半七捕物帳 山祝いの夜3

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第14話

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(「ちげえねえ。こもりさんのやしきのしちぞうか。てめえ、わたりもののようでもねえ、)

「ちげえねえ。小森さんの屋敷の七蔵か。てめえ、渡り者のようでもねえ、

(あんまりせけんのぎりをしらねえやろうだ」)

あんまり世間の義理を知らねえ野郎だ」

(「だからこんやはあやまっている。あにい、おがむからたすけてくんねえ」)

「だから今夜はあやまっている。大哥、拝むから助けてくんねえ」

(「てめえにおがみたおされるおれじゃあねえ。いやだ、いやだ」)

「てめえに拝み倒されるおれじゃあねえ。嫌だ、嫌だ」

(たきちはごうじょうにはねつけているのをききかねて、はんしちはくちをだした。)

多吉は強情に跳ね付けているのを聞きかねて、半七は口を出した。

(「まあ、そういろけのねえことをいうなよ。そこで、しちぞうさんというあにいは)

「まあ、そう色気のねえことを云うなよ。そこで、七蔵さんという大哥は

(わたしたちになんのようがあるんです。わたしはかんだのはんしちというものです」)

わたし達になんの用があるんです。わたしは神田の半七という者です」

(「やあ、どうも・・・・・・」と、しちぞうはあらためてえしゃくした。)

「やあ、どうも……」と、七蔵はあらためて会釈した。

(「おやぶん、ごしょうだからたすけておくんなせえ」)

「親分、後生だから助けておくんなせえ」

(「どうすりゃあおまえさんがたすかるんだ」)

「どうすりゃあお前さんが助かるんだ」

(「じつはだんながわたしをてうちにして、じぶんもはらをきるというんで・・・・・・」)

「実は旦那が私を手討ちにして、自分も腹を切るというんで……」

(「ふむう」 これにははんしちもおどろかされた。どんなじじょうがあるかしらないが、)

「ふむう」 これには半七もおどろかされた。どんな事情があるかしらないが、

(ぶしがけらいをてうちにしてじぶんもはらをきる、それはよういならないことだと)

武士が家来を手討ちにして自分も腹を切る、それは容易ならないことだと

(おもった。たきちもさすがにびっくりして、ぎょうぎのわるいひざをたてなおしていった。)

思った。多吉もさすがにびっくりして、行儀の悪い膝を立て直して云った。

(「まあかやへはいれ。いったいそりゃあどういうりくつだ」)

「まあ蚊帳へはいれ。一体そりゃあどういう理窟だ」

(しちぞうのしゅじんのこもりいちのすけというのは、ことしまだはたちのわかざむらいであった。)

二 七蔵の主人の小森市之助というのは、今年まだ二十歳の若侍であった。

(かれはごようのどうちゅうで、せんげつのはじめにえどをたってすんぷへいった。)

かれは御用の道中で、先月のはじめに江戸をたって駿府へ行った。

(そのかえりに、ゆうべはみしまのほんじんへとまると、どうらくもののしちぞうは)

その帰りに、ゆうべは三島の本陣へ泊ると、道楽者の七蔵は

(きんじょをけんぶつするとかいってやどをでて、しゅくのじょろうやをさがしにゆくとちゅうで、)

近所を見物するとか云って宿を出て、駅の女郎屋をさがしにゆく途中で、

(ひとりのおとこにこえをかけられた。おとこはさんじゅうごろくのこいきなあきんどふうで、)

一人の男に声をかけられた。男は三十五六の小粋な商人風で、

など

(すげがさをてにもってちいさいにもつをふりわけにかついでいた。)

菅笠を手に持って小さい荷物を振り分けにかついでいた。

(かれはしちぞうをぶけのけらいとしってよびとめたのであった。)

彼は七蔵を武家の家来と知って呼び止めたのであった。

(おとこはしちぞうになれなれしくはなしをしかけた。ここのしゅくではなんというやどがよいかなどと)

男は七蔵になれなれしく話を仕掛けた。ここの駅では何という宿がよいかなどと

(きいた。そのうちにおとこはそこらでいっぱいのもうとさそった。わたりもののしちぞうは)

訊いた。そのうちに男はそこらで一杯飲もうと誘った。渡り者の七蔵は

(たいていそのいみをさっしたので、すぐにしょうちしてきんじょのこりょうりやへいっしょにいった。)

