カラマーゾフの兄弟10
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | tosi73 | 2917 | E+ | 3.4 | 87.3% | 1909.2 | 6518 | 948 | 99 | 2024/11/11 |
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問題文
(4 さんなんありょーしゃ)
四 三男アリョーシャ
(かれはそのときまだやっとまん20さいであった(なかのあにのいわんはとうじ24)
彼はその時まだやっと満二十歳であった(中の兄のイワンは当時24
(、ちょうけいのどみとりいは28であった)。まずさいしょにいっておかなけ)
、長兄のドミトリイは二十八であった)。まず最初に言っておかなけ
(ればならないのは、このせいねんありょーしゃが、けっしてきょうしんしゃでもなけ)
ればならないのは、この青年アリョーシャが、けっして狂信者でもなけ
(れば、また、すくなくともじぶんのかんがえでは、けっしてしんぴしゅぎしゃでさえな)
れば、また、少なくとも自分の考えでは、けっして神秘主義者でさえな
(かったことである。まえもってえんりょのないいけんをのべるならば、かれはわず)
かったことである。前もって遠慮のない意見を述べるならば、彼はわず
(かにわかきはくあいいえにすぎず、しゅうどういんのせいかつにはいったのも、ただそのせいかつ)
かに若き博愛家にすぎず、修道院の生活にはいったのも、ただその生活
(がかれのこころをうち、いわばせかいあくのやみからあいのひかりめいをねがいもとめるかれのたましいの)
が彼の心をうち、いわば世界悪の闇から愛の光明を願い求める彼の魂の
(きゅうきょくのりそうとして、そのころのかれのこころにえいじたからである。またこのおさむ)
究極の理想として、そのころの彼の心に映じたからである。またこの修
(みちいんのせいかつがかれのきょういのねんをよびさましたのも、そのなかに、そのころ、)
道院の生活が彼の驚異の念を呼びさましたのも、その中に、そのころ、
(かれのもくしてなみなみならぬじんぶつとする、ゆうめいなちょうろうぞしまを、はっけんした)
彼の目してなみなみならぬ人物とする、有名な長老ゾシマを、発見した
(からであった。かれはやむにやまれぬこころのはつこいのようなねつじょうをささげつくし)
からであった。彼はやむにやまれぬ心の初恋のような熱情を捧げつくし
(て、このちょうろうにけいとうした。もっとも、かれはすでにようらんようらんじだいから)
て、この長老に傾倒した。もっとも、彼はすでに揺籃ようらん時代から
(ひじょうにかわったにんげんであったことはあらそわれないじじつである。ついでなが)
非常に変わった人間であったことは争われない事実である。ついでなが
(ら、かれがわずかよっつでははにわかれながら、そのあといっしょうをつうじて、ははのおもかげ)
ら、彼がわずか四つで母に別れながら、その後一生を通じて、母の面影
(やそのじあいを、「あたかもじぶんのめのまえにははおやがいきてたっているかの)
やその慈愛を、『あたかも自分の眼の前に母親が生きて立っているかの
(ように」まざまざとおぼえていたことはすでにのべたとおりである。こう)
ように』まざまざと覚えていたことはすでに述べたとおりである。こう
(したおもいではずっとずっとおさない、、ふたつくらいのころからさえ、よくき)
した思い出はずっとずっと幼い二つくらいのころからさえ、よく記
(おぼえにのこるもので(それはだれでもしっていることであるが)、それはやみの)
憶に残るもので(それは誰でも知っていることであるが)、それは闇の
(ちゅうにうかびでたあかるいてんのように、、また、それいじょうはあとかたもなくしょう)
中に浮かび出た明るい点のように、また、それ以上は跡形もなく消
(えうせたおおきなえからきりぬかれたちいさいだんぺんのように、いっしょうをつうじて)
え失せた大きな絵から切り抜かれた小さい断片のように、一生を通じて
(こころのなかにうかんでくるものである。ありょーしゃのばあいもまったくそのと)
心のなかに浮かんでくるものである。アリョーシャの場合も全くそのと
(おりであった。かれはあるなつのしずかなゆうぐれをおぼえていた。まどがあいていた)
