オ8 坂上由村麻呂
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問題文
(へいあんしょきのぶかん、さかのうえのたむらまろは、えみしせいばつや)
平安初期の武官、坂上田村麻呂は、蝦夷征伐や
(くすこのへんでぶくんをあげたじんぶつだ。)
薬子の変で武勲を挙げた人物だ。
(いじんにはちがいないが、なぜかこうせいでは)
偉人には違いないが、なぜか後世では
(でんせつがおおきくなりすぎてしまう。)
伝説が大きくなりすぎてしまう。
(えみしのあてるいや、ふじわらのくすこといったぎゃくぞくを)
蝦夷の阿弖流為や、藤原薬子といった逆賊を
(つぎつぎとうちとったたむらまろは、そのこうせきから、)
次々と討ち取った田村麻呂は、その功績から、
(こうねん、こっかのしゅごしゃ、ぐんしんとしてまつりたて)
後年、国家の守護者、軍神として祀りたて
(られるそんざいとなった。)
られる存在となった。
(そのけっか、いろいろでんしょうがかたられるうちに、)
その結果、いろいろ伝承が語られるうちに、
(かれをもでるにしつつ、こうねんのぶじんふじわらとしひとと)
彼をモデルにしつつ、後年の武人・藤原利仁と
(こんどうされた、さかのうえのたむらまるとしひとというでんせつじょうの)
混同された、坂上田村丸利仁という伝説上の
(ひーろーがたんじょう。こうねんになるほど、しじつとは)
ヒーローが誕生。後年になるほど、史実とは
(かけはなれたちょうじんてきなそんざいへとなっていった。)
かけ離れた超人的な存在へとなっていった。
(おそらくたむらまろでんせつでもっともゆうめいなのが、)
おそらく田村麻呂伝説でもっとも有名なのが、
(とうほくのあくろおうたいじだろう。あくろおうはえみしの)
東北の悪路王退治だろう。悪路王は蝦夷の
(しゅちょう、またはむつこくにすくうきしんで、)
首長、または陸奥国に巣食う鬼神で、
(でんせつによれば、びしゃもんてんからさずかったけんで)
伝説によれば、毘沙門天から授かった剣で
(たいじされたという。これがでんせつのげんてんなのだが、)
退治されたという。これが伝説の原点なのだが、
(それがこうねん、するがまでせめてきたたかまるという)
それが後年、駿河まで攻めてきた高丸という
(きしんをたむらまるがたいじした、というふうに、)
鬼神を田村丸が退治した、というふうに、
(はなしがもられはじめる。)
話が盛られ始める。
(たむらまろでんせつでつぎにゆうめいなのが、すずかとうげにいた)
田村麻呂伝説で次に有名なのが、鈴鹿峠にいた
(とされるてんにょもしくはきじょの、すずかごぜん)
とされる天女もしくは鬼女の、鈴鹿御前
((べつめいたてえぼし)とのなれそめ。)
(別名・立鳥帽子)との馴れ初め。
(でんせつでは、きしんおおたけまるのつまであるすずかごぜんが、)
伝説では、鬼神・大嶽丸の妻である鈴鹿御前が、
(たむらまるとのせんとうご、わかいしてけいりゃくし、)
田村丸との戦闘後、和解して計略し、
(あくこくおうをうたせ、ふたりはむすばれるとかたられている。)
悪黒王を討たせ、ふたりは結ばれると語られている。
(こうしたかくちのたむらまろでんせつは、)
こうした各地の田村麻呂伝説は、
(みんかんでえいゆうたんとしてしたしまれつつ、)
民間で英雄譚として親しまれつつ、
(かくでんせつがゆうごうしだし、のうやおとぎぞうし、おくじょうるり)
各伝説が融合しだし、能や御伽草紙、奥浄瑠璃
(といったそうさくさくひんにまではってん。)
といった創作作品にまで発展。
(とくにおくじょうるりの「たむらさんだいき」では、)
とくに奥浄瑠璃の『田村三代記』では、
(かくおにたいじのはなしが、たむらまろさんだいのはなしとして)
各鬼退治の話が、田村麻呂三代の話として
(こうせいされ、すけーるあっぷしている。)
構成され、スケールアップしている。