紫式部 源氏物語 桐壺 6 與謝野晶子訳
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | berry | 7182 | 王 | 7.3 | 97.6% | 506.2 | 3725 | 89 | 53 | 2024/11/07 |
2 | おもち | 7145 | 王 | 7.5 | 95.4% | 501.4 | 3764 | 181 | 53 | 2024/09/26 |
3 | kkk | 6577 | S+ | 6.9 | 95.3% | 544.9 | 3769 | 185 | 53 | 2024/11/09 |
4 | BEASTななせ | 6505 | S+ | 6.9 | 94.5% | 551.5 | 3806 | 218 | 53 | 2024/11/08 |
5 | だだんどん | 6231 | A++ | 6.7 | 92.8% | 552.7 | 3730 | 286 | 53 | 2024/10/27 |
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問題文
(いくつきかののちにだいにのおうじがきゅうちゅうへおはいりになった。ごくおちいさいときですら)
幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さい時ですら
(このよのものとはおみえにならぬごびぼうのそなわったかたであったが、いまはまた)
この世のものとはお見えにならぬ御美貌の備わった方であったが、今はまた
(いっそうかがやくほどのものにみえた。そのよくとしりったいしのことがあった。)
いっそう輝くほどのものに見えた。その翌年立太子のことがあった。
(みかどのおぼしめしはだいにのおうじにあったが、だれというこうけんのひとがなく、まただれもが)
帝の思召しは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが
(こうていしないことであるのをさとっておいでになって、かえってそのちいはわかみやの)
肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の
(ぜんとをきけんにするものであるとおおもいになって、ごしんちゅうをだれにもおもらしに)
前途を危険にするものであるとお思いになって、御心中をだれにもお洩らしに
(ならなかった。とうぐうにおなりになったのはだいいちしんのうである。このけっかをみて、)
ならなかった。東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、
(あれほどのおんまなごでもやはりたいしにはおできにならないのだとせけんもいい、)
あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、
(こきでんのにょごもあんしんした。そのときからみやのがいそぼのみぼうじんはらくたんして)
弘徽殿の女御も安心した。その時から宮の外祖母の未亡人は落胆して
(こういのいるせかいへいくことのほかにはきぼうもないといっていっしんにみほとけのらいごうを)
更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に御仏の来迎を
(もとめて、とうとうなくなった。みかどはまたわかみやがそぼをうしなわれたことで)
求めて、とうとう亡くなった。帝はまた若宮が祖母を失われたことで
(おかなしみになった。これはおうじがろくさいのときのことであるから、こんどはははのこういの)
お悲しみになった。これは皇子が六歳の時のことであるから、今度は母の更衣の
(しにあったときとはちがい、おうじはそぼのしをしっておかなしみになった。)
死に逢った時とは違い、皇子は祖母の死を知ってお悲しみになった。
(いままでしじゅうおせわをしていたみやとおわかれするのがかなしいということばかりを)
今まで始終お世話をしていた宮とお別れするのが悲しいということばかりを
(みぼうじんはいってしんだ。 それからわかみやはもうきゅうちゅうにばかり)
未亡人は言って死んだ。 それから若宮はもう宮中にばかり
(おいでになることになった。ななさいのときにふみはじめのしきがおこなわれてがくもんをおはじめに)
おいでになることになった。七歳の時に書初めの式が行われて学問をお始めに
(なったが、おうじのるいのないそうめいさにみかどはおおどろきになることがおおかった。)
なったが、皇子の類のない聡明さに帝はお驚きになることが多かった。
(「もうこのこをだれもにくむことができないでしょう。ははおやのないというてん)
「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという点
(だけででもかわいがっておやりなさい」 とみかどはおいいになって、こきでんへひるま)
だけででもかわいがっておやりなさい」 と帝はお言いになって、弘徽殿へ昼間
(おいでになるときもいっしょにおつれになったりしてそのままみすのなかにまでも)
おいでになる時もいっしょにおつれになったりしてそのまま御簾の中にまでも
(おいれになった。どんなつよさいっぽうのぶしだってもきゅうてきだってもこのひとをみては)
お入れになった。どんな強さ一方の武士だっても仇敵だってもこの人を見ては
(えみがしぜんにわくであろうとおもわれるうつくしいしょうどうでおありになったから、)
笑みが自然にわくであろうと思われる美しい少童でおありになったから、
(にょごもあいをおぼえずにはいられなかった。このにょごはとうぐうのほかにひめみやを)
女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮を
(おふたりおうみしていたが、そのかたがたよりもだいにのおうじのほうが)
お二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子のほうが
(おきれいであった。ひめみやがたもおかくれにならないでかしこいあそびあいてとして)
おきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手として