おりであった。彼はある夏の静かな夕暮を覚えていた。窓があいていた
(、ゆうひがななめにさしこんでいた(このななめにさしこむひかりをかれはもっともよく)
、夕日が斜めにさしこんでいた(この斜めにさしこむ光を彼は最もよく
(おぼえていた)、へやのかたすみにはせいぞうがあり、そのまえにはとうみょうがともされ)
覚えていた)、部屋の片隅には聖像があり、その前には燈明がともされ
(ていた。せいぞうのまえにははがひざまずいて、ひすてりいのようにすすりなき)
ていた。聖像の前に母がひざまずいて、ヒステリイのようにすすり泣き
(しながらふいにかねきりこえをあげてわめきだすとともに、かれをりょうのてでいたいほ)
しながら不意に金切声をあげてわめきだすと共に、彼を両の手で痛いほ
(どかたくいだきしめて、わがこのみのうえをせいぼまりやにいのり、またせいぼのひ)
ど固く抱きしめて、わが子の身の上を聖母マリヤに祈り、また聖母の被
(きぬかつぎのかげにかくそうとでもするかのように、かれをりょうてにだきあげてひじり)
衣かつぎの陰に隠そうとでもするかのように、彼を両手に抱き上げて聖
(ぞうのほうへさしのべたりしていた・・・・・・すると、ふいにうばがかけこんでき)
像の方へ差し伸べたりしていたすると、不意に乳母が駆けこんで来
(て、おびえながらかれをははおやのてからもぎとってしまった、これがそのと)
て、おびえながら彼を母親の手からもぎ取ってしまった、これがそのと
(きのこうけいであった!ありょーしゃはそのせつなのははのかおまでおぼえていた)
きの光景であった! アリョーシャはその刹那の母の顔まで覚えていた
(。そのかおは、かれがきおくしているかぎりでは、とりみだしてはいたが、うつくしい)
。その顔は、彼が記憶している限りでは、取り乱してはいたが、美しい
(ものであった。しかし、かれはこのきおくをひとにうちあけることをあまりこう)
ものであった。しかし、彼はこの記憶を人に打ち明けることをあまり好
(まなかった。ようねんきにも、しょうねんきにも、かれはあまりかんじょうをめんにあらわさな)
まなかった。幼年期にも、少年期にも、彼はあまり感情を面に現わさな
(かったばかりか、むしろくちかずのすくないほうであった。それはけっしておく)
かったばかりか、むしろ口数の少ないほうであった。それはけっして臆
(びょうのためとか、ぶあいそうでひとづきがわるいためではなかった。それどころか)
病のためとか、無愛想で人づきが悪いためではなかった。それどころか
(、かえって、げんいんはなにかほかにある。つまり、きわめてこじんてきな、たにんに)
、かえって、原因は何か他にある。つまり、きわめて個人的な、他人に
(はなんのかんけいもない、じぶんだけのないしんのくったくといったようなものである)
はなんの関係もない、自分だけの内心の屈託といったようなものである
(が、それがかれにとってはひじょうにじゅうだいなものなので、このためにたにんのこ)
が、それが彼にとっては非常に重大なものなので、このために他人のこ
(とはわすれるともなくわすれがちになるのであった。しかもかれはひとをあいした)
とは忘れるともなく忘れがちになるのであった。しかも彼は人を愛した
(。そしていっしょうがい、ひとをしんじきってくらしたらしいが、かつてだれひとりと)
。そして一生涯、人を信じきって暮らしたらしいが、かつて誰ひとりと
(してかれをばかというものもなければ、おひとよしとかんがえるものもなかった。)
して彼をばかというものもなければ、お人好しと考える者もなかった。
(かれのないぶには、じぶんはたにんのさいばんかんになるのはいやだ、そしてたにんをひ)
彼の内部には、自分は他人の裁判官になるのはいやだ、そして他人を非
(なんするのもすかないから、どんなことがあってもひとをとがとがめない、と)
難するのも好かないから、どんなことがあっても人を咎とがめない、と
(でもいっているようなところがあった(それはそのあと、いっしょうをつうじてそ)
でも言っているようなところがあった(それはその後、一生を通じてそ
(うであった)、じじつ、かれはすこしもとがめだてをせずに、ときにはふかいひ)
うであった)、事実、彼は少しもとがめ立てをせずに、ときには深い悲
(あわれみをかんずることもたびたびあったが、いっさいのことをゆるしているらし)
哀を感ずることもたびたびあったが、いっさいのことを許しているらし
