106 スペイン異端審問
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ぽんこつラーメン | 5728 | A | 5.9 | 96.6% | 291.2 | 1728 | 60 | 41 | 2024/11/05 |
関連タイピング
-
プレイ回数145長文1035打
-
プレイ回数108長文684打
-
プレイ回数127長文388打
-
プレイ回数125長文1977打
-
プレイ回数145長文877打
-
プレイ回数203長文1143打
-
プレイ回数138長文701打
-
プレイ回数155長文684打
問題文
(1492ねんからの100ねんかんで、すぺいんは)
1492年からの100年間で、スペインは
(せかいさいきょうのくにになった。すぺいんじんの)
世界最強の国になった。スペイン人の
(こんきすたどーる(せいふくしゃ)たちは、)
コンキスタドール(征服者)たちは、
(しんたいりくでぺるーからきゅーばにいたるこうだいな)
新大陸でペルーからキューバに至る広大な
(りょういきをせいふくした。がれおんせんがきんぎんざいほうを)
領域を征服した。ガレオン船が金銀財宝を
(つんですぺいんのみなとにもどってくると、)
積んでスペインの港に戻ってくると、
(たちまちこくおうはしんじられないほどゆうふくになった。)
たちまち国王は信じられないほど裕福になった。
(すぺいんぐんは、こんにちのべるぎーとおらんだなど、)
スペイン軍は、今日のベルギーとオランダなど、
(にしよーろっぱのほかのちいきもしはいしていた。)
西ヨーロッパの他の地域も支配していた。
(すぺいんこくないでは、しゅうきょうてきじゅんかうんどうがいきおいを)
スペイン国内では、宗教的純化運動が勢いを
(ました。ゆだやきょうとを1492ねんについほうし、)
増した。ユダヤ教徒を1492年に追放し、
(いすらむきょうとにきりすときょうへかいしゅうするよう)
イスラム教徒にキリスト教へ改宗するよう
(めいじたのち、まどりーどのけんりょくしゃたちは、)
命じたのち、マドリードの権力者たちは、
(あらたにちからをえたじこくをけいけんなきりすときょうおうこくに)
新たに力を得た自国を敬虔なキリスト教王国に
(しようとけっしんした。すぺいんのせいしょくしゃの)
しようと決心した。スペインの聖職者の
(おおくは、きりすときょうにかいしゅうしたもとゆだやきょうとや)
多くは、キリスト教に改宗した元ユダヤ教徒や
(もといすらむきょうとがいまもひそかにいぜんのしんこうを)
元イスラム教徒が今もひそかに以前の信仰を
(まもっていて、すぺいんのしゅうきょうてきいったいせいを)
守っていて、スペインの宗教的一体性を
(おびやかしているのではないかとおそれていた。)
脅かしているのではないかと恐れていた。
(すぺいんいたんしんもんは、いたんをねこそぎにして、)
スペイン異端審問は、異端を根こそぎにして、
(いわゆる「にせかいしゅうしゃ」をばっすることをもくてきと)
いわゆる「偽改宗者」を罰することを目的と
(しており、しばしばいたんしゃはみのけもよだつ)
しており、しばしば異端者は身の毛もよだつ
(ようなほうほうでしょけいされた。よーろっぱのほかの)
ような方法で処刑された。ヨーロッパの他の
(かとりっくしょこくにもいたんしんもんのせいどは)
カトリック諸国にも異端審問の制度は
(あったが、すぺいんのいたんしんもんはきびしいうえに、)
あったが、スペインの異端審問は厳しい上に、
(そんぞくきかんがながかったことでしられていた。)
存続期間が長かったことで知られていた。
(いたんしんもんがさいごにいたんしゃを(こうしゅけいにより))
異端審問が最後に異端者を(絞首刑により)
(しょけいしたのは、1826ねんのことだった。)
処刑したのは、1826年のことだった。
(こんにち、すぺいんいたんしんもんは、あまりにも)
今日、スペイン異端審問は、あまりにも
(ねっきょうてきすぎるちゅうせいのしゅうきょうてきはくがいとへんきょうさの)
熱狂的すぎる中世の宗教的迫害と偏狭さの
(だいめいしになっている。とりわけゆだやきょうとが)
代名詞になっている。とりわけユダヤ教徒が
(ひょうてきとされ、よーろっぱのはんゆだやしゅぎが)
標的とされ、ヨーロッパの反ユダヤ主義が
(あおられた。しかし、これはすぺいんに)
あおられた。しかし、これはスペインに
(かぎったことではなかった。しゅうきょうにたんをはっする)
限ったことではなかった。宗教に端を発する
(ぼうりょくは、ちゅうせいではよーろっぱぜんどでつねに)
暴力は、中世ではヨーロッパ全土で常に
(みられたとくちょうだった。いぎりすでは、すうせんにんが)
見られた特徴だった。イギリスでは、数千人が
(まじょとしてしょけいされており、このあくへいは、)
魔女として処刑されており、この悪弊は、
(けいもうのじだいにはいってしんぽてきなしそうかたちが、)
啓蒙の時代に入って進歩的な思想家たちが、
(せいしょをもじどおりかいしゃくするのをきょひするように)
聖書を文字どおり解釈するのを拒否するように
(なって、ようやくじょじょにしたびになっていったに)
なって、ようやく徐々に下火になっていったに
(すぎなかった。)
すぎなかった。