紫式部 源氏物語 榊 6 與謝野晶子訳
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | subaru | 7880 | 神 | 8.1 | 96.8% | 583.6 | 4753 | 154 | 69 | 2024/12/07 |
2 | HAKU | 7509 | 神 | 7.7 | 97.0% | 620.3 | 4804 | 146 | 69 | 2024/12/06 |
3 | おもち | 7489 | 光 | 7.7 | 96.4% | 616.6 | 4794 | 176 | 69 | 2024/12/07 |
4 | ヤス | 7216 | 王 | 7.5 | 95.7% | 632.6 | 4779 | 214 | 69 | 2025/01/06 |
5 | だだんどん | 6253 | S | 6.7 | 93.1% | 704.1 | 4753 | 350 | 69 | 2024/12/12 |
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問題文
(しじゅうくにちまではにょごやこういたちがみないんのごしょにこもっていたが、)
四十九日までは女御や更衣たちが皆院の御所にこもっていたが、
(そのひがすぎるとちりぢりにべつなじっかへかえっていかねばならなかった。)
その日が過ぎると散り散りに別な実家へ帰って行かねばならなかった。
(これはじゅうがつはつかのことである。このじせつのさびしいそらのいろをみてはだれもよが)
これは十月二十日のことである。この時節の寂しい空の色を見てはだれも世が
(これでおわっていくのではないかとこころぼそくなるころである。ちゅうぐうはもっとも)
これで終わっていくのではないかと心細くなるころである。中宮は最も
(かなしんでおいでになる。こうたいごうのせいかくをよくしっておいでになって、そのかたの)
悲しんでおいでになる。皇太后の性格をよく知っておいでになって、その方の
(いしでうごくとうだいにおいて、こんごはどんなつらいとりあつかいをうけねばならぬか)
意志で動く当代において、今後はどんなつらい取り扱いを受けねばならぬか
(というおこころぼそさよりも、またないいんのごあいじょうにつつまれておすごしになったかこを)
というお心細さよりも、またない院の御愛情に包まれてお過ごしになった過去を
(おしのびになるかなしみのほうがおおきかった。しかもえいきゅうにいんのごしょでひとびとと)
お忍びになる悲しみのほうが大きかった。しかも永久に院の御所で人々と
(おくらしになることはできずに、みなかえっていかねばならぬこともみやのおこころを)
お暮らしになることはできずに、皆帰って行かねばならぬことも宮のお心を
(さびしくしていた。ちゅうぐうはさんじょうのみやへおかえりになるのである。おむかえにあにぎみの)
寂しくしていた。中宮は三条の宮へお帰りになるのである。お迎えに兄君の
(ひょうぶきょうのみやがおいでになった。はげしいかぜのなかにゆきもまじってちるひである。)
兵部卿の宮がおいでになった。はげしい風の中に雪も混じって散る日である。
(すでにふるごしょになろうとするひとすくなさがかんぜられてしずかなときに、げんじのたいしょうが)
すでに古御所になろうとする人少なさが感ぜられて静かな時に、源氏の大将が
(ちゅうぐうのごてんへきていんのございせいちゅうのはなしをみやとしていた。まえのにわのごようがしおれて)
中宮の御殿へ来て院の御在世中の話を宮としていた。前の庭の五葉がしおれて
(したばのかれたのをみて、 )
下葉の枯れたのを見て、
(かげひろみたのみしまつやかれにけんしたばちりゆくとしのくれかな )
蔭ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮かな
(みやがこうおうたいになったとき、それがけっさくでもないが、せまったじっかんはげんじを)
宮がこうお歌いになった時、それが傑作でもないが、迫った実感は源氏を
(なかせてしまった。すっかりこおってしまったいけをながめながらげんじは、 )
泣かせてしまった。すっかり凍ってしまった池をながめながら源氏は、
(さえわたるいけのかがみのさやけさにみなれしかげをみぬぞかなしき )
さえわたる池の鏡のさやけさに見なれし影を見ぬぞ悲しき
(といった。これもおもったままをさんじゅういちじにしたもので、げんじのさくとしては)
と言った。これも思ったままを三十一字にしたもので、源氏の作としては
