半七捕物帳 筆屋の娘1
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問題文
(ひさしぶりではんしちろうじんにあうと、それがまたやみつきになって、)
一 久し振りで半七老人に逢うと、それがまた病みつきになって、
(わたしはむやみにろうじんのはなしがききたくなった。「ちょうがっせん」のはなしをきいたのち)
わたしはむやみに老人の話が聴きたくなった。「蝶合戦」の話を聞いたのち
(し、ごにちをへて、わたしはこのあいだのれいながらにあかさかへたずねてゆくと、)
四、五日を経て、わたしはこの間の礼ながらに赤坂へたずねてゆくと、
(ろうじんはえんがわにでてきんぎょばちのみずをかえていた。けさもすこしかげって、)
老人は縁側に出て金魚鉢の水を替えていた。けさも少し陰って、
(せまいにわのあおばはあめをまつように、あたまをうなだれて、うすぐらいかげをつくっていた。)
狭い庭の青葉は雨を待つように、頭をうなだれて、うす暗いかげを作っていた。
(「あなたはつけがわるい。きょうもふられそうですぜ」と、はんしちろうじんは)
「あなたはつけが悪い。きょうも降られそうですぜ」と、半七老人は
(わらっていた。)
笑っていた。
(きんぎょのてがえしはつゆのうちがいちばんむずかしいなどというはなしがでた。)
金魚の手がえしは梅雨のうちが一番むずかしいなどという話が出た。
(それからだんだんにいとをひいて、わたしはいつものはなしのほうへひきよせてゆくと、)
それからだんだんに糸を引いて、わたしはいつもの話の方へ引き寄せてゆくと、
(ろうじんは「またですかい」ともいわずに、けさはじぶんからすすんですらすらと)
老人は「またですかい」とも云わずに、けさは自分から進んですらすらと
(はなしだした。)
話し出した。
(「あれはいつでしたっけね」と、ろうじんはめをつぶりながらかんがえていた。)
「あれはいつでしたっけね」と、老人は眼をつぶりながら考えていた。
(「そうです、そうです。あのたろういなりがはやりだしたとしですから)
「そうです、そうです。あの太郎稲荷がはやり出した年ですから
(けいおうさんねんのはちがつ、まだざんしょのつよいじぶんでした。ごぞんじでしょう。)
慶応三年の八月、まだ残暑の強い時分でした。御存知でしょう。
(あさくさたんぼのたろうさまを・・・・・・。あのおいなりさまはたちばなさまのしもやしきにあって、)
浅草田圃の太郎様を……。あのお稲荷様は立花様の下屋敷にあって、
(ひとときひどくすたれていたんですが、どういうわけかこのとしになってにわかにはんじょうして、)
一時ひどく廃れていたんですが、どういう訳かこの年になって俄かに繁昌して、
(きんじょへちゃみせやくいものやがたくさんにみせをだして、さんけいにんがまいにちぞろぞろ)
近所へ茶店や食い物屋がたくさんに店を出して、参詣人が毎日ぞろぞろ
(おしかけるというさわぎでしたが、いちねんぐらいでまたぱったりとさびしくなりました。)
押し掛けるという騒ぎでしたが、一年ぐらいで又ぱったりと寂しくなりました。
(かみさまにもはやりすたりがあるからふしぎですね。いや、そんなことはまあ)
神様にも流行り廃りがあるから不思議ですね。いや、そんなことはまあ
(どうでもいいとして、これからおはなしするのはけいおうさんねんのはちがつはじめのことで、)
どうでもいいとして、これからお話しするのは慶応三年の八月はじめのことで、
(したやのこうとくじまえのふでやのむすめがとんししたんです。ごしょうちのとおり、したやからあさくさへ)
下谷の広徳寺前の筆屋の娘が頓死したんです。御承知の通り、下谷から浅草へ
(つづいているこうとくじまえのおおどおりは、むかしからおてらのおおいところでして、)
つづいている広徳寺前の大通りは、昔からお寺の多いところでして、
(それにつれてころもややじゅずやのたぐいもたくさんありましたが、)
それに連れて法衣屋や数珠屋のたぐいもたくさんありましたが、
(そのなかにに、さんけんのふでやがありました。そのふでやのなかでもとうざんどうというみせが)
そのなかに二、三軒の筆屋がありました。その筆屋のなかでも東山堂という店が
(いちばんはんじょうしていました。はんじょうするにはわけがあるので、はははははは」)
一番繁昌していました。繁昌するにはわけがあるので、はははははは」
(「どういうわけがあるんです」)
「どういう訳があるんです」
(「そこにきょうだいのむすめがありましてね。あねはそのころじゅうはちでなはおまん、)
「そこに姉妹の娘がありましてね。姉はその頃十八で名はおまん、
(いもうとのほうはじゅうろくでおとしといっていましたが、きょうだいともにいろじろのきりょうよしで・・・・・・。)
妹の方は十六でお年と云っていましたが、姉妹ともに色白の容貌好しで……。
(まあ、そういうかんばんがふたりすわっていれば、みせはしぜんとはんじょうするわけですが、)
まあ、そういう看板がふたり坐っていれば、店は自然と繁盛するわけですが、
(まだそのほかにひでんがあるので・・・・・・。だれでもそのみせへいってふでをかいますと、)
まだ其のほかに秘伝があるので……。誰でもその店へ行って筆を買いますと、
(むすめたちがきっとそのほをなめて、したのさきでけをそろえて、さやにいれて)
娘達がきっとその穂を舐めて、舌の先で毛を揃えて、鞘に入れて
(わたしてくれるんです。しろいけのふでをかえば、くちべにのあとまでがほんのりと)
渡してくれるんです。白い毛の筆を買えば、口紅の痕までがほんのりと
(のこっていようというわけですから、わかいひとたちはみんなうれしがります。)
残っていようという訳ですから、若い人達はみんな嬉しがります。
(それがひょうばんになって、きんじょのおてらのぼうさんやほんごうからしたやあさくさかいわいの)
それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の
(やしきものなどが、わざわざこのとうざんどうまでやってきて、うつくしいむすめのなめてくれた)
屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘の舐めてくれた
(ふでをかっていくというわけで、だれがいいだしたともなしに、「なめふで」というなを)
筆を買って行くという訳で、誰が云い出したとも無しに、『舐め筆』という名を
(つけられてしまって、こうとくじまえのひとつのめいぶつのようになっていたんです。)
付けられてしまって、広徳寺前の一つの名物のようになっていたんです。
(そのあねむすめがきゅうにしんだのですから、きんじょではだいひょうばんでしたよ」)
その姉娘が急に死んだのですから、近所では大評判でしたよ」