紫式部 源氏物語 若紫 2 與謝野晶子訳

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問題文

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(げんじはそのてらをでてすこしのさんぽをこころみた。そのへんをながめると、ここはたかいところで)

源氏はその寺を出て少しの散歩を試みた。その辺をながめると、ここは高い所で

(あったから、そこここにかまえられたおおくのそうぼうがみわたされるのである。らせんじょうに)

あったから、そこここに構えられた多くの僧坊が見渡されるのである。螺旋状に

(なったみちのついたこのみねのすぐしたに、それもほかのそうぼうとおなじこしばがきでは)

なった路のついたこの峰のすぐ下に、それもほかの僧坊と同じ小柴垣では

(あるが、めだってきれいにめぐらされていて、よいざしきふうのたてものとろうとがゆうびに)

あるが、目だってきれいに廻らされていて、よい座敷風の建物と廊とが優美に

(くみたてられ、にわのつくりようなどもきわめてこったひとかまえがあった。 「あれは)

組み立てられ、庭の作りようなどもきわめて凝った一構えがあった。 「あれは

(だれのすんでいるところなのかね」 とげんじがとうた。)

だれの住んでいる所なのかね」 と源氏が問うた。

(「これが、ぼうそうずがもうにねんほどひきこもっておられるぼうでございます」)

「これが、某僧都がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」

(「そうか、あのりっぱなそうず、あのひとのいえなんだね。あのひとにしれてはきまりが)

「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが

(わるいね、こんなていさいできていて」 などと、げんじはいった。うつくしいさむらいわらわなどが)

悪いね、こんな体裁で来ていて」 などと、源氏は言った。美しい侍童などが

(たくさんにわへでてきてほとけのあかだなにみずをもったりはなをそなえたりしているのもよく)

たくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく

(みえた。 「あすこのいえにおんながおりますよ。あのそうずがよもやかくしづまをおいては)

見えた。 「あすこの家に女がおりますよ。あの僧都がよもや隠し妻を置いては

(いらっしゃらないでしょうが、いったいなにものでしょう」 こんなことをじゅうしゃが)

いらっしゃらないでしょうが、いったい何者でしょう」 こんなことを従者が

(いった。がけをすこしおりていってのぞくひともある。うつくしいおんなのこやわかいにょうぼうやら)

言った。崖を少しおりて行ってのぞく人もある。美しい女の子や若い女房やら

(めしつかいのどうじょやらがみえるといった。 げんじはてらへかえってぶつぜんのつとめをしながら)

召使の童女やらが見えると言った。 源氏は寺へ帰って仏前の勤めをしながら

(ひるになるともうほっさがおこるころであるがとふあんだった。 「きをおまぎらしに)

昼になるともう発作が起こるころであるがと不安だった。 「気をお紛らしに

(なって、びょうきのことをおおもいにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」)

なって、病気のことをお思いにならないのがいちばんよろしゅうございますよ」

(などとひとがいうので、うしろのほうのやまへでてこんどはきょうのほうをながめた。ずっと)

などと人が言うので、後ろのほうの山へ出て今度は京のほうをながめた。ずっと

(とおくまでかすんでいて、やまのちかいこだちなどはあわくけぶってみえた。 「えによく)

遠くまで霞んでいて、山の近い木立ちなどは淡く煙って見えた。 「絵によく

(にている。こんなところにすめばにんげんのきたないかんじょうなどはおこしようがないだろう」)

似ている。こんな所に住めば人間の穢い感情などは起こしようがないだろう」

(とげんじがいうと、 「このやまなどはまだあさいものでございます。ちほうのかいがんの)

と源氏が言うと、 「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の

など

(ふうけいややまのけしきをおめにかけましたら、そのしぜんからおえになるところが)

風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得になるところが

(あって、えがずいぶんごじょうたつなさいますでしょうとおもいます。ふじ、それから)

あって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから

(なになにやま」 こんなはなしをするものがあった。またにしのほうのすぐれたふうけいをいって、)

何々山」 こんな話をする者があった。また西のほうのすぐれた風景を言って、

(うらうらのなをたくさんならべたてるものもあったりして、だれもみなやまいへのかんしんから)

浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から

(げんじをはなそうとつとめているのである。 「ちかいところでははりまのあかしのうらが)

源氏を放そうと努めているのである。 「近い所では播磨の明石の浦が

(よろしゅうございます。とくべつにかわったよさはありませんが、ただそこからうみの)

