119 善いサマリア人
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問題文
(よいさまりあじんは、せいしょちゅうでいえすがかたった、)
善いサマリア人は、聖書中でイエスが語った、
(たとえばなしのなかでもとくにゆうめいなはなしのひとつだ。)
たとえ話の中でも特に有名な話のひとつだ。
(るかによるふくいんしょにでてくるはなしで、いえすが)
ルカによる福音書に出てくる話で、イエスが
(でしたちにめざしてほしいとのぞんだあいのある)
弟子たちに目指してほしいと望んだ愛のある
(べきすがたがしめされている。)
べき姿が示されている。
(あるときりっぽうのせんもんかが、どうすればすくわれるのかと)
あるとき律法の専門家が、どうすれば救われるのかと
(いえすにたずねた。いえすはこたえるかわりに)
イエスに尋ねた。イエスは答える代わりに
(「りっぽうにはなんとかいてあるか」としつもんした。)
「律法には何と書いてあるか」と質問した。
(かれは、とーらーには「あなたのかみであるあるじを)
彼は、トーラーには「あなたの神である主を
(あいしなさい」「りんじんをじぶんのようにあいしなさい」)
愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」
(とかいてあるとこたえた。いえすは、そのおしえを)
と書いてあると答えた。イエスは、その教えを
(じっこうすればすくわれるといった。すると、)
実行すれば救われると言った。すると、
(このりっぽうのせんもんかは、「わたしのりんじんとは)
この律法の専門家は、「わたしの隣人とは
(だれですか」と、かくしんにせまるしつもんをした。)
誰ですか」と、核心に迫る質問をした。
(そこでいえすは、たとえばなしをはじめた。)
そこでイエスは、たとえ話を始めた。
(ひとりのたびびとがおいはぎにおそわれてふくを)
ひとりの旅人が追いはぎに襲われて服を
(はぎとられ、はんごろしにされたままどうろわきに)
はぎ取られ、半殺しにされたまま道路脇に
(たおれていた。そこへ、あるしさいがとおりかかったが、)
倒れていた。そこへ、ある司祭が通りかかったが、
(たびびとのひどいありさまをみると、さけてとおった。)
旅人のひどいありさまを見ると、避けて通った。
(つぎに、れびじん(べつのさいしかいきゅうのひと)がやってきたが、)
次に、レビ人(別の祭司階級の人)がやってきたが、
(かれもきずついたたびびとをむしした。さいごに)
彼も傷ついた旅人を無視した。最後に
(さまりあじんがとおりかかった。さまりあじんとは、)
サマリア人が通りかかった。サマリア人とは、
(とうじはいせきされきらわれていたみんぞくしゅうだんである。)
当時排斥され嫌われていた民族集団である。
(しかし、このたとえばなしによると、さまりあじんだけが)
しかし、このたとえ話によると、サマリア人だけが
(たびびとをたすけようとして、いふくをあたえてやど)
旅人を助けようとして、衣服を与えて宿
(としょくじをせわしたのだった。)
と食事を世話したのだった。
(いえすは、しつもんしてきたりっぽうのせんもんかにむかって、)
イエスは、質問してきた律法の専門家に向かって、
(さんにんのなかでたびびとをたすけるとはもっともかんがえられず、)
三人の中で旅人を助けるとは最も考えられず、
(たすけたところでえるものはなにひとつなかった)
助けたところで得るものは何ひとつなかった
(さまりあじんこそが、たびびとのりんじんであるとせつめいした。)
サマリア人こそが、旅人の隣人であると説明した。
(いえすはじぶんのかんがえをめいかくにつたえるために)
イエスは自分の考えを明確に伝えるために
(ちょうしゅうをおどろかせることがよくあった。)
聴衆を驚かせることがよくあった。
(これはそれをじつによくしめしているれいである。)
これはそれをじつによく示している例である。
(さまりあじんをたたえることは、こんにちではなんの)
サマリア人をたたえることは、今日では何の
(もんだいもないだろうが、とうじはおおきなしょうげきを)
問題もないだろうが、当時は大きな衝撃を
(まきおこしたとおもわれる。それによって、)
巻き起こしたと思われる。それによって、
(こまっているひとをたすけることのたいせつさと、)
困っている人を助けることの大切さと、
(じんるいはみなかたいきずなでむすばれていることを)
人類はみな固いきずなで結ばれていることを
(きょうちょうしたのである。)
強調したのである。
(よいさまりあじんのはなしは、るかによるふくいんしょの)
善いサマリア人の話は、ルカによる福音書の
(ひかくてきみじかいいっせつではあるが、きりすときょうとからも、)
比較的短い一節ではあるが、キリスト教徒からも、
(そうでないひとからも、しゅりゅうぶんかのなかに)
そうでない人からも、主流文化の中に
(うけいれられている。)
受け入れられている。