猪の味 北大路魯山人 ②

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陶芸、書、料理などで才能を発揮した北大路魯山人の随筆。

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(とうきょうでいのししのこを「とうさい」といい、かみかたで「どんこ」というが、)

東京で猪の仔を「当歳」と言い、上方で「ドンコ」と言うが、

(わたしもちょうずるにおよんで、そのしんじつなることをけいけんてきにまなんだ。)

私も長ずるに及んで、その真実なることを経験的に学んだ。

(いまのみかくからいっても、いのししのにくをしょうみするときはせいごいちねんのこいのししにかぎる。)

今の味覚から言っても、猪の肉を賞味する時は生後一年の仔猪にかぎる。

(もしくはに、さんじゅっかんのあぶらにくにとむいのししがうまい。)

もしくは二、三十貫の脂肉に富む猪が美味い。

(だから、いまではおおきないのししにてをだすことはまずない。)

だから、今では大きな猪に手を出すことはまずない。

(そうじて、としをとったものがまずいのは、)

総じて、年を取ったものが不味いのは、

(なにもいのししだけにかぎったことではない。)

なにも猪だけにかぎったことではない。

(うしでもとりでもさかなでもおなじである。)

牛でも鳥でもさかなでも同じである。

(だが、いのししのばあいは、すくなくともうしなどとは、そのいみがすこしちがう。)

だが、猪の場合は、少なくとも牛などとは、その意味が少し違う。

(こうしはうまい。けれども、こうしのあじをふつうのうしのあじとひかくするのはむりである。)

犢はうまい。けれども、犢の味をふつうの牛の味と比較するのは無理である。

(こうしとおやうしのにくは、おなじうしのにくでもまったくべつなあじである。)

犢と親牛の肉は、同じ牛の肉でも全く別な味である。

(いわばひんしつがちがうのである。)

言わば品質が違うのである。

(いのししのにくもどうようで、おやいのししとこいのししとはともにあじもしつもちがうけれど、)

猪の肉も同様で、親猪と仔猪とは共に味も質も違うけれど、

(くってうまいてんでは、こいのししはあなどりがたいうまさをもっている。)

食って美味い点では、仔猪はあなどりがたい美味さを持っている。

(しぼうそうはない、にくはやわらかく、)

脂肪層はない、肉はやわらかく、

(「いのししはとうさい」ということばは、かっことしたいみをもっている。)

「猪は当歳」という言葉は、確固とした意味を持っている。

(おやいのししはあぶらがおおく、にくもそにしてかたい。)

親猪は脂が多く、肉も粗にしてかたい。

(こいのししはにくがやわらかく、あぶらもぶたにくのさんまいににてこあじである。)

仔猪は肉がやわらかく、脂も豚肉の三枚に似て小味である。

(もちろん、このやせいどうぶつはあぶらののるふゆがうまい。)

もちろん、この野生動物は脂の乗る冬が美味い。

(またおおゆきのつもるゆきぐににさんするものがよい。)

また大雪の積もる雪国に産するものがよい。

など

(いずあまぎあたりでもだいぶとれるが、あぶらがすくなくてあじもわるい。)

伊豆天城あたりでも大分獲れるが、脂が少なくて味も悪い。

(こいのししはいっぱんにぶあつなあぶらにくはすくないが、)

仔猪は一般に分厚な脂肉は少ないが、

(こいのししでひかくてきあぶらののったものがもっともりそうてきである。)

仔猪で比較的脂の乗ったものが最も理想的である。

(おおきさでいえば、じゅうごかんめぐらいのやつがよろしい。)

大きさで言えば、十五貫目ぐらいの奴がよろしい。

(いのししのにくをにてくうにはさんしゅうみそがよい。)

猪の肉を煮て食うには三州味噌がよい。

(あぶらっこいものであるから、みそをいれるとくちあたりがよいのである。)

脂っこいものであるから、味噌を入れると口あたりがよいのである。

(しぶみがすこしあるからさけをいれる。)

渋味が少しあるから酒を入れる。

(「いのししだいこん」ということがむかしからいわれているが、)

「猪大根」ということが昔から言われているが、

(そのとおり、だいこんはにくのあじにひじょうによくあう。)

その通り、大根は肉の味に非常によく合う。

(そのてんはぶたもおなじで、だいこんそのものもなかなかうまくくえる。)

その点は豚も同じで、大根そのものもなかなか美味く食える。

(わたしのこどもじだいには、ねぎやなにかごちゃごちゃいれてにていたが、)

私の子ども時代には、ねぎや何かゴチャゴチャ入れて煮ていたが、

(しょうゆのほかに、やはり、みそをもちいていた。)

醤油のほかに、やはり、味噌を用いていた。

(ばにくなどもみそをもちいるが、)

馬肉なども味噌を用いるが、

(うまのばあいはみそでもいれなければくえないのであって、)

馬の場合は味噌でも入れなければ食えないのであって、

(いのししにみそをもちいるのは、すこしそれとはいみをことにするようだ。)

猪に味噌を用いるのは、少しそれとは意味を異にするようだ。

(ところで、よくせけんでいのししなべかいをやるというので、)

ところで、よく世間で猪なべ会をやるというので、

(しょうたいされていってみると、にくをでたらめにうすくきって、)

