半七捕物帳 石燈籠7
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問題文
(こけにのこっているつまさきのあとはちいさかった。おとこならばしょうねんでなければ)
三 苔に残っている爪先の跡はちいさかった。男ならば少年でなければ
(ならない。はんしちはどうもおんなのあしあとらしいとみとめた。このくせものは)
ならない。半七はどうも女の足跡らしいと認めた。この曲者は
(よほどけいけんにとんだやつとそうぞうしていたはんしちのかんていははずれたらしい。)
よほど経験に富んだ奴と想像していた半七の鑑定は外れたらしい。
(おんなとすればやはりおきくであろうか。たといいしどうろうがあしがかりにしても、)
女とすればやはりお菊であろうか。たとい石燈籠が足がかりにしても、
(まちそだちのわかいむすめがこのたかべいをじゆうじざいにのぼりおりすることは、)
町育ちの若い娘がこの高塀を自由自在に昇り降りすることは、
(とてもできそうにはおもわれなかった。)
とても出来そうには思われなかった。
(はんしちはなにをかんがえたか、すぐにきくむらのみせをでて、げんだいのあさくさこうえんだいろっくを)
半七はなにを考えたか、すぐに菊村の店を出て、現代の浅草公園第六区を
(さらにふちつじょに、さらにいくばいもこんざつさせたようなりょうごくのひろこうじにむかった。)
更に不秩序に、更に幾倍も混雑させたような両国の広小路に向った。
(もうかれこれひるごろで、ひろこうじのしばいやよせも、むこうりょうごくの)
もうかれこれ午(ひる)頃で、広小路の芝居や寄席も、向う両国の
(みせものごやも、これからそろそろはやしたてようとするじこくであった。)
見世物小屋も、これからそろそろ囃し立てようとする時刻であった。
(むしろをたれたこやのまえには、よわよわしいふゆのひがほこりにまみれた)
むしろを垂れた小屋のまえには、弱々しい冬の日が塵埃(ほこり)にまみれた
(えかんばんをしろっぽくてらして、いろのさめたのぼりがさむいかわかぜに)
絵看板を白っぽく照らして、色のさめた幟(のぼり)が寒い川風に
(ふるえていた。ならびぢゃやのかどのやなぎがほねばかりにやせているのも、)
ふるえていた。列び茶屋の門(かど)の柳が骨ばかりに痩せているのも、
(ことしのふゆがひごとにくれてゆくくらいしもがれのこころもちをみせていた。)
今年の冬が日ごとに暮れてゆく暗い霜枯れの心持を見せていた。
(それでもばしょがらだけに、どこからかよせてくるひとのなみはしだいにおおきくなって)
それでも場所柄だけに、どこからか寄せて来る人の波は次第に大きくなって
(くるらしい。そのこんざつのなかをくぐりぬけて、はんしちはならびぢゃやのいっけんにはいった。)
来るらしい。その混雑の中をくぐりぬけて、半七は列び茶屋の一軒にはいった。
(「どうだい。あいかわらずはんじょうかね」)
「どうだい。相変わらず繁昌かね」
(「おやぶん、いらっしゃい」と、いろのしろいむすめがちゃをくんできた。)
「親分、いらっしゃい」と、色の白い娘が茶を汲んで来た。
(「おい、ねえさん。さっそくだがすこしききてえことがあるんだ。あのこやにでている)
「おい、姐さん。早速だが少し聞きてえことがあるんだ。あの小屋に出ている
(しゅんぷうこりゅうというおんなのかるわざし、あいつのていしゅは)
春風小柳(こりゅう)という女の軽業師(かるわざし)、あいつの亭主は
(なんといったっけね」)
何といったっけね」
(「ほほほほほ。あのひとはまだていしゅもちじゃありませんわ」)
「ほほほほほ。あの人はまだ亭主持ちじゃありませんわ」
(「ていしゅでもいろでもきょうだいでもかまわねえ。あのおんなについているおとこは)
「亭主でも情夫(いろ)でも兄弟でも構わねえ。あの女に付いている男は
(だれだっけね」)
誰だっけね」
(「きんさんのこってすか」と、むすめはわらいながらいった。)
「金さんのこってすか」と、娘は笑いながら云った。
(「そう、そう。きんじといったっけ。あいつのうちはむこうりょうごくだね。)
「そう、そう。金次といったっけ。あいつの家は向う両国だね。
(こりゅうもいっしょにいるんだろう」)
小柳も一緒にいるんだろう」
(「ほほ、どうですか」 「きんじはあいかわらずあそんでいるだろう」)
「ほほ、どうですか」 「金次は相変わらず遊んでいるだろう」
(「なんでももとはおおきいごふくやにほうこうしていたんだそうですが、)
「なんでも元は大きい呉服屋に奉公していたんだそうですが、
(こりゅうさんのところへたんものをもっていったのがえんになって・・・・・・。)
小柳さんのところへ反物をもって行ったのが縁になって……。
(こりゅうさんよりずっととしのわかい、おとなしそうなひとですよ」)
小柳さんよりずっと年の若い、おとなしそうな人ですよ」
(「ありがてえ。それだけわかりゃあいいんだ」)
「ありがてえ。それだけ判りゃあ好いんだ」
(はんしちはそこをでて、すぐそばのみせものごやにはいった。このこやは)
半七はそこを出て、すぐそばの見世物小屋にはいった。この小屋は
(かるわざしのいちざで、ぶたいではしゅんぷうこりゅうというおんながつなわたりやちゅうのりのきわどいきょくげいを)
軽業師の一座で、舞台では春風小柳という女が綱渡りや宙乗りのきわどい曲芸を
(えんじていた。こりゅうはしろいめんをかぶったようなあつげしょうをして、)
演じていた。小柳は白い仮面(めん)をかぶったような厚化粧をして、
(せいぜいわかわかしくみせているが、ほんとうのとしはもうさんじゅうに)
せいぜい若々しく見せているが、ほんとうの年齢(とし)はもう三十に
(ちかいかもしれない。すみでえがいたらしいこいまゆと、べにをまぶたに)
近いかも知れない。墨で描いたらしい濃い眉と、紅を眼縁(まぶた)に
(ぼかしたらしいうつくしいめとをたえずはたらかせながら、えんぎちゅうにもたすうの)
ぼかしたらしい美しい眼とを絶えず働かせながら、演技中にも多数の
(けんぶつにむかってしきりにいやしいこびをうっている。それがたまらなくおもしろい)
見物にむかって頻りに卑しい媚を売っている。それがたまらなく面白い
(もののように、けんぶつはくちをあいてみとれていた。はんしちはしばらく)
もののように、見物は口をあいてみとれていた。半七はしばらく
(ぶたいをみつめていたが、やがてまたここをでてむこうりょうごくへわたった。)
舞台を見つめていたが、やがて又ここを出て向う両国へ渡った。