紫式部 源氏物語 末摘花 9 與謝野晶子訳

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問題文

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(ひたちのにょおうのまだかおもみせないふかいしゅうちをとりのけてみようともかくべつしないで)

常陸の女王のまだ顔も見せない深い羞恥を取りのけてみようとも格別しないで

(ときがたった。あるいはげんじがこのひとをあらわにみたせつなからすきになるかのうせいが)

時がたった。あるいは源氏がこの人を顕わに見た刹那から好きになる可能性が

(あるともいえるのである。てさぐりにふしんなてんがあるのか、このひとのかおをいちどだけ)

あるとも言えるのである。手探りに不審な点があるのか、この人の顔を一度だけ

(みたいとおもうこともあったが、ひっこみのつかぬげんめつをあじわわされることも)

見たいと思うこともあったが、引っ込みのつかぬ幻滅を味わわされることも

(おもうとふあんだった。だれもひとのくることをおもわない、まだしんやにならぬじこくに)

思うと不安だった。だれも人の来ることを思わない、まだ深夜にならぬ時刻に

(げんじはそっといって、こうしのあいだからのぞいてみた。けれどひめぎみはそんなところから)

源氏はそっと行って、格子の間からのぞいて見た。けれど姫君はそんな所から

(みえるものでもなかった。きちょうなどはひじょうにふるびたものであるが、)

見えるものでもなかった。几帳などは非常に古びた物であるが、

(むかしつくられたままにみなきちんとかかっていた。どこからかすきみができるかとげんじは)

昔作られたままに皆きちんとかかっていた。どこからか隙見ができるかと源氏は

(えんがわをあちこちとあるいたが、すみのへやにだけいるひとがみえた。し、ごにんの)

縁側をあちこちと歩いたが、隅の部屋にだけいる人が見えた。四、五人の

(にょうぼうである。しょくじだい、しょっき、これらはしなせいのものであるが、ふるく)

女房である。食事台、食器、これらは支那製のものであるが、古く

(きたなくなってみるかげもない。にょおうのへやからさげたそんなものをおいて、)

きたなくなって見る影もない。女王の部屋から下げたそんなものを置いて、

(ばんのしょくじをこのひとたちはしているのである。みなさむそうであった。しろいふくの)

晩の食事をこの人たちはしているのである。皆寒そうであった。白い服の

(なんともいえないほどすすけてきたなくなったもののうえに、かたぎらしくものかたちをした)

何ともいえないほど煤けてきたなくなった物の上に、堅気らしく裳の形をした

(ものをうしろにくくりつけている。しかもこふうにかみをくしでうしろへおさえたひたいのかっこう)

物を後ろにくくりつけている。しかも古風に髪を櫛で後ろへ押えた額のかっこう

(などをみると、ないきょうぼう(きゅうちゅうのしんぜんほうしのにょうぼうがおんがくのれんしゅうを)

などを見ると、内教坊(宮中の神前奉仕の女房が音楽の練習を

(しているところ)やないしどころではこんなかっこうをしたものがいるとおもえてげんじは)

している所)や内侍所ではこんなかっこうをした者がいると思えて源氏は

(おかしかった。こんなふうをにんげんにつかえるにょうぼうもしているものとはこれまで)

おかしかった。こんなふうを人間に使える女房もしているものとはこれまで

(げんじはしらなんだ。 「まあさむいとし。ながいきをしているとこんなふゆにも)

源氏は知らなんだ。 「まあ寒い年。長生きをしているとこんな冬にも

(あいますよ」 そういってなくものもある。)

逢いますよ」 そう言って泣く者もある。

(「みやさまがおいでになったじだいに、なぜわたくしはこころぼそいおうちだなどとおもったのだろう。)

「宮様がおいでになった時代に、なぜ私は心細いお家だなどと思ったのだろう。

など

(そのときよりもまたどれだけひどくなったかもしれないのに、やっぱりわたくしらは)

その時よりもまたどれだけひどくなったかもしれないのに、やっぱり私らは

(がまんしてごほうこうしている」 そのおんなはりょうそでをばたばたといわせて、いまにもくうちゅうへ)

我慢して御奉公している」 その女は両袖をばたばたといわせて、今にも空中へ

(とびあがってしまうようにふるえている。せいかつについてのむきだしな、きまりの)

飛び上がってしまうように慄えている。生活についての剥き出しな、きまりの

(わるくなるようなはなしばかりするので、きいていてはずかしくなったげんじは、)

悪くなるような話ばかりするので、聞いていて恥ずかしくなった源氏は、

(そこからのいて、いまきたようにこうしをたたいたのであった。 「さあ、さあ」)

そこから退いて、今来たように格子をたたいたのであった。 「さあ、さあ」

(などといって、ひをあかるくして、こうしをあげてげんじをむかえた。じじゅうはいっぽうで)

などと言って、灯を明るくして、格子を上げて源氏を迎えた。侍従は一方で

(さいいんのにょうぼうをつとめていたからこのごろはきていないのである。それがいないので)

斎院の女房を勤めていたからこのごろは来ていないのである。それがいないので

(いっそうすべてのちょうしがやぼらしかった。せんこくろうじんたちのうれえていたゆきが)

いっそうすべての調子が野暮らしかった。先刻老人たちの愁えていた雪が

(ますますおおぶりになってきた。すごいそらのしたをぼうふうがふいて、ひのきえたときにも)

ますます大降りになってきた。すごい空の下を暴風が吹いて、灯の消えた時にも

(つけなおそうとするものはない。なにがしのいんのもののけのでたよるがげんじに)

点け直そうとする者はない。某の院の物怪の出た夜が源氏に

(おもいだされるのである。こうはいのしかたはそれにおとらないいえであっても、)

思い出されるのである。荒廃のしかたはそれに劣らない家であっても、

(へやのせまいのと、にんげんがあのときよりはおおいてんだけをなぐさめにおもえば)

室の狭いのと、人間があの時よりは多い点だけを慰めに思えば

(おもえるのであるが、ものすごいよるで、ふあんなおもいにたえずめがさめた。)

思えるのであるが、ものすごい夜で、不安な思いに絶えず目がさめた。

(こんなことはかえっておんなへのあいをふかくさせるものなのであるが、こころをひきつける)

こんなことはかえって女への愛を深くさせるものなのであるが、心を惹きつける

(なにものをももたないあいてにげんじはしつぼうをおぼえるばかりであった。やっとよがあけて)

何物をも持たない相手に源氏は失望を覚えるばかりであった。やっと夜が明けて

(いきそうであったから、げんじはじしんでこうしをあげて、ちかいにわのゆきのけしきをみた。)

行きそうであったから、源氏は自身で格子を上げて、近い庭の雪の景色を見た。

(ひとのふみひらいたあともなく、とおいところまでしろくさびしくゆきがつづいていた。いまここから)

人の踏み開いた跡もなく、遠い所まで白く寂しく雪が続いていた。今ここから

(でていってしまうのもかわいそうにおもわれていった。 「よあけの)

出て行ってしまうのもかわいそうに思われて言った。 「夜明けの

(おもしろいそらのいろでもいっしょにおながめなさい。いつまでもよそよそしくして)

おもしろい空の色でもいっしょにおながめなさい。いつまでもよそよそしくして

(いらっしゃるのがくるしくてならない」)

いらっしゃるのが苦しくてならない」

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