半七捕物帳 お文の魂2

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プレイ回数536難易度(4.5) 3662打 長文
岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ
半七捕物帳シリーズの第一作目です。

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問題文

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(「わたしがちょうどはたちのときだから、げんじがんねん--きょうとでははまぐりごもんの)

「わたしが丁度二十歳の時だから、元治元年--京都では蛤御門の

(いくさがあったとしのことだとおもえ」と、おじさんはまずまくらをおいた。)

いくさがあった年のことだと思え」と、おじさんは先ず冒頭を置いた。

(そのころこのばんちょうにまつむらひこたろうというさんびゃくこくのはたもとがやしきをもっていた。)

その頃この番町に松村彦太郎という三百石の旗本が屋敷を持っていた。

(まつむらはそうとうにがくもんもあり、ことにらんがくができたので、がいこくがかりのほうへしゅっしして、)

松村は相当に学問もあり、殊に蘭学が出来たので、外国掛の方へ出仕して、

(ちょっとはぶりのよいほうであった。そのいもうとのおみちというのは、よねんまえに)

ちょっと羽振りの好い方であった。その妹のお道というのは、四年前に

(こいしかわにしえどがわばたのおばたいおりというはたもとのやしきへえんづいて、おはるという)

小石川西江戸川端の小幡伊織という旗本の屋敷へ縁付いて、お春という

(ことしみっつのむすめまでもうけた。)

今年三つの娘までもうけた。

(すると、あるひのことであった。そのおみちがおはるをつれてあにのところへ)

すると、ある日のことであった。そのお道がお春を連れて兄のところへ

(たずねてきて、「もうおばたのやしきにはいられませんから、ひまをもらっていただきとう)

訪ねて来て、「もう小幡の屋敷にはいられませんから、暇を貰って頂きとう

(ございます」と、とつぜんにとんだことをいいだして、あにのまつむらをおどろかした。)

ございます」と、突然に飛んだことを云い出して、兄の松村をおどろかした。

(あにはそのしさいをききただしたが、おみちはあおいかおをしているばかりで)

兄はその仔細を聞きただしたが、お道は蒼い顔をしているばかりで

(なにもいわなかった。)

何も云わなかった。

(「いわないですむわけのものでない。そのしさいをはっきりといえ。)

「云わないで済むわけのものでない。その仔細をはっきりと云え。

(おんながいったんたけへよめいりをしたいじょうは、むやみにりえんなぞすべきものでもなし、)

女が一旦他家へ嫁入りをした以上は、むやみに離縁なぞすべきものでも無し、

(されるべきはずのものでもない。ただだしぬけにひまをとってくれではわからない。)

されるべき筈のものでもない。唯だしぬけに暇を取ってくれでは判らない。

(そのしさいをよくきいたうえで、あににもなるほどととくしんがまいったら、またかけあいの)

その仔細をよく聞いた上で、兄にも成程と得心がまいったら、また掛け合いの

(しようもあろう。しさいをいえ」)

しようもあろう。仔細を云え」

(このばあい、まつむらでなくても、まずこういうよりほかはなかったが、おみちはごうじょうに)

この場合、松村でなくても、まずこう云うよりほかはなかったが、お道は強情に

(しさいをあかさなかった。もういちにちもあのやしきにはいられないからひまを)

仔細を明かさなかった。もう一日もあの屋敷にはいられないから暇を

(もらってくれと、ことしにじゅういちになるぶけのにょうぼうが、まるでだだっこのように、)

貰ってくれと、ことし二十一になる武家の女房が、まるで駄々っ子のように、

など

(ただおなじことばかりくりかえしているので、かんにんづよいあにもしまいにはじれだした。)

ただ同じことばかり繰り返しているので、堪忍強い兄もしまいには焦れ出した。

(「ばか、かんがえてもみろ、しさいをいわずにひまをもらいにいけるとおもうか。)

「馬鹿、考えてもみろ、仔細を云わずに暇を貰いに行けると思うか。

(また、せんぽうでもしょうちするとおもうか。きのうやきょうよめにいったのではなし、)

また、先方でも承知すると思うか。きのうや今日嫁に行ったのでは無し、

(もうあしかけよねんにもなり、おはるというこまでもある。しうとこじうとのめんどうが)

もう足掛け四年にもなり、お春という子までもある。舅小姑の面倒が

(あるではなし、しゅじんのおばたはしょうじきでものやわらかなじんぶつ。しょうしんながらもぶじに)

あるでは無し、主人の小幡は正直で物柔らかな人物。小身ながらも無事に

(かみのごようもつとめている。なにがふそくでひまをとりたいのか」)

上の御用も勤めている。なにが不足で暇を取りたいのか」

(しかってもさとしてもてごたえがないので、まつむらもかんがえた。よもやとはおもうものの)

叱っても諭しても手応えがないので、松村も考えた。よもやとは思うものの

(せけんにためしがないでもない。おばたのやしきにはわかいさむらいがいる。きんじょとなりの)

