紫式部 源氏物語 桐壺 8(終) 與謝野晶子訳

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1 berry 7013 7.2 97.3% 675.7 4872 133 65 2024/11/07
2 おもち 6975 S++ 7.3 95.7% 678.1 4952 222 65 2024/09/26
3 BEASTななせ 6310 S 6.7 94.3% 740.8 4971 296 65 2024/11/11
4 kkk 6110 A++ 6.5 94.1% 758.2 4941 308 65 2024/11/11
5 だだんどん 6062 A++ 6.5 93.3% 749.8 4897 351 65 2024/10/29

問題文

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(せいりょうでんはとうめんしているが、おにわのまえのおざしきにぎょくざのいすがすえられ、)

清涼殿は東面しているが、お庭の前のお座敷に玉座の椅子がすえられ、

(げんぷくされるおうじのせき、かかんやくのだいじんのせきがそのおまえにできていた。ごごよじに)

元服される皇子の席、加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。午後四時に

(げんじのきみがまいった。うえでふたつにわけてみみのところでわにしたどうぎょうのれいはつをゆった)

源氏の君が参った。上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った

(げんじのかおつき、しょうねんのび、これをえいきゅうにほぞんしておくことがふかのうなので)

源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくことが不可能なので

(あろうかとおしまれた。りはつのやくはおおくらきょうである。うつくしいかみをみじかくきるのを)

あろうかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿である。美しい髪を短く切るのを

(おしくおもうふうであった。みかどはみやすどころがこのしきをみたならばと、むかしを)

惜しく思うふうであった。帝は御息所がこの式を見たならばと、昔を

(おおもいだしになることによってたえがたくなるかなしみをおさえておいでに)

お思いだしになることによって耐えがたくなる悲しみをおさえておいでに

(なった。かかんがおわって、いったんきゅうそくじょにさがり、そこでげんじはふくをかえて)

なった。加冠が終わって、いったん休息所に下がり、そこで源氏は服を変えて

(ていじょうのはいをした。さんれつのしょいんはみなちいさいおおみやびとのびにかんげきのなみだをこぼしていた。)

庭上の拝をした。参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。

(みかどはましてごじせいなされがたいごかんじょうがあった。ふじつぼのみやをおえになっていらい、)

帝はまして御自制なされがたい御感情があった。藤壺の宮をお得になって以来、

(まぎれておいでになることもあったむかしのあいしゅうがいまいちどにおむねへかえってきたので)

紛れておいでになることもあった昔の哀愁が今一度にお胸へかえって来たので

(ある。まだちいさくておとなのあたまのかたちになることは、そのひとのびをそんじさせは)

ある。まだちいさくて 大人の頭の形になることは、その人の美を損じさせは

(しないかというごけねんもおありになったのであるが、げんじのきみにはいまおどろかれる)

しないかという御懸念もおありになったのであるが、源氏の君には今驚かれる

(ほどのしんさいがくわわってみえた。かかんのだいじんにはふじんのないしんのうとのあいだにうまれた)

ほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた

(れいじょうがあった。とうぐうからこうきゅうにとおのぞみになったのをおうけせずにおへんじを)

令嬢があった。東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずにお返辞を

(ちゅうちょしていたのは、はじめからげんじのきみのはいぐうしゃにぎしていたからである。だいじんは)

躊躇していたのは、初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。大臣は

(みかどのごいこうをもうかがった。 「それではげんぷくしたのちのかれをせわするひとも)

帝の御意向をも伺った。 「それでは元服したのちの彼を世話する人も

(いることであるから、そのひとをいっしょにさせればよい」 というおおせで)

いることであるから、その人をいっしょにさせればよい」 という仰せで

(あったから、だいじんはそのじつげんをきしていた。 きょうのさむらいどころになっているざしきで)

あったから、大臣はその実現を期していた。 今日の侍所になっている座敷で

(ひらかれたしゅえんに、しんのうがたのつぎのせきへげんじはついた。むすめのけんをだいじんが)

開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣が

など

(ほのめかしても、きわめてわかいげんじはなんともへんじをすることができないので)

ほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないので

(あった。みかどのおいまのほうからおおせによってないしがだいじんをよびにきたので、)

あった。帝のお居間のほうから仰せによって内侍が大臣を呼びに来たので、

(だいじんはすぐにおまえへいった。かかんやくとしてのかしひんはおそばのみょうぶが)

大臣はすぐに御前へ行った。加冠役としての下賜品はおそばの命婦が

(とりついだ。しろいおおうちぎにみかどのおめしりょうのおふくがひとかさねで、これはむかしからさだまった)

取り次いだ。白い大袿に帝のお召し料のお服が一襲で、これは昔から定まった

(しなである。しゅはいをたまわるときに、つぎのうたをおおせられた。 )

品である。酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。

(いときなきはつもとゆいにながきよをちぎるこころはむすびこめつや )

いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや

(だいじんのむすめとのけっこんにまでおいいおよぼしになったぎょせいはだいじんをおどろかした。 )

大臣の女との結婚にまでお言い及ぼしになった御製は大臣を驚かした。

(むすびつるこころもふかきもとゆいにこきむらさきのいろしあせずば )

結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずば

(とへんかをそうじょうしてからだいじんは、せいりょうでんのしょうめんのきざはしをさがってはいれいをした。)

と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿の正面の階段を下がって拝礼をした。

(さまりょうのみまとくろうどどころのたかをそのときにたまわった。そのあとでしょいんがかいぜんにでて、)

左馬寮の御馬と蔵人所の鷹をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、

(かんとうにしたがってそれぞれのかしひんをえた。このひのごきょうえんのせきのおりづめの)