(かった。このいみで、なにびともかれをおどろかしたりおびやかしたりすること)
かった。この意味で、何びとも彼を驚かしたりおびやかしたりすること
(ができないほどになっていた。20さいのとしに、まぎれもなく、けがらわ)
ができないほどになっていた。二十歳の年に、まぎれもなく、けがらわ
(しきいんとういんとうのそうくつたるちちおやのいえにみをよせてからも、どうていじゅんけつな)
しき淫蕩いんとうの巣窟たる父親の家に身を寄せてからも、童貞純潔な
(かれは、みるにしのびないときに、もくもくとしてそのばをはずすばかりであいて)
彼は、見るに忍びないときに、黙々としてその場をはずすばかりで相手
(がだれであろうとも、いささかのけいべつをもひなんをもみせなかった。かつて)
が誰であろうとも、いささかの軽蔑をも非難をも見せなかった。かつて
(よそのいそうろうであったところから、ぶじょくにたいしてはびんかんでせんさいなしんけいをもち)
よその居候であったところから、侮辱に対しては敏感で繊細な神経を持
(っていたちちおやは、さいしょは、ふふにおちないような、きむずかしいたいどで)
っていた父親は、最初は、腑ふに落ちないような、気むずかしい態度で
(、「だまりしゃのはらはさまざま」といったかぜでかれをむかえたが、けっきょくは、まだ)
、『黙り者の腹はさまざま』といった風で彼を迎えたが、結局は、まだ
(2しゅうかんともたたないうちに、たえずかれをいだきしめて、せっぷんするようにな)
二週間ともたたないうちに、絶えず彼を抱きしめて、接吻するようにな
(った。もっとも、それはなきじょうごのかんしょうのなみだまじりにではあったが、し)
った。もっとも、それは泣き上戸の感傷の涙まじりにではあったが、し
(かもかれのようなにんげんには、ほかのなにびとにもかんずることのないような、)
かも彼のような人間には、ほかの何びとにも感ずることのないような、
(ふかいしんじつなあいじょうがありありとみえていた・・・・・・。)
深い真実な愛情がありありと見えていた。
(それに、このせいねんはどこへいってもひとにすかれた。それはまだおさないこ)
それに、この青年はどこへ行っても人に好かれた。それはまだ幼い子
(とものときからそうであった。じぶんのおんじんでよういくしゃたるえふぃむぺとろ)
供のときからそうであった。自分の恩人で養育者たるエフィム・ペトロ
(ーヴぃっちぽれーのふのいえへひきとられると、かれはこのいえのあらゆる)
ーヴィッチ・ポレーノフの家へ引き取られると、彼はこの家のあらゆる
(ひとたちをすっかりひきつけてしまって、まったくほんとうのこどもとどうようにみなさ)
人たちをすっかり引きつけてしまって、全く本当の子供と同様に見なさ
(れたものであった。それにしても、かれがこのかていへはいったのは、まだ)
れたものであった。それにしても、彼がこの家庭へはいったのは、まだ
(きわめてようしょうのころで、こんなこどもにださんてきなわるぢえや、きげんをとって)
きわめて幼少のころで、こんな子供に打算的な悪知恵や、機嫌を取って
(じんにすかれようとするじゅっさくやぎこうや、じぶんをかわいかわいがらせようとす)
人に好かれようとする術策や技巧や、自分を可愛かわいがらせようとす
(るしゅわんなどといったものをきたいすることは、ぜったいにできないことである)
る手腕などといったものを期待することは、絶対にできないことである
(。したがって、おのれにたいするとくべつなあいじょうをひとのこころによびさますのうりょくは)
。したがって、おのれに対する特別な愛情を人の心に呼びさます能力は
(、なんらぎこうをいじろうすることなく、たんてきにしぜんからふよされたほんしょうだ)
、なんら技巧を弄ろうすることなく、端的に自然から賦与された本性だ
(ったわけである。がっこうにおいてもやはりおなじことであった。もっとも、)
ったわけである。学校においてもやはり同じことであった。もっとも、
(かれはなかまからうたがいや、ときとしてちょうしょうや、あるいはことによると、ぞうおさ)
彼は仲間から疑いや、時として嘲笑や、あるいはことによると、憎悪さ
(えもうけそうなこどもにみえたかもしれない。たとえば、かれはよくものおもい)
えも受けそうな子供に見えたかもしれない。たとえば、彼はよく物思い