よろしゅうございます。特別に変わったよさはありませんが、ただそこから海の

(ほうをながめたけしきはどこよりもよくまとまっております。さきのはりまのかみにゅうどうがだいじな)

ほうをながめた景色はどこよりもよく纏っております。前播磨守入道が大事な

(むすめをすませてあるいえはたいしたものでございます。にだいほどまえはだいじんだった)

娘を住ませてある家はたいしたものでございます。二代ほど前は大臣だった

(いえすじで、もっとしゅっせすべきはずのひとなんですが、かわりものでなかまの)

家筋で、もっと出世すべきはずの人なんですが、変わり者で仲間の

(こうさいなんかをもきらってこのえのちゅうじょうをすててじぶんからねがってでてなった)

交際なんかをもきらって近衛の中将を捨てて自分から願って出てなった

(はりまのかみなんですが、くにのものにはんこうされたりして、こんなふめいよなことになっては)

播磨守なんですが、国の者に反抗されたりして、こんな不名誉なことになっては

(きょうにかえれないといって、そのときににゅうどうしたひとですが、ぼうさまになったのなら)

京に帰れないと言って、その時に入道した人ですが、坊様になったのなら

(ぼうさまらしく、ふかいやまのほうへでもいってすめばよさそうなものですが、めいしょの)

坊様らしく、深い山のほうへでも行って住めばよさそうなものですが、名所の

(あかしのうらなどにていたくをかまえております。はりまにはずいぶんぼうさまににあった)

明石の浦などに邸宅を構えております。播磨にはずいぶん坊様に似合った

(やまなんかがおおいのですがね、かわりものをてらってそうするかというとそれにも)

山なんかが多いのですがね、変わり者をてらってそうするかというとそれにも

(わけはあるのです。わかいさいしがさびしがるだろうというおもいやりなのです。)

訳はあるのです。若い妻子が寂しがるだろうという思いやりなのです。

(そんないみでずいぶんぜいたくにすまいなどもつくってございます。せんじつちちのところへ)

そんな意味でずいぶん贅沢に住居なども作ってございます。先日父の所へ

(まいりましたせつ、どんなふうにしているかもみたいのでよってみました。)

まいりました節、どんなふうにしているかも見たいので寄ってみました。

(きょうにいますうちはふぐうなようでしたが、いまのすまいなどはすばらしいもので、)

京にいますうちは不遇なようでしたが、今の住居などはすばらしいもので、

(なんといってもちほうちょうかんをしていますうちにざいさんができていたのですから、)

何といっても地方長官をしていますうちに財産ができていたのですから、

(しょうがいのせいかつにことをかかないじゅんびはじゅうぶんにしておいて、そしていっぽうでは)

生涯の生活に事を欠かない準備は十分にしておいて、そして一方では

(ぶつでしとしてかんしんにしゅぎょうもつんでいるようです。あのひとだけはにゅうどうしてから)

仏弟子として感心に修行も積んでいるようです。あの人だけは入道してから

(しんかがあらわれたひとのようにみうけます」 「そのむすめというのはどんなむすめ」)

真価が現われた人のように見受けます」 「その娘というのはどんな娘」

(「まずぶなんなひとらしゅうございます。あのあとのだいだいのちょうかんがとくにけいいをひょうして)

「まず無難な人らしゅうございます。あのあとの代々の長官が特に敬意を表して

(きゅうこんするのですが、にゅうどうはけっしてしょうちいたしません。じぶんのいっしょうは)

求婚するのですが、入道は決して承知いたしません。自分の一生は

(ふぐうだったのだから、むすめのみらいだけはこうありたいというりそうをもっている。)

不遇だったのだから、娘の未来だけはこうありたいという理想を持っている。

(じぶんがしんでじつげんがこんなんになり、じぶんのきぼうしないけっこんでもしなければ)

自分が死んで実現が困難になり、自分の希望しない結婚でもしなければ

(ならなくなったときには、うみへみをなげてしまえとゆいごんしているそうです」)

ならなくなった時には、海へ身を投げてしまえと遺言しているそうです」

(げんじはこのはなしのはりまのうみべのかわりもののにゅうどうのむすめがおもしろくおもえた。)

源氏はこの話の播磨の海べの変わり者の入道の娘がおもしろく思えた。

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