(ようちである。おうみょうぶ、 )
幼稚である。王命婦、
(としくれていわいのみずもこおりとぢみしひとかげのあせもゆくかな )
年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな
(そのほかのにょうぼうのさくはしょうりゃくする。ちゅうぐうのぐぶをたすうのこうかんがしたことなどは)
そのほかの女房の作は省略する。中宮の供奉を多数の高官がしたことなどは
(いんのございせいじだいとすこしもかわっていなかったが、みやのおこころもちはさびしくて、)
院の御在世時代と少しも変わっていなかったが、宮のお心持ちは寂しくて、
(おかえりになったごじっかがかえってたけであるようにおぼしめされることによっても、)
お帰りになった御実家がかえって他家であるように思召されることによっても、
(きんねんはおゆるしがなくてごじっかずまいがほとんどなかったことが)
近年はお許しがなくて御実家住まいがほとんどなかったことが
(おしのばれになった。 としがかわってもりょうあんのはるはさびしかった。)
おしのばれになった。 年が変わっても諒闇の春は寂しかった。
(げんじはことさらさびしくていえにひきこもってくらした。いちがつのかんりの)
源氏はことさら寂しくて家に引きこもって暮らした。一月の官吏の
(こうにんきなどには、いんのみよはいうまでもないがそのごもなおおなじように)
更任期などには、院の御代はいうまでもないがその後もなお同じように
(にじょうのいんのもんはほうきゃくのうまとくるまでうずまったのだったのに、ことしはめにみえて)
二条の院の門は訪客の馬と車でうずまったのだったのに、今年は目に見えて
(そうしたらいほうしゃのかずがすくなくなった。とのいをしにくるひとたちのやぐるいをいれた)
そうした来訪者の数が少なくなった。宿直をしに来る人たちの夜具類を入れた
(ふくろもあまりみかけなくなった。したしいけいしたちだけがのんきにじむを)
袋もあまり見かけなくなった。親しい家司たちだけが暢気に事務を
(とっているのをみても、しゅじんであるげんじは、じかのせいりょくのしょうちょうとひとびとのしんらいが)
取っているのを見ても、主人である源氏は、自家の勢力の消長と人々の信頼が
(ひれいするものであることがおもわれておもしろくなかった。うだいじんけのろくのきみは)
比例するものであることが思われておもしろくなかった。右大臣家の六の君は
(にがつにないしのかみになった。いんのほうぎょによってさきのないしのかみがあまになったからである。)
二月に尚侍になった。院の崩御によって前尚侍が尼になったからである。
(だいじんけがぜんりょくをあげてこうえんしていることであったし、じしんにそなわったびぼうも)
大臣家が全力をあげて後援していることであったし、自身に備わった美貌も
(びしつもあって、こうきゅうのなかにぬけでたそんざいをしめしていた。こうたいごうはじっかに)
美質もあって、後宮の中に抜け出た存在を示していた。皇太后は実家に
(おいでになることがおおくて、まれにさんだいになるときはうめつぼのごてんをしゅくしょにきめて)
おいでになることが多くて、稀に参内になる時は梅坪の御殿を宿所に決めて
(おいでになった。それでこきでんがないしのかみのぞうしになっていた。となりのとうかでんなどは)
おいでになった。それで弘徽殿が尚侍の曹司になっていた。隣の登花殿などは
(ながくすてられたままのかたちであったが、ふたつがつづけてしようされていまは)
長く捨てられたままの形であったが、二つが続けて使用されて今は
(はなやかなばしょになった。にょうぼうなどもむすうにじしていて、はでなこうきゅうせいかつを)
はなやかな場所になった。女房なども無数に侍していて、派手な後宮生活を
(しながらも、ないしのかみのひとしれぬこころはげんじをばかりおもっていた。げんじがしのんでてがみを)
しながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を
(おくってくることもいぜんどおりたえなかった。ひとめにつくことがあったらと)
送って来ることも以前どおり絶えなかった。人目につくことがあったらと
(おそれながら、れいのくせで、ろくのきみがこうきゅうへはいったときからげんじのじょうえんがさらに)
恐れながら、例の癖で、六の君が後宮へはいった時から源氏の情炎がさらに
(さかんになった。いんがおいでになったころはごえんりょがあったであろうが、)