世間にためしが無いでもない。小幡の屋敷には若い侍がいる。近所となりの

(やしきにもじさんなんのどうらくものがいくらもあそんでいる。いもうともわかいみそらであるから、)

屋敷にも次三男の道楽者がいくらも遊んでいる。妹も若い身空であるから、

(もしやなにかのこころえちがいでもしでかして、じぶんからみをひかなければ)

もしや何かの心得違いでも仕出来して、自分から身をひかなければ

(ならないようなはめつにおちいったのではあるまいか。こうおもうと、あにのせんぎは)

ならないような破滅に陥ったのではあるまいか。こう思うと、兄の詮議は

(いよいよげんじゅうになった。どうしてもおまえがしさいをあかさなければ、)

いよいよ厳重になった。どうしてもお前が仔細を明かさなければ、

(おれのほうにもかんがえがある。これからおばたのやしきへおまえをつれていって、)

おれの方にも考えがある。これから小幡の屋敷へお前を連れて行って、

(しゅじんのめのまえでなにもかもいわしてみせる。さあいっしょにこいと、えりがみを)

主人の眼の前で何もかも云わしてみせる。さあ一緒に来いと、襟髪を

(とらぬばかりにしていもうとをひきたてようとした。)

取らぬばかりにして妹を引立てようとした。

(あにのけんまくがあまりはげしいので、おみちもさすがにとほうにくれたらしく、)

兄の権幕があまり激しいので、お道もさすがに途方に暮れたらしく、

(そんならもうしますとないてあやまった。それからかのじょがなきながら)

そんなら申しますと泣いてあやまった。それから彼女が泣きながら

(うったえるのをきくと、まつむらはまたおどろかされた。)

訴えるのを聞くと、松村はまた驚かされた。

(じけんはいまからなのかまえ、むすめのおはるがみっつのせっくのひなをかたづけたばんのことであった。)

事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛を片付けた晩のことであった。

(おみちのまくらもとにばらしがみのわかいおんながまっさおなかおをだした。おんなはみずでも)

お道の枕もとに散らし髪の若い女が真っ蒼な顔を出した。女は水でも

(あびたように、あたまからきものまでびしょぬれになっていた。そのものごしはぶけの)

浴びたように、頭から着物までびしょ濡れになっていた。その物腰は武家の

(ほうこうでもしたものらしく、ぎょうぎよくたたみにてをついておじぎしていた。)

奉公でもしたものらしく、行儀よく畳に手をついてお辞儀していた。

(おんなはなんにもいわなかった。またべつにひとをおびやかすようなきょどうも)

女はなんにも云わなかった。また別に人をおびやかすような挙動も

(みせなかった。ただだまっておとなしくそこにうずくまっているだけのことで)

見せなかった。ただ黙っておとなしく其処にうずくまっているだけのことで

(あったが、それがたとえようもないほどにものすごかった。おみちはぞっとして)

あったが、それが譬えようもないほどに物凄かった。お道はぞっとして

(おもわずよぎのそでにしがみつくと、おそろしいゆめはさめた。)

思わず衾の袖にしがみ付くと、おそろしい夢は醒めた。

(これとどうじに、じぶんとそいねをしていたおはるもおなじくこわいゆめにでも)

これと同時に、自分と添い寝をしていたお春もおなじく怖い夢にでも

(おそわれたらしく、きゅうにひのつくようになきだして、「ふみがきた。)

おそわれたらしく、急に火の付くように泣き出して、「ふみが来た。

(ふみがきた」と、つづけてさけんだ。ぬれたおんなはおさないむすめのゆめをもおどろかしたらしい。)

ふみが来た」と、続けて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。

(おはるがむちゅうでさけんだふみというのは、おそらくかのじょのなであろうとそうぞうされた。)

お春が夢中で叫んだふみというのは、おそらく彼女の名であろうと想像された。

(おみちはおびえたこころもちでいちやをあかした。ぶけにそだってぶけにえんづいたかのじょは、)

お道はおびえた心持で一夜を明かした。武家に育って武家に縁付いた彼女は、

(ゆめのようなゆうれいばなしをひとにかたるのをはじて、そのよるのできごとはおっとにも)

夢のような幽霊ばなしを人に語るのを恥じて、その夜の出来ごとは夫にも

(ひしていたが、ぬれたおんなはつぎのよるにも、またそのつぎのよるにもかのじょのまくらもとに)

秘していたが、濡れた女は次の夜にも、またその次の夜にも彼女の枕もとに

(まっさおなかおをだした。そのたびごとにおさないおはるも「ふみがきた」とおなじく)

真っ蒼な顔を出した。そのたびごとに幼いお春も「ふみが来た」と同じく

(さけんだ。きのよわいおみちはもうがまんができなくなったが、それでもおっとに)

叫んだ。気の弱いお道はもう我慢が出来なくなったが、それでも夫に

(うちあけるゆうきはなかった。)

打ちあける勇気はなかった。

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