半七捕物帳 津の国屋4

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第16話

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問題文

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(よつやのおおどおりをいきつくすと、どうしてもくらいさびしいおほりばたをとおらなければ)

四谷の大通りを行き尽くすと、どうしても暗い寂しい御堀端を通らなければ

(ならない。もじはるはいいしれないふあんにおそわれながら、あかるいりょうがわのあかりを)

ならない。文字春は云い知れない不安に襲われながら、明るい両側の灯を

(うしろにみて、おほりばたをみぎにきれると、むすめはやはりうつむいてかのじょについてきた。)

うしろに見て、御堀端を右に切れると、娘はやはり俯向いて彼女について来た。

(まつだいらさどのかみのやしきまえをゆきすぎて、あいのばばまできかかったときに、むすめのすがたは)

松平佐渡守の屋敷前をゆき過ぎて、間の馬場まで来かかった時に、娘のすがたは

(くらいなかにふっときえてしまった。おどろいてさゆうをみまわしたが、どこにも)

暗い中にふっと消えてしまった。おどろいて左右を見まわしたが、どこにも

(みえない。よんでみたがへんじもない。ころげるようにもときたほうめんへひっかえして、)

見えない。呼んでみたが返事もない。転げるように元来た方面へ引っ返して、

(おおどおりのあかるいところへにげてきた。 「おい、ししょう。どうした」)

大通りの明るいところへ逃げて来た。 「おい、師匠。どうした」

(こえをかけられてよくみると、それはどうちょうないにすんでいるだいくのかねきちであった。)

声をかけられてよく視ると、それは同町内に住んでいる大工の兼吉であった。

(「あ、とうりょう」)

「あ、棟梁」

(「どうした。ひどくいきをきって、なにかいたずらものにでもでっくわしたのかえ」)

「どうした。ひどく息を切って、何かいたずら者にでも出っ食わしたのかえ」

(「え。そうじゃないけれど・・・・・・」と、もじはるはいきをはずませながらいった。)

「え。そうじゃないけれど……」と、文字春は息をはずませながら云った。

(「おまえさん、ちょうないへかえるんでしょう」)

「おまえさん、町内へ帰るんでしょう」

(「そうさ。ともだちのところへいって、しょうぎをさしていておそくなっちまったのさ。)

「そうさ。友達のところへ行って、将棋をさしていて遅くなっちまったのさ。

(ししょうはいったいどっちのほうがくへいくんだ」)

師匠は一体どっちの方角へ行くんだ」

(「あたしもうちへかえるの。ごしょうだからいっしょにいってくださいな」)

「あたしも家へ帰るの。後生だから一緒に行ってくださいな」

(かねきちはもうごじゅうばかりであるが、おとこでもあり、しょくにんでもあり、こういうときの)

兼吉はもう五十ばかりであるが、男でもあり、職人でもあり、こういう時の

(みちづれにはくっきょうだとおもわれたので、もじはるはほっとしていっしょにあるきだした。)

道連れには屈竟だと思われたので、文字春はほっとして一緒にあるきだした。

(それでもばばのまえをとおりぬけるときにはえりもとからみずをあびせられるように)

それでも馬場の前を通りぬけるときには襟元から水を浴びせられるように

(みをちぢめながらあるいた。さっきからのようすがおかしいので、かねきちは)

身をちぢめながら歩いた。さっきからの様子がおかしいので、兼吉は

(なにかしさいがあるらしくおもって、くらいほりばたをあるきながらだんだんききだすと、)

なにか仔細があるらしく思って、暗い堀端を歩きながらだんだん聞き出すと、

など

(もじはるはこえをしのばせながらいっさいのじじょうをはなした。)

文字春は声を忍ばせながら一切の事情を話した。

(「あたしはさいしょからなんだかきみがわるくってしようがなかったんですよ。)

「あたしは最初からなんだか気味が悪くってしようがなかったんですよ。

(べつにこうということもないんですけれど、ただなんだかいやなこころもちで・・・・・・。)

別にこうということもないんですけれど、唯なんだか忌な心持で……。

(そうすると、とうとうとちゅうでふいときえてしまうんですもの。あたしはむちゅうで)

そうすると、とうとう途中でふいと消えてしまうんですもの。あたしは夢中で

(よつやのほうへにげだして、これからどうしようかとおもっているところへちょうどとうりょうが)

四谷の方へ逃げだして、これからどうしようかと思っているところへ丁度棟梁が

(きてくれたので、あたしもいきかえったようなこころもちになったんですよ」)

来てくれたので、あたしも生きかえったような心持になったんですよ」

(「そりゃあすこしへんだ」と、かねきちもくらいなかでこえをひくめた。「ししょう。そのむすめは)

「そりゃあ少し変だ」と、兼吉も暗いなかで声を低めた。「師匠。その娘は

(じゅうろくしちで、しまだにゆっていたといったね」)

十六七で、島田に結っていたと云ったね」

(「そうよ。よくわからなかったけれど、いろのしろい、ちょいといいこの)

「そうよ。よく判らなかったけれど、色の白い、ちょいといい娘の

(ようでしたよ」 「なんでつのくにやへいくんだろう」)

ようでしたよ」 「なんで津の国屋へ行くんだろう」

(「おゆきさんにあいにいくんだって・・・・・・。おゆきさんにははじめてあうんだけれど、)

「お雪さんに逢いに行くんだって……。お雪さんには初めて逢うんだけれど、

(しんだねえさんにはあったことがあるようなことをいっていました」)

死んだ姉さんには逢ったことがあるようなことを云っていました」

(「むむう。そりゃあいけねえ」と、かねきちはためいきをついた。「またきたのか」)

「むむう。そりゃあいけねえ」と、兼吉は溜息をついた。「又来たのか」

(もじはるはとびあがって、かねきちのてをしっかりとつかんだ。かのじょはくちびるをふるわせて)

文字春は飛び上がって、兼吉の手をしっかりと摑んだ。彼女は唇をふるわせて

(きいた。 「じゃあ、とうりょう。おまえさん、あのむすめをしっているのかえ」)

訊いた。 「じゃあ、棟梁。おまえさん、あの娘を知っているのかえ」

(「むむ。かわいそうに、おゆきさんもながいことはあるめえ」)

「むむ。可哀そうに、お雪さんも長いことはあるめえ」

(もじはるはもうこえがでなくなった。かれはかねきちのてにしがみついままで、)

文字春はもう声が出なくなった。かれは兼吉の手に獅嚙みついたままで、

(ふるえながらひきずられていった。)

ふるえながら引き摺られて行った。

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