人間椅子 4
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問題文
(ひじょうにしんぱいしましたけれど、けっきょく、なにごともなく、)
非常に心配しましたけれど、結局、何事もなく、
(そのひのごごには、もうわたしのはいったひじかけいすは、)
その日の午後には、もう私の這入った肘掛椅子は、
(ほてるのいっしつに、どっかりと、すえられておりました。)
ホテルの一室に、どっかりと、据えられて居りました。
(あとでわかったのですが、それは、ししつではなくて、)
後で分ったのですが、それは、私室ではなくて、
(ひとをまちあわせたり、しんぶんをよんだり、たばこをふかしたり、)
人を待合せたり、新聞を読んだり、煙草をふかしたり、
(いろいろのひとがひんぱんにでいりする、)
色々の人が頻繁に出入りする、
(ろーんじとでもいうようなへやでございました。)
ローンジとでもいう様な部屋でございました。
(もうとっくに、おきづきでございましょうが、)
もうとっくに、御気づきでございましょうが、
(わたしの、このきみょうなおこないのだいいちのもくてきは、ひとのいないときをみすまして、)
私の、この奇妙な行いの第一の目的は、人のいない時を見すまして、
(いすのなかからぬけだし、ほてるのなかをうろつき、ぬすみをはたらくことでありました。)
椅子の中から抜け出し、ホテルの中をうろつき、盗みを働くことでありました。
(いすのなかににんげんがかくれていようなどと、そんなばかばかしいことを、)
椅子の中に人間が隠れていようなどと、そんな馬鹿馬鹿しいことを、
(だれがそうぞういたしましょう。わたしは、かげのように、じゆうじざいに、)
誰が想像致しましょう。私は、影の様に、自由自在に、
(へやからへやを、あらしまわることができます。)
部屋から部屋を、荒し廻ることが出来ます。
(そして、ひとびとが、さわぎはじめるじぶんには、いすのなかのかくれがへにげかえって、)
そして、人々が、騒ぎ始める時分には、椅子の中の隠家へ逃げ帰って、
(いきをひそめて、かれらのまぬけなそうさくを、けんぶつしていればよいのです。)
息を潜めて、彼等の間抜けな捜索を、見物していればよいのです。
(あなたは、かいがんのなみうちぎわなどに、)
あなたは、海岸の波打際などに、
(「やどかり」といういっしゅのかにのいるのをごぞんじでございましょう。)
「やどかり」という一種の蟹のいるのを御存じでございましょう。
(おおきなくものさまなかっこうをしていて、ひとがいないと、そのへんをわがものがおに、)
大きな蜘蛛の様な恰好をしていて、人がいないと、その辺を我物顔に、
(のさばりあるいていますが、ちょっとでもひとのきょうおんがしますと、)
のさばり歩いていますが、一寸でも人の跫音がしますと、
(おそろしいはやさで、)
恐ろしい速さで、
(かいがらのなかへにげこみます。)
貝殻の中へ逃げ込みます。
(そして、きみのわるい、けむくじゃらのまえあしを、)
そして、気味の悪い、毛むくじゃらの前足を、
(すこしばかりかいからからのぞかせて、てきのどうせいをうかがっております。)
少しばかり貝殻から覗かせて、敵の動静を伺って居ります。
(わたしはちょうどあの「やどかり」でございました。かいがらのかわりに、)
私は丁度あの「やどかり」でございました。貝殻の代りに、
(いすというかくれがをもち、かいがんではなくて、)
椅子という隠家を持ち、海岸ではなくて、
(ほてるのなかを、わがものがおに、のさばりあるくのでございます。)
ホテルの中を、我物顔に、のさばり歩くのでございます。
(さて、このわたしのとっぴなけいかくは、それがとっぴであったたけけ、)
さて、この私の突飛な計画は、それが突飛であった丈け、
(ひとびとのいひょうがいにいでて、みごとにせいこういたしました。)
人々の意表外に出でて、見事に成功致しました。
(ほてるについてみっかめには、)
ホテルに着いて三日目には、
(もう、たんまりとひとしごとすませていたほどでございます。)
もう、たんまりと一仕事済ませて居た程でございます。
(いざぬすみをするというときの、おそろしくも、たのしいこころもち、)
いざ盗みをするという時の、恐ろしくも、楽しい心持、
(うまくせいこうしたときの、なんともけいようしがたいうれしさ、)
うまく成功した時の、何とも形容し難い嬉しさ、
(それから、ひとびとがわたしのすぐはなのさきで、あっちへにげた、)
それから、人々が私のすぐ鼻の先で、あっちへ逃げた、
