紫式部 源氏物語 葵 11 與謝野晶子訳
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問題文
(あきのかんりのしょうしんのきまるひであったから、だいじんもさんだいしたので、しそくたちも)
秋の官吏の昇進の決る日であったから、大臣も参内したので、子息たちも
(それぞれのきぼうがあってこのごろはだいじんのそばをはなれまいと)
それぞれの希望があってこのごろは大臣のそばを離れまいと
(しているのであるからみなつづいてそのあとからでていった。いるにんずうが)
しているのであるから皆続いてそのあとから出て行った。いる人数が
(すくなくなって、ていないがしずかになったころに、あおいのきみはにわかに)
少なくなって、邸内が静かになったころに、葵の君はにわかに
(むねがせきあげるようにしてくるしみだしたのである。ごしょへむかえのつかいを)
胸がせきあげるようにして苦しみ出したのである。御所へ迎えの使いを
(だすまもなくふじんのいきはたえてしまった。さだいじんもげんじもあわてて)
出す間もなく夫人の息は絶えてしまった。左大臣も源氏もあわてて
(たいしゅつしてきたので、じもくのよるであったが、このさわりでかんりのにんめんはきまらずに)
退出して来たので、除目の夜であったが、この障りで官吏の任免は決まらずに
(おわったかたちである。わかいふじんのとつぜんのしにさだいじんていはこんらんするばかりで、)
終った形である。若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、
(よなかのことであったからえいざんのざすもほかのそうたちもまねくまがなかった。)
夜中のことであったから叡山の座主も他の僧たちも招く間がなかった。
(もうきとくなじょうたいからだっしたものとして、だれのこころにもゆだんのあったすきに、)
もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあった隙に、
(しがしのびよったのであるから、みなぼうぜんとしている。しょしょのいもんしが)
死が忍び寄ったのであるから、皆呆然としている。所々の慰問使が
(あつまってきていても、あいさつのとりつぎをたくされるようなひともなく、)
集まって来ていても、挨拶の取り次ぎを託されるような人もなく、
(なきごえばかりがていないにみちていた。だいじんふうふ、こじんのおっとであるげんじのなげきは)
泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良人である源氏の歎きは
(きょくどのものであった。これまでもののけのためにいちじてきなかしじょうたいになったことも)
極度のものであった。これまで物怪のために一時的な仮死状態になったことも
(たびたびあったのをおもって、ししゃとしてまくらをなおすこともなく、に、さんにちはなお)
たびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお
(びょうふじんとしてねさせて、そせいをまっていたが、じかんはすでになきがらであることを)
病夫人として寝させて、蘇生を待っていたが、時間はすでに亡骸であることを
(しょうめいするばかりであった。もうしをひていしてみるりゆうはなにひとつないことを)
証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことを
(だれもみとめたのである。げんじはつまのしをかなしむとともに、じんせいのいとわしさが)
だれも認めたのである。源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭わしさが
(ふかくおもわれて、しょしょからよせてくるちょうもんのことばも、どれも)
深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれも
(うれしくおもわれなかった。いんもおかなしみになっておつかいをくだされた。)
うれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだされた。
(だいじんはむすめのしごのこうえいにかんげきするなみだもながしているのである。ひとのちゅうこくにしたがい)
大臣は娘の死後の光栄に感激する涙も流しているのである。人の忠告に従い
(そせいのじゅつとして、それはいがいにたいしていたましいざんこくなほうほうで)
蘇生の術として、それは遺骸に対して傷ましい残酷な方法で
(おこなわれることまでもだいじんはさせて、むすめのいきのでてくることをまっていたが)
行なわれることまでも大臣はさせて、娘の息の出てくることを待っていたが
(みなだめであった。もういくにちかになるのである。いよいよふじんをとりべののかそうばへ)
皆だめであった。もう幾日かになるのである。いよいよ夫人を鳥辺野の火葬場へ
(おくることになった。こうしてまたひとびとはかなしんだのである。)
送ることになった。こうしてまた人々は悲しんだのである。
(さだいじんのあいじょうとして、げんじのふじんとしてそうそうのしきにつらなるひと、ねんぶつのために)
左大臣の愛嬢として、源氏の夫人として葬送の式に列る人、念仏のために
(あつめられたてらでらのそう、そんなひとたちでとりべのがうずめられた。)
集められた寺々の僧、そんな人たちで鳥辺野がうずめられた。
(いんはもとよりのこと、おきさきがた、とうぐうからたまわったおつかいがつぎつぎにそうじょうへさんちゃくして)
院はもとよりのこと、お后方、東宮から賜わった御使いが次々に葬場へ参着して
(ちょうしをよんだ。かなしみにくれただいじんはたちあがるちからもうしなっていた。)
弔詞を読んだ。悲しみにくれた大臣は立ち上がる力も失っていた。
(「こんなろうじんになってから、わかざかりのむすめにしなれてむりょくに)
「こんな老人になってから、若盛りの娘に死なれて無力に
(わたくしはないているじゃないか」 はじてこういってなくだいじんを)
