半七捕物帳 お文の魂8
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問題文
(「しゅじんはきらいだが、おくではよむらしい。じきこのきんじょのたじまやというかしほんやが)
「主人は嫌いだが、奥では読むらしい。じきこの近所の田島屋という貸本屋が
(でいりのようだ」 「あのおやしきのおてらは・・・・・・」)
出入りのようだ」 「あのお屋敷のお寺は……」
(「したやのじょうえんじだ」)
「下谷の浄円寺だ」
(「じょうえんじ。へえ、そうですか」と、はんしちはにっこりわらった。)
「浄円寺。へえ、そうですか」と、半七はにっこり笑った。
(「なにかこころあたりがあるのかね」 「おばたのおくさまはおうつくしいんですか」)
「なにか心当りがあるのかね」 「小幡の奥様はお美しいんですか」
(「まあ、いいおんなのほうだろう。としはにじゅういちだ」)
「まあ、いい女の方だろう。年は二十一だ」
(「そこでだんな。いかがでしょう」と、はんしちはわらいながらいった。)
「そこで旦那。いかがでしょう」と、半七は笑いながら云った。
(「おやしきがたのうちわのことに、わたくしどもがくびをつっこんじゃあ)
「お屋敷方の内輪のことに、わたくしどもが首を突っ込んじゃあ
(わるうございますが、いっそこれはわたくしにおまかせくださいませんか。)
悪うございますが、いっそこれはわたくしにお任せ下さいませんか。
(に、さんにちのうちにきっとらちをあけておめにかけます。もちろん、これは)
二、三日の内にきっと埒をあけてお目にかけます。勿論、これは
(あなたとわたくしだけのことで、けっしてたごんはいたしませんから」)
あなたとわたくしだけのことで、決して他言は致しませんから」
(kのおじさんははんしちをしんようしてばんじをたのむといった。はんしちもうけあった。)
Kのおじさんは半七を信用して万事を頼むと云った。半七も受け合った。
(しかしじぶんはあくまでもかげのひととしてはたらくので、ひょうめんはあなたがたんさくのやくめを)
しかし自分は飽くまでも蔭の人として働くので、表面はあなたが探索の役目を
(ひきうけているのであるから、そのけっかをおばたのやしきへほうこくするつごうじょう、)
引き受けているのであるから、その結果を小幡の屋敷へ報告する都合上、
(ごめいわくでもあしたからあなたもいっしょにあるいてくれとのことであった。)
御迷惑でも明日からあなたも一緒に歩いてくれとのことであった。
(どうでひまのおおいからだであるから、おじさんもじきにしょうちした。)
どうで閑の多い身体であるから、おじさんもじきに承知した。
(しょうばいにんのなかでも、うでききといわれているはんしちがこのじけんをどんなふうに)
商売人の中でも、腕利きといわれている半七がこの事件をどんなふうに
(あつかうかと、おじさんはただいのきょうみをもってあしたをまつことにした。)
扱うかと、おじさんは多大の興味を持って明日を待つことにした。
(そのひははんしちにわかれて、おじさんはふかがわのぼうしょにひらかれるほっくのうんざにいった。)
その日は半七に別れて、おじさんは深川の某所に開かれる発句の運座に行った。
(そのばんはおそくかえったので、おじさんはあくるあさはやくおきるのがつらかった。)
その晩は遅く帰ったので、おじさんは明くる朝早く起きるのがつらかった。
(それでもやくそくのじこくにやくそくのばしょではんしちにあった。)
それでも約束の時刻に約束の場所で半七に逢った。
(「きょうはまずどこへいくんだね」 「かしほんやからさきへはじめましょう」)
「きょうは先ず何処へ行くんだね」 「貸本屋から先へ始めましょう」
(ふたりはおとわのたじまやへいった。おじさんのやしきへもでいりするので、)
二人は音羽の田島屋へ行った。おじさんの屋敷へも出入りするので、
(かしほんやのばんとうはおじさんをよくしっていた。はんしちはばんとうにあって、)
貸本屋の番頭はおじさんを能く知っていた。半七は番頭に逢って、
(しょうがついらいかのおばたのやしきへどんなほんをかしいれたかときいた。)
正月以来かの小幡の屋敷へどんな本を貸し入れたかと訊いた。
(これはちょうめんにいちいちしるしてないので、ばんとうもさっそくのへんじには)
これは帳面に一々しるしてないので、番頭も早速の返事には
(こまったらしかったが、それでもきおくのなかからくりだしてに、さんしゅのよみほんや)
困ったらしかったが、それでも記憶のなかから繰り出して二、三種の読本や
(くさぞうしのなをならべた。)
草双紙の名をならべた。
(「そのほかにうすずみぞうしというくさぞうしをかしたことはなかったかね」と、)
「そのほかに薄墨草紙という草双紙を貸したことはなかったかね」と、
(はんしちはきいた。)
半七は訊いた。
(「ありました。たしかにがつごろにおかしもうしたようにおぼえています」)
「ありました。たしか二月頃にお貸し申したように覚えています」
(「ちょいとみせてくれないか」)
「ちょいと見せてくれないか」
(ばんとうはたなをさがしてにさつつづきのくさぞうしをもちだしてきた。はんしちはてにとって)
番頭は棚を探して二冊つづきの草双紙を持ち出して来た。半七は手に取って
(そのしものまきをあけてみていたが、やがてしち、はっちょうあたりのところをくりひろげて)
その下の巻をあけて見ていたが、やがて七、八丁あたりのところを繰り拡げて
(そっとおじさんにみせた、そのさしえはぶけのおくがたらしいおんながざしきに)
そっとおじさんに見せた、その挿絵は武家の奥方らしい女が座敷に
(すわっていると、そのえんさきにこしもとふうのわかいおんながしょんぼりとうつむいて)
坐っていると、その縁先に腰元風の若い女がしょんぼりと俯向いて
(いるのであった。こしもとはまさしくゆうれいであった。にわさきにはかきつばたがさいている)
いるのであった。腰元はまさしく幽霊であった。庭先には杜若が咲いている
(いけがあって、こしもとはそのいけのそこからうきだしたらしく、かみもきものも)
池があって、腰元はその池の底から浮き出したらしく、髪も着物も
(むごたらしくぬれていた。)
むごたらしく湿れていた。
(ゆうれいのかおやかたちはおんなこどもをおびえさせるほどにものすごくえがいてあった。)
幽霊の顔や形は女こどもをおびえさせるほどに物凄く描いてあった。
(おじさんはぎょっとした。そのゆうれいのものすごいのにおどろくよりも、それがじぶんの)
おじさんはぎょっとした。その幽霊の物凄いのに驚くよりも、それが自分の
(あたまのなかにえがいているおふみのゆうれいにそっくりであるのにおびやかされた。)
頭のなかに描いているおふみの幽霊にそっくりであるのにおびやかされた。
(そのくさぞうしをうけとってみると、げだいはしんぺんうすずみぞうし、ためながひょうちょうさくと)
その草双紙を受取ってみると、外題は新編うす墨草紙、為永瓢長作と
(しるしてあった。)
記してあった。
(「あなた、かりていらっしゃい。おもしろいさくですぜ」と、はんしちはれいのめで)
「あなた、借りていらっしゃい。面白い作ですぜ」と、半七は例の眼で
(いみありげにしらせた。おじさんはにさつのくさぞうしをふところにいれて、)
意味ありげに知らせた。おじさんは二冊の草双紙をふところに入れて、
(ここをでた。)
ここを出た。