嫁取婿取 17
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問題文
(ちゃのまはふたたびしずまりかえった。)
茶の間は再び静まり返った。
(「おくさま、こんどはもっとほそめにおのこしをねがいます」とやましたふじんがちゅうもんした。)
「奥様、今度はもっと細めにお残しを願います」と山下夫人が注文した。
(「かしこまりました」「かってでおそれいりますが、どうぞおはやく、おほほ」)
「かしこまりました」「勝手で恐れ入りますが、どうぞお早く、オホホ」
(「まあまあ、ごゆっくり」「いいえ、あしもとのくらいなかに、あらあかるいなかに」)
「まあまあ、ごゆっくり」「いいえ、足元の暗い中に、あら明るい中に」
(「おほほ」「このとおりあわてているんでございますから、どうぞ」)
「オホホ」「この通り慌てているんでございますから、どうぞ」
(「そこのじょさいはございません」とさいとうふじんはだいにかいようにおかしをのこして)
「そこの如才はございません」と斎藤夫人は第二回用に御菓子を残して
(おいた。まもなくそれをもってたったが、こんどはきをつけて)
おいた。間もなくそれを持って立ったが、今度は気を付けて
(ちょっとぐらいしかすきまをのこさなかった。)
一寸ぐらいしか隙間を残さなかった。
(すみっこだから、これであたまがつっかえてうかがけない。)
隅っこだから、これで頭が閊えて覗けない。
(「おかあさん、まただめよ」「どうして?」「かべがみえてるだけよ」)
「お母さん、又駄目よ」「どうして?」「壁が見えてるだけよ」
(「まあ。これじゃしかたがないわ」「もうすこし、のこしてくださるとね」と)
「まあ。これじゃ仕方がないわ」「もう少し、残して下さるとね」と
(はるこさんははがゆがった。「どうでございました?」)
春子さんは歯痒がった。「どうでございました?」
(「いけませんのよ、おくさま」とやましたふじんはまたこしょうだった。「なぜ?」)
「いけませんのよ、奥様」と山下夫人は又故障だった。「なぜ?」
(「ごようじんがすぎて、こんどはなにもみえませんでしたの」「おやおや」)
「ご用心が過ぎて、今度は何も見えませんでしたの」「おやおや」
(「もういっぺん、おねがいもうしあげます」)
「もう一遍、お願い申し上げます」
(「こんどはくだものをもってまいりましょう」と)
「今度は果物を持って参りましょう」と
(さいとうふじんはそれはらそれとしゅだんがある。)
斎藤夫人はそれはらそれと手段がある。
(きゃくまではしゅじん、「がっこうはあいかわらずおいそがしいでしょう?」)
客間では主人、「学校は相変わらずお忙しいでしょう?」
(「はあ」「じゅぎょうはこうぎですか?」「はあ」)
「はあ」「授業は講義ですか?」「はあ」
(「じゅんびにそうおうじかんががかかりましょう?」「はあ」)
「準備に相応時間ががかかりましょう?」「はあ」
(「えいごもおしえでしたね?」「はあ、ほんのすこし」)
「英語も教えでしたね?」「はあ、ほんの少し」
(「やっかいでしょう」「はあ」と)
「厄介でしょう」「はあ」と
(おさふねくんはどうやらようすをきどったらしくあいてにばかりしゃべらせて)
長船君はどうやら様子を気取ったらしく相手にばかり喋らせて
(きゅうにくちかずをきかなくなった。)
急に口数を利かなくなった。
(そのおりからくだものをもってでたおくさんに「おきゃくさまはどなただい?」と)
その折から果物を持って出た奥さんに「お客様は何方だい?」と
(さいとうさんがなにげなくたずねた。「さあ」とふじんは)
斎藤さんが何気なく尋ねた。「さあ」と夫人は
(そのあたりのうちあわせをしてないからこまった。)
その辺りの打ち合わせをしてないから困った。
(「やましたくんのおくさんとはるこさんじゃないかい?」「・・・」)
「山下君の奥さんと春子さんじゃないかい?」「・・・」
(「そうだろう?」とさいとうさんはようしゃない。)
「そうだろう?」と斎藤さんは容赦ない。
(すでにほうしんをかえて、さとられたうえからはそのばを)
既に方針を変えて、覚られた上からはその場を
(ゆうこうにりようするけっしんがついたのである。「はあ。けれども」)
有効に利用する決心がついたのである。「はあ。けれども」
(「ちょうどいいよ。ここでみあいをしちゃどうだせろう?」)
「丁度いいよ。ここで見合いをしちゃどうだせろう?」
(「あなた」「なんだい?」「でも」「わたしはもうしつれいします」と)
「あなた」「何だい?」「でも」「私はもう失礼します」と
(おさふねくんはもじもじした。ちゃのまにはやましたふじんとはるこさんがかおをみあわせて)
長船君はモジモジした。茶の間には山下夫人と春子さんが顔を見合わせて
(ぼうだちになっていた。「いいですよ。まあまあ、おまちください」と)
棒立ちになっていた。「いいですよ。まあまあ、お待ちください」と
(さいとうさんはおさふねくんをせいして「おくさん、おくさん」とふすまにてをかけた。)
斎藤さんは長船君を制して「奥さん、奥さん」と襖に手をかけた。
(やましたさんとちがってきがはやい。「あなた、あなた」「なにだい?」)
山下さんと違って気が早い。「あなた、あなた」「何だい?」
(「わたし、こまりますわ」とふじんはひきとめて)
「私、困りますわ」と夫人は引き止めて
(「まあまあ、わたしにおまかせくださいな」とかねきりこえをたてた。)
「まあまあ、私にお任せくださいな」と金切声を立てた。
(「おさふねくん、きみはいぞんあるまいね?」とさいとうさんがきいた。)
「長船君、君は異存あるまいね?」と斎藤さんが訊いた。
(「せんせい」「なにだい?」)
「先生」「何だい?」
(「わたしはそのつもりであがったのではありませんから)
「私はそのつもりで上ったのではありませんから
(どうぞせんぽうのごいこうにおまかせをねがいます」と)
どうぞ先方のご意向にお任せを願います」と
(おさふねくんはまっしかくになっていた。)
長船君は真っ四角になっていた。
(「おくさま」とさいとうふじんはちゃのまにもどった。)
「奥様」と斎藤夫人は茶の間に戻った。
(「どういたしましょう?」とやましたふじんがすりよった。)
「どう致しましょう?」と山下夫人が擦り寄った。
(「ばれたいじょう、このままおかえりになっちゃきまずいわ」)
「バレた以上、このままお帰りになっちゃ気まずいわ」
(「それもそうね。はるこや」「・・・」「ちょっと、おめにかかりましょうか?」)
「それもそうね。春子や」「・・・」「一寸、お目にかかりましょうか?」
(「・・・」「それともこのままかえって?」「・・・」)
「・・・」「それともこのまま帰って?」「・・・」
(「はるこさん、わたしたちにおまかせくださいませな。)
「春子さん、私達にお任せくださいませな。
(けっしておわるいようにはからいませんから」と)
決してお悪いように計らいませんから」と
(さいとうふじんはちんもくをじゅだくとほぐした。)
斎藤夫人は沈黙を受諾と解した。