夢十夜 4
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問題文
(こうかんがえたとき、じぶんのてはまたおもわずふとんのしたへはいった。)
こう考えた時、自分の手はまた思わず蒲団の下へ這入った。
(そうしてしゅざやのたんとうをひきずりだした。)
そうして朱鞘の短刀を引き摺りだした。
(ぐっとつかをにぎって、あかいさやをむこうへはらったら)
ぐっと束を握って、赤い鞘を向こうへ払ったら
(つめたいはがいちどにくらいへやでひかった。)
冷たい刃が一度に暗い部屋で光った。
(すごいものがてもとからすうすうとにげていくようにおもわれる。)
凄いものが手元からすうすうと逃げて行くように思われる。
(そうして、ことごとくきっさきへあつまって、さっきをいってんにこめている。)
そうして、ことごとく切っ先へ集まって、殺気を一点に籠めている。
(じぶんはこのするどいはが、むねんにもはりのあたまのようにちぢめられて)
自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮められて
(くすんごぶのさきへきてやむをえずとがってるのをみて)
九寸五分の先へ来てやむを得ず尖ってるのを見て
(たちまちぐさりとやりたくなった。)
たちまちぐさりとやりたくなった。
(からだのちがみぎのてくびのほうへながれてきて)
身体の血が右の手首の方へ流れて来て
(にぎっているつかがにちゃにちゃする。くちびるがふるえた。)
握っている束がにちゃにちゃする。唇が奮えた。
(たんとうをさやへおさめてみぎわきへひきつけておいて、それからぜんざをくんだ。)
短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから前座を組んだ。
(じょうしゅういわくむと。むとはなにだ。くそぼうずめとはがみをした。)
上州曰く無と。無とは何だ。糞坊主めとはがみをした。
(おくばをつよくかみしめたので、はなからあついいきがあらくでる。)
奥歯を強く噛み締めたので、鼻から熱い息が荒く出る。
(こめかみがつっていたい。めはふつうのばいもおおきくあけてやった。)
こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく開けてやった。
(かけものがみえる。あんどんがみえる。たたみがみえる。)
懸物が見える。行灯が見える。畳が見える。
(おしょうのやかんあたまがありありとみえる。わにぐちをひらいてあざわらったこえまできこえる。)
和尚の薬缶頭がありありと見える。鰐口を開いて嘲笑った声まで聞こえる。
(けしからんぼうずだ。どうしてもあのやかんをくびにしなくてはならん。)
怪しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。
(さとってやる。むだ、むだとしたのねでねんじた。)
悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。
(むだというのにやっぱりせんこうのこうがした。なんだせんこうのくせに。)
無だと云うのにやっぱり線香の香がした。何だ線香のくせに。
(じぶんはいきなりげんこつをかためてじぶんのあたまをいやというほどなぐった。)
自分はいきなり拳骨を固めて自分の頭をいやというほど殴った。
(そうしておくばをぎりぎりとかんだ。りょうわきからあせがでる。)
そうして奥歯をぎりぎりと噛んだ。両脇から汗が出る。
(せなかがぼうのようになった。ひざのはぎめがきゅうにいたくなった。)
背中が棒のようになった。膝の接目が急に痛くなった。
(ひざがおれたってどうあるものかとおもった。けれどもいたい。くるしい。)
膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。
(むはなかなかでてこない。でてくるとおもうとすぐいたくなる。)
無はなかなか出てこない。出て来ると思うとすぐ痛くなる。
(はらがたつ。むねんになる。ひじょうにくやしくなる。なみだがほろほろでる。)
腹が立つ。無念になる。非常に口惜しくなる。涙がほろほろ出る。
(ひとおもいにみをおおいわのうえにぶつけて、ほねもにくもめちゃめちゃに)
ひと思に身を巨巌の上にぶつけて、骨も肉もめちゃめちゃに
(くだいてしまいたくなる。それでもがまんしてじっとすわっていた。)
砕いてしまいたくなる。それでも我慢してじっと坐っていた。
(たえがたいほどせつないものをむねにさかれてしのんでいた。)
堪えがたいほど切ないものを胸に盛れて忍んでいた。
(そのせつないものがからだじゅうのきんにくをしたからもちあげてけあなからそとへ)
その切ないものが身体中の筋肉を下から持上げて毛穴から外へ
(ふきでようふきでようとあせるけれども、どこもいちめんにふさがって)
吹き出よう吹き出ようと焦るけれども、どこも一面に塞がって
(まるででぐちのないようなざんこくきまるじょうたいであった。)
まるで出口のないような残酷極まる状態であった。
(そのうちにあたまがへんになった。あんどんもぶそんのえもたたみも)
そのうちに頭が変になった。行灯も蕪村の画も畳も
(ちがいだなもあってないような、なくってあるようにみえた。)
違棚も有って無いような、無くって有るように見えた。
(といってもむはちっとおげんぜんしない。)
と云っても無はちっとお現前しない。
(ただいいかげんにすわっていたようである。)
ただ好い加減に坐っていたようである。
(ところへこつねんとなりざしきのとけいがちーんとなりはじめた。)
ところへ忽然隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。
(はっとおもった。みぎのてをすぐたんとうにけけた。とけいがふたつちーんとうった。)
ハッと思った。右の手をすぐ短刀にけけた。時計が二つチーンと打った。