招待されて行ってみると、肉を出鱈目に薄く切って、

(だいこんやいもやにんじんなどといっしょにごたごたおおなべにいれ、)

大根や芋や人参などといっしょにごたごた大なべに入れ、

(ながいじかんぐつぐつにているばあいがおおい。)

長い時間ぐつぐつ煮ている場合が多い。

(これはいのししのにくがかたいからというのであろうが、)

これは猪の肉がかたいからと言うのであろうが、

(それにしても、いよいよにえてたべるだんになってみると、)

それにしても、いよいよ煮えて食べる段になってみると、

(にくはなるほどよくにえてやわらかくはなっているが、)

肉はなるほどよく煮えてやわらかくはなっているが、

(すっかりだしがらになっていて、なんのあじもないのはなさけない。)

すっかりだしがらになっていて、なんの味もないのは情けない。

(いのししはもちろんにくのあじもよいが、そればかりでなく、)

猪はもちろん肉の味もよいが、そればかりでなく、

(あのやしゅをおびたこうみをたっとぶ。)

あの野趣を帯びた香味を尊ぶ。

(しかるに、こうにてしまっては、にくのこうみはおろかなこと、あじさえもないのである。)

然るに、こう煮てしまっては、肉の香味は愚かなこと、味さえもないのである。

(たいがいこんなばあい、にくがひじょうにすくなく、なべのなかをひっかきまわして、)

大概こんな場合、肉が非常に少なく、なべの中をひっかきまわして、

(やっとさがしだしてみるとそれがこういうありさまで、)

やっと探し出してみるとそれがこういう有様で、

(だしがらときているから、とうきょうのいのししなべかいでいのししをくったひとのおおくが、)

だしがらときているから、東京の猪なべ会で猪を食った人の多くが、

(いのししなんてうまくないというのもとうぜんであろう。)

猪なんて美味くないと言うのも当然であろう。

(だが、これではいのししにたいしてもうしわけがたつまい。)

だが、これでは猪に対して申し訳が立つまい。

(あまりにも、ものをくうこころえがないからのことで、)

あまりにも、ものを食う心得がないからのことで、

(わたしだったら、まずあぶらみのところでやさいをにて、)

私だったら、まず脂身のところで野菜を煮て、

(べつににくをとって、かたければうすくきり、)

別に肉を取って、かたければ薄く切り、

(これをじょじょになべについかしながら、にえるそばからたべるようにする。)

これを徐々になべに追加しながら、煮えるそばから食べるようにする。

(いのししのあじでやさいをしょうみするといっても、かんじんのいのししのあじが)

猪の味で野菜を賞味すると言っても、肝心の猪の味が

(すべてやさいにきゅうしゅうされてしまっては、いのししなべとしてもんだいにならない。)

すべて野菜に吸収されてしまっては、猪なべとして問題にならない。

(がんらい、いのししのにくはそれほどだしのでるものではなく、)

元来、猪の肉はそれほどだしの出るものではなく、

(ほじょみのやくにはならないものである。)

補助味の役にはならないものである。

(だから、いのししのあじだけでくおうとすれば、)

だから、猪の味だけで食おうとすれば、

(そうとうしぼうのついたにく(あぶらみ)をほうふにつかうべきである。)

相当脂肪のついた肉(脂身)を豊富に使うべきである。

(なべのなかにやさいがにくよりおおいようでは、だしはまずきかない。)

なべの中に野菜が肉より多いようでは、だしはまず利かない。

(またあじがきくほどにれば、ぜんじゅつのようなだしがらになって、)

また味が利くほど煮れば、前述のようなだしがらになって、

(さけのかんづめにくのようにぼろぼろになってしまい、いのししにくのめんもくはなくなる。)

さけの缶詰肉のようにぼろぼろになってしまい、猪肉の面目はなくなる。

(はなはだしいのになると、やまとつんだやさいのなかに、にくがもうしわけていど、)

甚だしいのになると、山と積んだ野菜の中に、肉が申しわけ程度、

(おおなべにおまじないみたいにいれてあるいのししなべかいがある。)

大なべにおまじないみたいに入れてある猪なべ会がある。

(わずかばかりのにくでおおぜいのひとをよんだりするから、)

わずかばかりの肉で大勢の人を呼んだりするから、

(そういうことになるのであろうが、いかにいのししのにくがごうみであろうとも、)

そういうことになるのであろうが、いかに猪の肉が豪味であろうとも、

(それではしゅうかてきしえないのである。)

それでは衆寡敵し得ないのである。

(なんにしても、いのししなべかいというふれこみのたいかいは、)

なんにしても、猪なべ会というふれこみの大会は、

(いのししにくをしょうみするのがもくてきでないばあいがおおい。いのししなべかいのみにかぎらないが、)

猪肉を賞味するのが目的でない場合が多い。猪なべ会のみに限らないが、

(これもふかくものにてっして、まじめにものをしょりしようとしないにんげんの)

これも深くものに徹して、真面目にものを処理しようとしない人間の

(つうゆうせいのあらわれのひとつであるといえよう。)

通有性のあらわれのひとつであると言えよう。

((しょうわじゅうねん))

(昭和十年)

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