(にしずんで、ひとをさけるようなことがあった。ごくようしょうのころからかれはすみ)
に沈んで、人を避けるようなことがあった。ごく幼少のころから彼は隅
(のほうにひっこんで、どくしょにふけることをこのんだ。それにもかかわらず)
のほうに引っこんで、読書にふけることを好んだ。それにもかかわらず
(、かれはがっこうにいるあいだじゅう、まったくみんなのちょうじちょうじといってもいい)
、彼は学校にいる間じゅう、全くみんなの寵児ちょうじといってもいい
(ほど、なかまからかわいがられた。かれはめったにふざけたり、はしゃいだり)
ほど、仲間から可愛がられた。彼はめったにふざけたり、はしゃいだり
(はしなかったが、しかし、だれでもひとめかれをみると、それはけっしてきむ)
はしなかったが、しかし、誰でも一目彼を見ると、それはけっして気む
(ずかしさのためではなく、はんたいに、おちついてさっぱりしたせいしつのため)
ずかしさのためではなく、反対に、落ち着いてさっぱりした性質のため
(である、ということをすぐにさとるのであった。おなじとしごろのこどもにごし)
である、ということをすぐに悟るのであった。同じ年ごろの子供に伍し
(ても、かれはけっしてとうかくをあらわそうなどとはかんがえたことはなかった。そ)
ても、彼はけっして頭角を現わそうなどとは考えたことはなかった。そ
(のせいであろうか、かれはついぞなにひとつおそれたことがなかった。それでい)
のせいであろうか、彼はついぞ何一つ恐れたことがなかった。それでい
(てなかまのこどもたちは、かれがじぶんのゆうきをはなにかけているのでなく、かえ)
て仲間の子供たちは、彼が自分の勇気を鼻にかけているのでなく、かえ
(って、じぶんがだいたんでゆうかんなことを、いっこうしらないようなありさまで)
って、自分が大胆で勇敢なことを、いっこう知らないようなありさまで
(あることを、すぐにりょうかいした。かれはぶじょくをおぼえていたことなどはいちどと)
あることを、すぐに了解した。彼は侮辱を覚えていたことなどは一度と
(してなかった。ぶじょくをうけてから1じかんほどすると、とうのぶじょくしゃにへんじ)
してなかった。侮辱を受けてから一時間ほどすると、当の侮辱者に返事
(をしたり、じぶんのほうからそれにはなしかけたりすることがよくあった。)
をしたり、自分のほうからそれに話しかけたりすることがよくあった。
(そんなときには、まるでふたりのあいだにはなにごともなかったかのようにそう)
そんなときには、まるで二人のあいだには何事もなかったかのように相
(てをしんじきったような、はればれしたかおをしている。それはうっかり、)
手を信じきったような、晴れ晴れした顔をしている。それはうっかり、
(そのぶじょくをわすれたとか、またはことさらにゆるしたとかいうようなようすで)
その侮辱を忘れたとか、またはことさらに許したとかいうような様子で
(はなく、そんなことはぶじょくでもなんでもないといったかおつきなので、こ)
はなく、そんなことは侮辱でもなんでもないといった顔つきなので、こ
(のてんがすっかりこどもたちのこころをとりことりこにし、せいふくしたのであった。た)
の点がすっかり子供たちの心を擒とりこにし、征服したのであった。た
(だひとつかれにはひととかわったせいしつがあって、それがかきゅうせいからじょうきゅうせいにいたり)
だ一つ彼には人と変わった性質があって、それが下級生から上級生に至
(るまで、ちゅうがくのぜんがくきゅうにわたって、かれをからかってやろう、というのぞみ)
るまで、中学の全学級にわたって、彼をからかってやろう、という望み
(をともだちにおこさせたものである。もっとも、それははらのくろいちょうしょうでは)
を友だちに起こさせたものである。もっとも、それは腹の黒い嘲笑では
(なくただみなにとってそれがたのしいからであった。このかわったせいしつとい)
なくただ皆にとってそれが楽しいからであった。この変わった性質とい
(うのは、やせいてきな、むちゅうになるほどのしゅうちしんしゅうちしんとけっぺきとであ)
うのは、野性的な、夢中になるほどの羞恥心しゅうちしんと潔癖とであ
(った。かれはおんなにかんするあるしゅのことばやあるしゅのかいわを、はたできいて)
った。彼は女に関するある種のことばやある種の会話を、はたで聞いて
(いることすらできなかった。)
いることすらできなかった。