大抵その意味を察したので、すぐに承知して近所の小料理屋へ一緒に行った。

(ずうずうしいかれは、ひとのふるまいざけをえんりょなしにたらふくのんで、)

ずうずうしい彼は、ひとの振る舞い酒を遠慮なしに鱈腹飲んで、

(もういいこころもちによったころに、かれをさそったたびのおとこはこごえでいった。)

もういい心持に酔った頃に、かれを誘った旅の男は小声で云った。

(「ときにあにい。どうでしょう。あしたはおともをさせていただくわけには・・・・・・」)

「時に大哥。どうでしょう。あしたはお供をさせて頂くわけには……」

(おとこはせきしょのてがたをもっていないのである。こういうたびびとはおだわらやみしまのしゅくに)

男は関所の手形を持っていないのである。こういう旅人は小田原や三島の駅に

(さまよっていて、ぶけのけらいにいくらかのわいろをつかって、じぶんもりんじに)

さまよっていて、武家の家来に幾らかの賄賂をつかって、自分も臨時に

(そのけらいのひとりにくわえてもらって、ぶじにはこねのせきをこそうというのである。)

その家来の一人に加えて貰って、無事に箱根の関を越そうというのである。

(もちろん、てがたにはしゅじんのほかけらいなんにんとしるしてあるが、にもつがおおくなったので)

勿論、手形には主人のほか家来何人としるしてあるが、荷物が多くなったので

(りんじににかつぎのにんげんをやとったといえば、たいていぶじにつうかすることを)

臨時に荷かつぎの人間を雇ったといえば、大抵無事に通過することを

(ゆるされていた。ことにごようのどうちゅうなどをするものにたいしては、せきしょでもめんどうな)

許されていた。殊に御用の道中などをする者に対しては、関所でも面倒な

(せんぎをしなかった。このおとこもそれをしっていて、あしただけのともを)

詮議をしなかった。この男もそれを知っていて、あしただけの供を

(しちぞうにたのんだのであった。)

七蔵に頼んだのであった。

(おおかたそんなことであろうかと、しちぞうもさいしょからすいりょうしていたので、)

大方そんなことであろうかと、七蔵も最初から推量していたので、

(かれはそのおとこからさんぶのぜにをもらってすぐにのみこんで、あしたのあけむつまでに)

彼はその男から三分の銭を貰ってすぐに呑み込んで、あしたの明け六ツまでに

(ほんじんへたずねてくるようにやくそくして、かれはそのおとことわかれた。)

本陣へたずねて来るように約束して、彼はその男と別れた。

(こういうことはぶけのいっしゅのやくとくにもなっていたので、よほどげんかくな)

こういうことは武家の一種の役得にもなっていたので、よほど厳格な

(しゅじんでないかぎりはまずおおめにみのがしておくならいになっていた。)

主人でない限りはまず大眼に見逃しておく習いになっていた。

(ことにしちぞうのしゅじんのいちのすけはまだじゃくねんであるので、もちろんそんなことは)

殊に七蔵の主人の市之助はまだ若年であるので、勿論そんなことは

(けらいまかせにしておいた。)

家来まかせにして置いた。

(あくるあさになると、そのおとこはやくそくのとおりにきた。)

あくる朝になると、その男は約束の通りに来た。

(「わたくしはきさぶろうともうします。なにぶんねがいます」)

「わたくしは喜三郎と申します。なにぶん願います」

(かれはいちのすけのまえにもあいさつした。そうして、かたちばかりのにもつをかつがせて)

彼は市之助のまえにも挨拶した。そうして、型ばかりの荷物をかつがせて

(もらって、かれはいちのすけしゅじゅうのあとについてでた。かれはなかなか)

貰って、かれは市之助主従のあとに付いて出た。彼はなかなか

(たびなれているとみえて、とうげへのぼるあいだもいろいろのどうちゅうのはなしなどを)

旅馴れているとみえて、峠へのぼる間もいろいろの道中の話などを

(かるくちにしゃべって、しゅじゅうのつかれをわすれさせた。いちのすけもかれを)

軽口にしゃべって、主従の疲れを忘れさせた。市之助も彼を

(おもしろいやつだといった。)

面白い奴だと云った。

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