(こっちへにげたとおおさわぎをやっているのを、)
こっちへ逃げたと大騒ぎをやっているのを、
(じっとみているおかしさ。それがまあ、)
じっと見ているおかしさ。それがまあ、
(どのようなふしぎなみりょくをもって、)
どの様な不思議な魅力を持って、
(わたしをたのしませたことでございましょう。)
私を楽しませたことでございましょう。
(でも、わたしはいま、ざんねんながら、それをくわしくおはなしているひまはありません。)
でも、私は今、残念ながら、それを詳しくお話している暇はありません。
(わたしはそこで、そんなぬすみなどよりは、じゅうばいもにじゅうばいも、)
私はそこで、そんな盗みなどよりは、十倍も二十倍も、
(わたしをよろこばせたところの、きかいきわまるかいらくをはっけんしたのでございます。)
私を喜ばせた所の、奇怪極まる快楽を発見したのでございます。
(そして、それについて、こくはくすることが、)
そして、それについて、告白することが、
(じつは、このてがみのほんとうのもくてきなのでございます。)
実は、この手紙の本当の目的なのでございます。
(おはなしを、まえにもどして、わたしのいすが、)
お話を、前に戻して、私の椅子が、
(ほてるのろーんじにおかれたときのことから、はじめなければなりません。)
ホテルのローンジに置かれた時のことから、始めなければなりません。
(いすがつくと、ひとしきり、ほてるのしゅじんたちが、)
椅子が着くと、一しきり、ホテルの主人達が、
(そのすわりぐあいをみまわっていきましたが、)
その坐り工合を見廻って行きましたが、
(あとは、ひっそりとして、ものおとひとついたしません。)
あとは、ひっそりとして、物音一つ致しません。
(たぶんへやには、だれもいないのでしょう。)
多分部屋には、誰もいないのでしょう。
(でも、とうちゃくそうそう、いすからでることなど、)
でも、到着匆々、椅子から出ることなど、
(とてもおそろしくてできるものではありません。)
迚も恐ろしくて出来るものではありません。
(わたしは、ひじょうにながいあいだ(ただそんなにかんじたのかもしれませんが))
私は、非常に長い間(ただそんなに感じたのかも知れませんが)
(すこしのものおともききもらすまいと、ぜんしんけいをみみにあつめて、)
少しの物音も聞き洩すまいと、全神経を耳に集めて、
(じっとあたりのようすをうかがっておりました。)
じっとあたりの様子を伺って居りました。
(そうして、しばらくしますと、たぶんろうかのほうからでしょう、)
そうして、暫くしますと、多分廊下の方からでしょう、
(こつこつとおもくるしいきょうおんがひびいてきました。)
コツコツと重苦しい跫音が響いて来ました。
(それが、にさんけんむかうまでちかづくと、)
それが、二三間向うまで近付くと、
(へやにしかれたじゅうせんのために、ほとんどききとれぬほどのひくいおとにかわりましたが、)
部屋に敷かれた絨氈の為に、殆ど聞きとれぬ程の低い音に代りましたが、
(まもなく、あらあらしいおとこのはないきがきこえ、)
間もなく、荒々しい男の鼻息が聞え、
(はっとおもうあいだに、せいようじんらしいおおきなしんたいが、わたしのひざのうえに、)
ハッと思う間に、西洋人らしい大きな身体が、私の膝の上に、
(どさりとおちてふかふかとにさんどはずみました。)
ドサリと落ちてフカフカと二三度はずみました。
(わたしのふとももと、そのおとこのがっしりしたいだいなでんぶとは、)
私の太腿と、その男のガッシリした偉大な臀部とは、
(うすいなめしがわいちまいをへだてて、だんあじをかんじるほどもみっせつしています。)
薄い鞣皮一枚を隔てて、暖味を感じる程も密接しています。
(はばのひろいかれのかたは、ちょうどわたしのむねのところへもたれかかり、)
幅の広い彼の肩は、丁度私の胸の所へ凭れかかり、
(おもいりょうては、かわをへだてて、わたしのてとかさなりあっています。)
重い両手は、革を隔てて、私の手と重なり合っています。
(そして、おとこがしがーをくゆらしているのでしょう。)
そして、男がシガーをくゆらしているのでしょう。
(だんせいてきな、ゆたかなかおりが、かわのすきまをとおしてようってまいります。)
男性的な、豊な薫が、革の隙間を通して漾って参ります。
(おくさま、かりにあなたが、わたしのいちにあるものとして、)
奥様、仮にあなたが、私の位置にあるものとして、
(そのばのようすをそうぞうしてごらんなさいませ。)
其場の様子を想像してごらんなさいませ。