紫式部 源氏物語 若紫 8 與謝野晶子訳

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問題文

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(よあけのそらはじゅうにぶんにかすんで、やまのとりごえがどこでなくとなしに)

夜明けの空は十二分に霞んで、山の鳥声がどこで啼くとなしに

(おおくきこえてきた。みやこびとにはなのわかりにくいきやくさのはながおおくさき)

多く聞こえてきた。都人には名のわかりにくい木や草の花が多く咲き

(おおくちにちっていた。こんなみやまのにしきのうえへしかがでてきたりするのも)

多く地に散っていた。こんな深山の錦の上へ鹿が出て来たりするのも

(めずらしいながめで、げんじはびょうくからまったくかいほうされたのである。)

珍しいながめで、源氏は病苦からまったく解放されたのである。

(しょうにんはうごくこともよういでないろうたいであったが、げんじのためにそうずのぼうへきて)

聖人は動くことも容易でない老体であったが、源氏のために僧都の坊へ来て

(ごしんのほうをおこなったりしていた。かれがれなところどころがきえるようなこえで)

護身の法を行なったりしていた。嗄々な所々が消えるような声で

(きょうをよんでいるのがみにしみもし、とうとくもおもわれた。きょうはだらにである。)

経を読んでいるのが身にしみもし、尊くも思われた。経は陀羅尼である。

(きょうからのげんじのむかえのいっこうがやまへついて、びょうきのぜんかいされたよろこびがのべられ、)

京からの源氏の迎えの一行が山へ着いて、病気の全快された喜びが述べられ、

(ごしょのおつかいもきた。そうずはちんきゃくのためによいかしをくさぐさつくらせ、たにまへまでも)

御所のお使いも来た。僧都は珍客のためによい菓子を種々作らせ、渓間へまでも

(めずらしいりょうりのざいりょうをもとめにひとをだしてきょうおうにほねをおった。)

珍しい料理の材料を求めに人を出して饗応に骨を折った。

(「まだことしじゅうはやまごもりのおちかいがしてあって、おかえりのさいにきょうまで)

「まだ今年じゅうは山籠りのお誓いがしてあって、お帰りの際に京まで

(おおくりしたいのができませんから、かえってごほうもんがうらめしくおもわれるかも)

お送りしたいのができませんから、かえって御訪問が恨めしく思われるかも

(しれません」 などといいながらそうずはげんじにさけをすすめた。)

しれません」 などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。

(「やまのふうけいにじゅうぶんあいちゃくをかんじているのですが、へいかにごしんぱいをおかけもうすのも)

「山の風景に十分愛着を感じているのですが、陛下に御心配をおかけ申すのも

(もったいないことですから、またもういちど、)

もったいないことですから、またもう一度、

(このはなのさいているうちにまいりましょう、 )

この花の咲いているうちに参りましょう、

(みやびとにゆきてかたらんやまざくらかぜよりさきにきてもみるべく」 )

宮人に行きて語らん山ざくら風よりさきに来ても見るべく」

(うたのはっせいもたいどもみごとなげんじであった。そうずが、 )

歌の発声も態度もみごとな源氏であった。僧都が、

(うどんげのはなまちえたるここちしてみやまざくらにめこそうつらね )

優曇華の花まち得たるここちして深山桜に目こそ移らね

(というとげんじはびしょうしながら、 「ながいあいだにまれにいちどさくというはなは)

と言うと源氏は微笑しながら、 「長い間にまれに一度咲くという花は

など

(ごらんになることがこんなんでしょう。わたくしとはちがいます」)

御覧になることが困難でしょう。私とは違います」

(といっていた。がんくつのしょうにんはしゅはいをえて、 )

と言っていた。巌窟の聖人は酒杯を得て、

(おくやまのまつのとぼそをまれにあけてまだみぬはなのかおをみるかな )

奥山の松の戸ぼそを稀に開けてまだ見ぬ花の顔を見るかな

(といってなきながらげんじをながめていた。しょうにんはげんじをまもるほうのこめられてある)

と言って泣きながら源氏をながめていた。聖人は源氏を護る法のこめられてある

(どっこをけんじょうした。それをみてそうずはしょうとくたいしがくだらのくにからおえになった)

独鈷を献上した。それを見て僧都は聖徳太子が百済の国からお得になった

(こんごうしのじゅずにほうぎょくのかざりのついたのを、そのとうじのいかにも)

金剛子の数珠に宝玉の飾りのついたのを、その当時のいかにも

(にほんのものらしくないはこにいれたままでうすもののふくろにつつんだのをごようのきのえだに)

日本の物らしくない箱に入れたままで薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝に

(つけたものと、こんるりなどのほうせきのつぼへくすりをつめたいくこかをふじやさくらのえだに)

つけた物と、紺瑠璃などの宝石の壺へ薬を詰めた幾個かを藤や桜の枝に

(つけたものと、やまでらのそうずのおくりものらしいものをだした。げんじはがんくつのしょうにんを)

つけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。源氏は巌窟の聖人を

(はじめとして、うえのてらできょうをよんだそうたちへのふせのしなじな、)

はじめとして、上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、

(りょうりのつめあわせなどをきょうへとりにやってあったので、それらがとどいたとき、)

料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、それらが届いた時、

(やまのしごとをするかきゅうろうどうしゃまでがみなそうとうなおくりものをうけたのである。)

山の仕事をする下級労働者までが皆相当な贈り物を受けたのである。

(なおそうずのどうでじゅきょうをしてもらうためのきしんもして、やまをげんじのたっていく)

なお僧都の堂で誦経をしてもらうための寄進もして、山を源氏の立って行く

(まえに、そうずはあねのところにいってげんじからたのまれたはなしをとりつぎしたが、)

前に、僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、

(「いまのところではなんともおへんじのもうしようがありません。ごえんがもし)

「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。御縁がもし

(ありましたならもうし、ごねんしてあらためておっしゃってくだすったら」)

ありましたならもう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」

(とあまぎみはいうだけだった。げんじはぜんやきいたのとおなじようなへんじをそうずから)

と尼君は言うだけだった。源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から

(つたえられてじしんのきもちのりかいされないことをなげいた。)

伝えられて自身の気持ちの理解されないことを歎いた。

(てがみをそうずのめしつかいのしょうどうにもたせてやった。 )

手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。

(ゆうまぐれほのかにはなのいろをみてけさはかすみのたちぞわづらう )

夕まぐれほのかに花の色を見て今朝は霞の立ちぞわづらふ

(といううたである。へんかは、 )

という歌である。返歌は、

(まことにやはなのほとりはたちうきとかすむるそらのけしきをもみん )

まことにや花のほとりは立ち憂きと霞むる空のけしきをも見ん

(こうだった。きじょらしいひんのよいてでかざりけなしにかいてあった。)

こうだった。貴女らしい品のよい手で飾りけなしに書いてあった。

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