(おあつかいになった。がくもんはもとよりおんがくのさいもゆたかであった。いえばふしぜんに)
お扱いになった。学問はもとより音楽の才も豊かであった。言えば不自然に
(きこえるほどのてんさいじであった。 そのじぶんにこまうどがらいちょうしたなかに、)
聞こえるほどの天才児であった。 その時分に高麗人が来朝した中に、
(じょうずなにんそうみのものがまじっていた。みかどはそれをおききになったが、きゅうちゅうへ)
上手な人相見の者が混じっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へ
(およびになることはていしいんのおいましめがあっておできにならず、だれにも)
お呼びになることは亭子院のお誡めがあっておできにならず、だれにも
(ひみつにしておうじのおせわやくのようになっているうだいべんのこのようにおもわせて、)
秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁の子のように思わせて、
(おうじをがいじんのりょしゅくするこうろかんへおやりになった。 そうにんはふしんそうにこうべを)
皇子を外人の旅宿する鴻臚館へおやりになった。 相人は不審そうに頭を
(たびたびかたむけた。 「くにのおやになってさいじょうのくらいをえるにんそうであって、)
たびたび傾けた。 「国の親になって最上の位を得る人相であって、
(さてそれでよいかとはいけんすると、そうなることはこのひとのこうふくなみちでない。)
さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。
(こっかのちゅうせきになってていおうのほさをするひととしてみてもまたちがうようです」)
国家の柱石になって帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」
(といった。べんもかんがくのよくできるかんじんであったから、ひっしをもってする)
と言った。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする
(こまうどとのもんどうにはおもしろいものがあった。しのぞうとうもしてこまうどは)
高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人は
(もうにほんのたびがおわろうとするごにのぞんでめずらしいこうきのそうをもつひとに)
もう日本の旅が終わろうとする期に臨んで珍しい高貴の相を持つ人に
(あったことは、いまさらにこのくにをはなれがたくすることであるというようないみの)
逢ったことは、今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の
(さくをした。わかみやもそうべつのいみをしにおつくりになったが、そのしをひじょうにほめて)
作をした。若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、その詩を非常にほめて
(いろいろなそのくにのおくりものをした。 ちょうていからもこまのそうにんへおおくの)
いろいろなその国の贈り物をした。 朝廷からも高麗の相人へ多くの
(かしひんがあった。そのひょうばんからとうぐうのがいせきのうだいじんなどはだいにのおうじとこまの)
下賜品があった。その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の
(そうにんとのかんけいにうたがいをもった。こうぐうされたてんがふにおちないのである。)
相人との関係に疑いを持った。好遇された点が腑に落ちないのである。
(そうめいなみかどはこまうどのことばいぜんにおうじのしょうらいをみとおして、こうふくなみちをえらぼうとして)
聡明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとして
(おいでになった。それでほとんどおなじことをうらなったそうにんにかちをおみとめに)
おいでになった。それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めに
(なったのである。しほんいかのむほんしんのうなどで、こころぼそいこうぞくとしてこのこを)
なったのである。四品以下の無品親王などで、心細い皇族としてこの子を
(おきたくない、じぶんのだいもいつおわるかしれぬのであるから、しょうらいにもっともたのもしい)
置きたくない、自分の代もいつ終るかしれぬのであるから、将来に最も頼もしい
(いちをこのこにもうけておいてやらねばならぬ、しんかのれつにいれてこっかの)
位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、臣下の列に入れて国家の
(ちゅうせきたらしめることがいちばんよいと、こうおきめになって、いぜんにもまして)
柱石たらしめることがいちばんよいと、こうお決めになって、以前にもまして
(いろいろのべんきょうをおさせになった。おおきなてんさいらしいてんのあらわれてくるのを)
いろいろの勉強をおさせになった。大きな天才らしい点の表れてくるのを
(ごらんになるとじんしんにするのがおしいというおこころになるのであったが、)
御覧になると人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、
(しんのうにすればてんしにかわろうとするやしんをもつようなうたがいをとうぜんうけそうに)
親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを当然受けそうに
(おおもわれになった。じょうずなうんめいうらないをするものにおたずねになってもおなじような)
お思われになった。上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような
(とうしんをするので、げんぷくごはげんせいをたまわってげんじのなにがしとしようとおきめになった。)
答申をするので、元服後は源姓を賜わって源氏の某としようとお決めになった。