官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の御饗宴の席の折り詰めの

(おりょうり、かごづめのかしなどはみなうだいべんがごめいれいによってつくったものであった。)

お料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁が御命令によって作った物であった。

(いっぱんのかんりにたまうべんとうのかず、いっぱんにかしされるきぬをいれたはこのおおかったことは、)

一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、

(とうぐうのごげんぷくのときいじょうであった。 そのよるげんじのきみはさだいじんけへむこになって)

東宮の御元服の時以上であった。 その夜源氏の君は左大臣家へ婿になって

(いった。このぎしきにもぜんびはつくされたのである。こうきなびしょうねんのむこをだいじんは)

行った。この儀式にも善美は尽くされたのである。高貴な美少年の婿を大臣は

(かわいくおもった。ひめぎみのほうがすこしとしうえであったから、とししたのしょうねんにはいされた)

かわいく思った。姫君のほうが少し年上であったから、年下の少年に配された

(ことを、ふにあいにはずかしいことにおもっていた。このだいじんはおおきいせいりょくを)

ことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を

(もったうえに、ひめぎみのははのふじんはみかどのごどうほうであったから、あくまでもはなやかな)

持った上に、姫君の母の夫人は帝の御同胞であったから、あくまでもはなやかな

(いえであるところへ、こんどまたみかどのごあいしのげんじをむこにむかえたのであるから、とうぐうの)

家である所へ、今度また帝の御愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の

(がいそふでみらいのかんぱくとおもわれているうだいじんのせいりょくはひかくにならぬほど)

外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢力は比較にならぬほど

(けおされていた。さだいじんはなんにんかのさいしょうからうまれたこどもをいくにんももっていた。)

気押されていた。左大臣は何人かの妻妾から生まれた子供を幾人も持っていた。

(ないしんのうばらのはいまくろうどしょうしょうであってねんしょうのうつくしいきこうしであるのをさうだいじんの)

内親王腹のは今蔵人少将であって年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の

(なかはよくないのであるが、そのくろうどしょうしょうをよそのものにみていることができず、)

仲はよくないのであるが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、

(だいじにしているよんじょのむこにした。これもさだいじんがげんじのきみをたいせつがるのに)

大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君をたいせつがるのに

(おとらずうだいじんからだいじなむこぎみとしてかしずかれていたのはよいいっついのうるわしい)

劣らず右大臣から大事な婿君としてかしずかれていたのはよい一対のうるわしい

(ことであった。 げんじのきみはみかどがおそばをはなしにくくあそばすので、ゆっくりと)

ことであった。 源氏の君は帝がおそばを離しにくくあそばすので、ゆっくりと

(つまのいえにいっていることもできなかった。げんじのこころにはふじつぼのみやのびがさいじょうの)

妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壺の宮の美が最上の

(ものにおもわれてあのようなひとをじぶんもつまにしたい、みやのようなじょせいはもうひとりと)

ものに思われてあのような人を自分も妻にしたい、宮のような女性はもう一人と

(ないであろう、さだいじんのれいじょうはだいじにされてそだったうつくしいきぞくのむすめとだけは)

ないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけは

(うなずかれるが、こんなふうにおもわれてたんじゅんなしょうねんのこころにはふじつぼのみやのこと)

うなずかれるが、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壺の宮のこと

(ばかりがこいしくてくるしいほどであった。げんぷくごのげんじはもうふじつぼのおとどのなかへは)

ばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壺の御殿の中へは

(いれていただけなかった。ことやふえのねのなかにそのかたがおひきになるもののこえを)

入れていただけなかった。琴や笛の音の中にその方がお弾きになる物の声を

(もとめるとか、いまはもうものごしによりきかれないほのかなおこえをきくとかが、)

求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、

(せめてものなぐさめになってきゅうちゅうのとのいばかりがすきだった。ご、ろくにちごしょにいて、)

せめてもの慰めになって宮中の宿直ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、

(に、さんにちだいじんけへいくなどたえだえのかよいかたを、まだしょうねんきであるからとみて)

二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ少年期であるからと見て

(だいじんはとがめようともおもわず、あいもかわらずむこぎみのかしずきさわぎをしていた。)

大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。

(しんふうふづきのにょうぼうはことにすぐれたものをもってしたり、きにいりそうなあそびを)

新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを

(もよおしたり、いっしょけんめいである。ごしょではははのこういのもとのきりつぼをげんじのとのいどころに)

催したり、一所懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壺を源氏の宿直所に

(おあたえになって、みやすどころにじしていたにょうぼうをそのままつかわせておいでになった。)

お与えになって、御息所に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。

(こういのいえのほうはしゅうりのやくしょ、たくみりょうなどへみかどがおめいじになって、ひじょうな)

更衣の家のほうは修理の役所、内匠寮などへ帝がお命じになって、非常な

(りっぱなものにかいちくされたのである。もとからつきやまのあるよいにわのついたいえでは)

りっぱなものに改築されたのである。もとから築山のあるよい庭のついた家では

(あったが、いけなどもこんどはずっとひろくされた。にじょうのいんはこれである。げんじは)

あったが、池なども今度はずっと広くされた。二条の院はこれである。源氏は

(こんなきにいったいえにじぶんのりそうどおりのつまとくらすことができたらとおもって)

こんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って

(しじゅうたんそくをしていた。 ひかるのきみというなはまえにこうろかんへきたこまうどが、)

始終嘆息をしていた。 光の君という名は前に鴻臚館へ来た高麗人が、

(げんじのびぼうとてんさいをほめてつけたなだとそのころいわれたそうである。)

源氏の美貌と天才をほめてつけた名だとそのころ言われたそうである。

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