盛んになった。院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、
(せきねんのうらみをげんじにむくいるのはこれからであるとはげしいきしつのたいこうは)
積年の怨みを源氏に酬いるのはこれからであると烈しい気質の太后は
(おもっておいでになった。げんじにたいしてなにかのばあいにいをえないことを)
思っておいでになった。源氏に対して何かの場合に意を得ないことを
(せいふがする、それがしだいにおおくなっていくのをみて、げんじは)
政府がする、それが次第に多くなっていくのを見て、源氏は
(よきしていたことではあっても、かこにけいけんしなかったふかいさをしじゅうあじわうのに)
予期していたことではあっても、過去に経験しなかった不快さを始終味わうのに
(たえがたくなって、ひととのこうさいもあまりしないのであった。さだいじんもふゆかいで)
堪えがたくなって、人との交際もあまりしないのであった。左大臣も不愉快で
(あまりごしょへもでなかった。なくなったれいじょうへとうぐうのおはなしがあったにも)
あまり御所へも出なかった。亡くなった令嬢へ東宮のお話があったにも
(かかわらずげんじのつまにさせたことでたいこうはふくんでおいでになった。)
かかわらず源氏の妻にさせたことで太后は含んでおいでになった。
(うだいじんとのなかははじめからよくなかったうえに、さだいじんはぜんだいにいくぶんせんおうてきにも)
右大臣との仲は初めからよくなかった上に、左大臣は前代にいくぶん専横的にも
(せいじをきりもりしたのであったから、とうだいのがいせきとしてうだいじんが)
政治を切り盛りしたのであったから、当帝の外戚として右大臣が
(とくいになっているのにたいしてはよろこばないのはどうりである。げんじは)
得意になっているのに対しては喜ばないのは道理である。源氏は
(むかしのひにかわらずよくさだいじんけをたずねていきこふじんのにょうぼうたちを)
昔の日に変わらずよく左大臣家を訪ねて行き故夫人の女房たちを
(あいごしてやることをわすれなかった。ひじょうにわかぎみをげんじのあいすることにも)
愛護してやることを忘れなかった。非常に若君を源氏の愛することにも
(だいじんけのひとたちはかんげきしていて、そのためにまたいっそうしょうこうしは)
大臣家の人たちは感激していて、そのためにまたいっそう小公子は
(たいせつがられた。かこのげんじのきみはしゃかいてきにみてあまりにこうふくすぎた、みていて)
大切がられた。過去の源氏の君は社会的に見てあまりに幸福過ぎた、見ていて
(めまぐるしいきがするほどであったが、このごろはかよっていたこいびとたちとも)
目まぐるしい気がするほどであったが、このごろは通っていた恋人たちとも
(そうほうのじじょうからかんけいがたえてしまったのもおおかったし、それいかのかるいかんけいの)
双方の事情から関係が絶えてしまったのも多かったし、それ以下の軽い関係の
(こいびとたちのいえをたずねていくようなことにも、もうきまりのわるさをかんじる)
恋人たちの家を訪ねて行くようなことにも、もうきまりの悪さを感じる
(げんじであったから、よゆうができてはじめてのどかなかていのあるじになっていた。)
源氏であったから、余裕ができてはじめてのどかな家庭の主人になっていた。
(ひょうぶきょうのみやのおうじょのこうふくであることをいってだれもいわった。しょうなごんなども)
兵部卿の宮の王女の幸福であることを言ってだれも祝った。少納言なども
(こころのうちでは、このけっかをえたのはそぼのあまぎみがひめぎみのことをいのったねっせいが)
心のうちでは、この結果を得たのは祖母の尼君が姫君のことを祈った熱誠が
(ほとけにつうじたのであろうとおもっていた。ちちのしんのうもほがらかににじょうのいんにでいりして)
仏に通じたのであろうと思っていた。父の親王も朗らかに二条の院に出入りして
(おいでになった。ふじんからうまれてだいじがっておいでになるおうじょがたに)
おいでになった。夫人から生まれて大事がっておいでになる王女方に
(たいしたこううんもなくて、ただひとりがすぐれたうんめいをおったおんなとみえるてんで、)
たいした幸運もなくて、ただ一人がすぐれた運命を負った女と見える点で、
(ままははにあたるふじんはしっとをかんじていた。むらさきふじんはしょうせつにあるままこの)
継母にあたる夫人は嫉妬を感じていた。紫夫人は小説にある継娘の
(こううんのようなものをじっさいにえていたのである。)
幸運のようなものを実際に得ていたのである。