますのね」とふじんはやましたさんのしょうぶんをしっている。)
「又お手間がかかりますのね」と夫人は山下さんの性分を知っている。
(さあたりはそのままにした。)
差当りはそのままにした。
(このえんだんはれいのなこうどどうらくのきぬがささんがもちこんだのである。)
この縁談は例の仲人道楽の衣笠さんが持ち込んだのである。
(ついさきごろもひとつあったが、おもわしくないのですぐおことわりしてしまった。)
つい先頃も一つあったが、思わしくないので直ぐお断りしてしまった。
(はるこさんのときいらい、きぬがささんはこれでよっつめだ。)
春子さんの時以来、衣笠さんはこれで四つ目だ。
(さんどめのしょうじきをとおりこしているからいっしょうけんめいになっている。)
三度目の正直を通り越しているから一生懸命になっている。
(ちゅうもんがむずかしい。)
注文がむずかしい。
(ていだいしゅっしんでせいせきゆうりょうのものというのだからしなふっていをまぬかれない。)
帝大出身で成績優良のものというのだから品払底を免れない。
(「しょうだいでならかなりのがありますが、いかでございましょうか?」と)
「商大出ならかなりのがありますが、如何でございましょうか?」と
(きぬがささんはだいじをとって、あらかじめでんわでといあわせた。)
衣笠さんは大事を取って、予め電話で問い合わせた。
(「けっこうでございましょう。かんりつならもんくはもうさせませんわ」と)
「結構でございましょう。官立なら文句は申させませんわ」と
(やましたふじんがこたえた。「せいせきはなかどころでございます」)
山下夫人が答えた。「成績は中どころでございます」
(「どこにつとめていらっしゃいますの?」)
「何処に勤めていらっしゃいますの?」
(「しようにんじゃありません。じかえいぎょうですばらしいんですよ」)
「使用人じゃありません。自家営業で素晴らしいんですよ」
(「なにごしょうばいでいらっしゃいますか?」)
「何御商売でいらっしゃいますか?」
(「くわしいことはおめにかかってもうしあげましょう。)
「詳しいことはお目にかかって申し上げましょう。
(こんばんごつごうはいかでございましょうか?」と)
今晩ご都合は如何でございましょうか?」と
(いくらなこうどやでもでんわでえんだんでもあるまい。)
幾ら仲人屋でも電話で縁談でもあるまい。
(「けっこうでございますが、なんならこちらからうかがわせましょうか?」)
「結構でございますが、何なら此方から伺わせましょうか?」
(「いや、それにはおよびません。おふたかたにきいていただくほうがはやわかりですから)
「いや、それには及びません。お二方に聴いて戴く方が早分りですから
(ぜひ、わたしからうかがいます」)
是非、私から伺います」
(「それではおまちもうしあげます。まいど、おそれいりますわね。)
「それではお待ち申し上げます。毎度、恐れ入りますわね。
(わがままばかりもうしあげてほんとうに」とやましたふじんはきのどくになった。)
我儘ばかり申し上げて本当に」と山下夫人は気の毒になった。
(ていだいもしょうだいもひとしくかんりつだから、にしゃのあいだにじょうげのさべつはない。)
帝大も商大も等しく官立だから、二者の間に上下の差別はない。
(きぬがささんはねんのためにといあわせたが、もとよりそのつもりだから)
衣笠さんは念の為に問い合わせたが、素よりそのつもりだから
(へきとうだいいちに「がくれきはごちゅうもんどおりですよ。しょうかだいがくをかなりのところで)
劈頭第一に「学歴は御註文通りですよ。商科大学をかなりのところで
(でています」ときりだした。)
出ています」と切り出した。
(「ははあ、ていだいじゃないんですか?」とやましたさんはすでにふじんからきいて)
「ははあ、帝大じゃないんですか?」と山下さんは既に夫人から聞いて
(しっているくせに、もうくじょうめいた.)
知っているくせに、もう苦情めいた.
(そういうわからずやをあいてに、ななじゅうのひざをはちじゅうにおっても)
そういう分からず屋を相手に、七十の膝を八重に折っても
(おせわをしようというのだからきぬがささんもいっしゅのびょうきだ。)
お世話をしようというのだから衣笠さんも一種の病気だ。