私は泣いているじゃないか」 恥じてこう言って泣く大臣を
(かなしんでみぬひともなかった。よどおしかかったほどのおおがかりなぎしきであったが、)
悲しんで見ぬ人もなかった。夜通しかかったほどの大がかりな儀式であったが、
(けっきょくはけむりにすべくいがいをひろいのにおいてくるだけのさびしいことになって)
結局は煙にすべく遺骸を広い野に置いて来るだけの寂しいことになって
(みなそうぎょうにかえっていった。しはそうしたものであるが、さきにひとりのあいじんを)
皆早暁に帰って行った。死はそうしたものであるが、前に一人の愛人を
(しなせただけのけいけんよりないげんじはいままたひじょうなあいかんをえたのである。)
死なせただけの経験よりない源氏は今また非常な哀感を得たのである。
(はちがつのはつかすぎのありあけづきのあるころで、そらのいろもみにしむのである。)
八月の二十日過ぎの有明月のあるころで、空の色も身にしむのである。
(なきこをおもってなくだいじんのひたんにどうじょうしながらもみるにしのびなくて、)
亡き子を思って泣く大臣の悲歎に同情しながらも見るに忍びなくて、
(げんじはしゃちゅうからそらばかりをみることになった。 )
源氏は車中から空ばかりを見ることになった。
(のぼりぬるけむりはそれとわかねどもなべてくもいのあわれなるかな )
昇りぬる煙はそれと分かねどもなべて雲井の哀れなるかな
(げんじはこうおもったのである。いえへかえってもすこしもねむれない。こじんとふたりの)
源氏はこう思ったのである。家へ帰っても少しも眠れない。故人と二人の
(ながいあいだのふうふせいかつをおもいだして、なぜじぶんはつまにじゅうぶんのあいを)
長い間の夫婦生活を思い出して、なぜ自分は妻に十分の愛を
(しめさなかったのであろう、しんらいしていてさえもらえば、いせいにたいするじぶんのあいは)
示さなかったのであろう、信頼していてさえもらえば、異性に対する自分の愛は
(つまにかえるよりほかはないのだとのんきにおもって、いちじてきなしょうどうをうけてはうらめしく)
妻に帰るよりほかはないのだと暢気に思って、一時的な衝動を受けては恨めしく
(おもわせるようなつみをなぜじぶんはつくったのであろう。そんなことでつまはしょうがい)
思わせるような罪をなぜ自分は作ったのであろう。そんなことで妻は生涯
(こころからうちとけてくれなかったのだなどと、げんじはくやむのであるがいまはもう)
心から打ち解けてくれなかったのだなどと、源氏は悔やむのであるが今はもう
(なんのかいのあるときでもなかった。うすにびいろのもふくをきるのもゆめのようなきがした。)
何のかいのある時でもなかった。淡鈍色の喪服を着るのも夢のような気がした。
(もしじぶんがさきにしんでいたら、つまはこれよりもこいいろのもふくをきて)
もし自分が先に死んでいたら、妻はこれよりも濃い色の喪服を着て
(なげいているであろうとおもってもまたげんじのかなしみは)
歎いているであろうと思ってもまた源氏の悲しみは
(わきあがってくるのであった。 )
湧き上がってくるのであった。
(かぎりあればうすずみごろもあさけれどなみだぞそでをふちとなしける )
限りあればうす墨衣浅けれど涙ぞ袖を淵となしける
(とうたったあとでねんずをしているげんじのようすはかぎりもなくえんであった。)
と歌ったあとで念誦をしている源氏の様子は限りもなく艶であった。
(きょうをこごえでよんで「ほっかいざんまいふげんだいし」といっているげんじは、)
経を小声で読んで「法界三昧普賢大士」と言っている源氏は、
(ほとけづとめをしなれたそうよりもかえってとうとくおもわれた。わかぎみをみても「むすびおく)
仏勤めをし馴れた僧よりもかえって尊く思われた。若君を見ても「結び置く
(かたみのこだになかりせばなににしのぶのくさをつままし」こんなこかがおもわれて)
かたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」こんな古歌が思われて
(いっそうかなしくなったが、このかたみだけでものこしていってくれたことに)
いっそう悲しくなったが、この形見だけでも残して行ってくれたことに
(なぐさんでいなければならないともげんじはおもった。さだいじんのふじんのみやさまは、)
慰んでいなければならないとも源氏は思った。左大臣の夫人の宮様は、
(かなしみにしずんでおやすみになったきりである。おいのちもあぶなくみえることにまた)
悲しみに沈んでお寝みになったきりである。お命も危く見えることにまた
(いえのひとびとはあわててきとうなどをさせていた。さびしいひがずんずんたっていって、)
家の人々はあわてて祈祷などをさせていた。寂しい日がずんずん立っていって、
(もうしじゅうくにちのほうえのしたくをするにも、みやはまったく)
もう四十九日の法会の仕度をするにも、宮はまったく
(よきあそばさないことであったからおかなしかった。けってんのおおいむすめでも)
予期あそばさないことであったからお悲しかった。欠点の多い娘でも
(しんだあとでのおやのかなしみはどれほどふかいものかしれない、ましてははぎみの)
死んだあとでの親の悲しみはどれほど深いものかしれない、まして母君の
(おうしないになったのは、きじょとしてかんぜんにちかいほどのひめぎみなのであるから、)
お失いになったのは、貴女として完全に近いほどの姫君なのであるから、
(このおなげきはしごくどうりなことともうさねばならない。)
このお歎きは至極道理なことと申さねばならない。
(ただひめぎみがひとりであるということもさびしくおおもいになったみやであったから、)
ただ姫君が一人であるということも寂しくお思いになった宮であったから、
(そのゆいいつのひめぎみをおうしないになったおこころは、そでのうえにおいたたまのくだけたよりも)
その唯一の姫君をお失いになったお心は、袖の上に置いた玉の砕けたよりも
(もっとおしくざんねんなことでおありになったにちがいない。)
もっと惜しく残念なことでおありになったに違いない。