120 スペインの新大陸進出

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(1492ねんにころんぶすがこうかいにしゅっぱつしたのは、)

1492年にコロンブスが航海に出発したのは、

(あらたなせかいをさがしもとめてのことではなかった。)

新たな世界を探し求めてのことではなかった。

(すぺいんのふぇるなんどおうといさべるじょおうのために、)

スペインのフェルナンド王とイサベル女王のために、

(あじあへむかうあらたなこうろをみつけようとしていたのである。)

アジアへ向かう新たな航路を見つけようとしていたのである。

(しかし、ころんぶすのみつけたひろいちいきをせいふくできる)

しかし、コロンブスの見つけた広い地域を征服できる

(ちゃんすを、みすみすのがすことはできなかった。)

チャンスを、みすみす逃すことはできなかった。

(すぺいんのへいしたちが、つづく50ねんのあいだに)

スペインの兵士たちが、続く50年のあいだに

(ちゅうおうあめりかからみなみあめりかにかけてのこうだいな)

中央アメリカから南アメリカにかけての広大な

(りょういきをせいふくし、そのかていでせんじゅうみんをなんまんにんもさつりくした。)

領域を征服し、その過程で先住民を何万人も殺戮した。

(しんたいりくからぼうだいなりょうのきんぎんざいほうをうばいとったすぺいんは、)

新大陸から膨大な量の金銀財宝を奪い取ったスペインは、

(せかいのちょうたいこくとして、そのぜっちょうをきわめた。)

世界の超大国として、その絶頂を極めた。

(1550ねん、ふぇるなんどといさべるのまごかるろすいっせい)

1550年、フェルナンドとイサベルの孫カルロス一世

((しんせいろーまこうていかーるごせい)は、ちょめいながくしゃにめいを)

(神聖ローマ皇帝カール五世)は、著名な学者二名を

(どうこくいちのばりゃどりーどだいがくによんで、)

同国一のバリャドリード大学に呼んで、

(じしんのたいがいせいさくについてはばひろくとうろんさせた。)

自身の対外政策について幅広く討論させた。

(あめりかたいりくでさつりくがつづいていることにこくおうは)

アメリカ大陸で殺戮が続いていることに国王は

(けねんをいだいていた。じんめいをこれほどぎせいにしてまで)

懸念を抱いていた。人命をこれほど犠牲にしてまで

(すぺいんのりょうどをかくだいさせつづけるのは、はたして)

スペインの領土を拡大させ続けるのは、はたして

(ただしいことなのかとなやんでいたのである。)

正しいことなのかと悩んでいたのである。

(ばりゃどりーどでとうろんしたろんじゃのひとりは、)

バリャドリードで討論した論者のひとりは、

など

(どみにこかいしゅうどうしのばるとろめでらすかさすだった。)

ドミニコ会修道士のバルトロメ・デ・ラス・カサスだった。

(らすかさすは、こどもじだいの1493ねんにせびーりゃで、)

ラス・カサスは、子ども時代の1493年にセビーリャで、

(あめりかたいりくを「はっけん」したくりすとふぁーころんぶすを)

アメリカ大陸を「発見」したクリストファー・コロンブスを

(でむかえるがいせんぱれーどにさんかしていた。)

出迎える凱旋パレードに参加していた。

(1502ねん、らすかさすはすぺいんじんにゅうしょくしゃの)

1502年、ラス・カサスはスペイン人入植者の

(だいいちじんとして、すうめいのしんせきとともにあめりかにわたった。)

第一陣として、数名の親戚とともにアメリカに渡った。

(そのしんたいりくでらすかさすは、すぺいんじんこんきすたどーる)

その新大陸でラス・カサスは、スペイン人コンキスタドール

((せいふくしゃ)のざんにんなこういをまのあたりにして)

(征服者)の残忍な行為を目の当たりにして

(しょうげきをうけた。おうのまえでらすかさすは、)

衝撃を受けた。王の前でラス・カサスは、

(すぺいんはあめりかたいりくでもっとじんどうてきな)

スペインはアメリカ大陸でもっと人道的な

(せいさくをさいようすべきだとうったえた。)

政策を採用すべきだと訴えた。

(もういっぽうのろんじゃは、ふあんひねすでせぷーるべだだ。)

もう一方の論者は、フアン・ヒネス・デ・セプールベダだ。

(かれはじんぶんしゅぎしゃで、すぺいんじんにはあめりかのせんじゅうみんを)

彼は人文主義者で、スペイン人にはアメリカの先住民を

(「きりすときょうとにする」ぎむがあり、そのために)

「キリスト教徒にする」義務があり、そのために

(ひつようならどんなしゅだんをもちいてもかまわないとしんじていた。)

必要ならどんな手段を用いてもかまわないと信じていた。

(せぷーるべだにとって、あすてかじんなどのせんじゅうみんは、)

セプールベダにとって、アステカ人などの先住民は、

(にんげんをいけにえにしたりじんにくをたべたりするやばんじんであった。)

人間をいけにえにしたり人肉を食べたりする野蛮人であった。

(すぺいんじんには、こうしたせんじゅうみんをふくじゅうさせるけんりが)

スペイン人には、こうした先住民を服従させる権利が

(あるのみならず、せいようぶんめいをひろめるせっきょくてきな)

あるのみならず、西洋文明を広める積極的な

(ぎむもあると、せぷーるべだはしゅちょうした。)

義務もあると、セプールベダは主張した。

(1547ねんには、「かんぜんなものは、ふかんぜんなものを)

1547年には、「完全な者は、不完全な者を

(したがえてしはいすべきである」とかき、せんじゅうみんにたいする、)

従えて支配すべきである」と書き、先住民に対する、

(かれがいうところの「せいぎのせんそう」を、)

彼が言うところの「正義の戦争」を、

(ありすとてれすをいんようしてようごした。)

アリストテレスを引用して擁護した。

(わずか50ねんほどのあいだに、すぺいんじんはきょうだいをほこった)

わずか50年ほどのあいだに、スペイン人は強大を誇った

(あすてかていこくといんかていこくをほろぼした。かるろすいっせいは、)

アステカ帝国とインカ帝国を滅ぼした。カルロス一世は、

(らすかさすのしゅちょうにさんどうしたが、すでにておくれだった。)

ラス・カサスの主張に賛同したが、すでに手遅れだった。

(このむとこのまざるとにかかわらず、よーろっぱによる)

好むと好まざるとにかかわらず、ヨーロッパによる

(あめりかたいりくのしょくみんちかはすすんでいった。)

アメリカ大陸の植民地化は進んでいった。

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