7 トーラー
関連タイピング
-
プレイ回数112長文684打
-
プレイ回数126長文1977打
-
プレイ回数104長文1405打
-
プレイ回数269長文1486打
-
プレイ回数145長文1035打
-
プレイ回数153長文965打
-
プレイ回数203長文957打
-
プレイ回数96長文1754打
問題文
(とーらーとは、へぶらいごのせいしょのぼうとうにあるいつつのしょ、)
トーラーとは、ヘブライ語の聖書の冒頭にある五つの書、
(いわゆるもーせごしょをさすめいしょうだ。きりすときょうとは、)
いわゆるモーセ五書を指す名称だ。キリスト教徒は、
(このごしょにほかのゆだやきょうぶんしょをくわえたものを、きゅうやくせいしょ)
この五書に他のユダヤ教文書を加えたものを、旧約聖書
(とよんでいる。また「とーらー」というごは、くでんのほか)
と呼んでいる。また「トーラー」という語は、口伝のほか
(すうてんのぶんしょでつたえられているぼうだいなゆだやきょうのりっぽうぜんたいを)
数点の文書で伝えられている膨大なユダヤ教の律法全体を
(さすこともある。)
指すこともある。
(もーせごしょは、ゆだやきょうしんこうをきていする613のりっぽうのこんきょ)
モーセ五書は、ユダヤ教信仰を規定する613の律法の根拠
(であり、せかいさんだいいっしんきょうすなわちゆだやきょう、きりすときょう、)
であり、世界三大一神教すなわちユダヤ教、キリスト教、
(いすらむきょうのきそである。)
イスラム教の基礎である。
(ごしょのがいようはつぎのとおり。)
五書の概要は次のとおり。
(そうせいき:てんちそうぞうのものがたりと、いすらえるのひとびと、あぶらはむ、)
創世記:天地創造の物語と、イスラエルの人々、アブラハム、
(いさく、やこぶ、およびかれらのかぞくたちのあゆみをかたる。)
イサク、ヤコブ、および彼らの家族たちの歩みを語る。
(しゅつえじぷとき:えじぷとをだっしゅつしてかなんへむかうものがたりをかたる。)
出エジプト記:エジプトを脱出してカナンへ向かう物語を語る。
(もーせがじっかいをさずかるのもここ。)
モーセが十戒を授かるのもここ。
(れびき:かみにれいはいするときのきそくとぎしきをのべる。)
レビ記:神に礼拝するときの規則と儀式を述べる。
(みんすうき:いすらえるのひとびとがあれのをたびしたきろくをかたる。)
民数記:イスラエルの人々が荒れ野を旅した記録を語る。
(しんめいき:もーせがばんねんにかたった、いすらえるのひとびとのれきしと)
申命記:モーセが晩年に語った、イスラエルの人々の歴史と
(どうとくじょうのおしえについてのせっきょうでこうせいされる。このごしょは、)
道徳上の教えについての説教で構成される。この五書は、
(でんとうてきにはしないやまでもーせにさずけられたとしんじられてきた。)
伝統的にはシナイ山でモーセに授けられたと信じられてきた。
(またいせつとして、とーらーのぼうとうぶはたしかにしないやまで)
また異説として、トーラーの冒頭部は確かにシナイ山で
(さずけられたが、そのあともけいじはもーせのしょうがいをつうじて)
授けられたが、その後も啓示はモーセの生涯を通じて
(つづいたとするせつもある。いぜんからこうこがくしゃたちは、)
続いたとする説もある。以前から考古学者たちは、
(とーらーはきげんぜん10せいきからぜん6せいきのあいだにかかれたもの)
トーラーは紀元前10世紀から前6世紀のあいだに書かれたもの
(だとかんがえてきた。ぶんしょかせつという、せいとうはゆだやきょうとから)
だと考えてきた。文書仮説という、正統派ユダヤ教徒から
(みればいたんそのものであるがくせつのしじしゃたちは、もともとの)
見れば異端そのものである学説の支持者たちは、もともとの
(ごしょはよっつのげんしりょうをもとにしており、それをあとにごにんめの)
五書は四つの原資料を基にしており、それを後に五人目の
(ちょしゃまたはへんしゅうしゃがひとつにまとめたのだとしゅちょうしている。)
著者または編集者がひとつにまとめたのだと主張している。
(このかせつをしじするろんきょとしては、かみのなまえがふくすうあること、)
この仮説を支持する論拠としては、神の名前が複数あること、
(ぶんたいがちがっていること、おなじはなしがくりかえしとうじょうすることなどが)
文体が違っていること、同じ話が繰り返し登場することなどが
(あげられている。とーらーはとうしょからくでんでつたえられてきた。)
挙げられている。トーラーは当初から口伝で伝えられてきた。
(とーらーをかんぜんにりかいするにはくでんがかかせなかったからだ。)
トーラーを完全に理解するには口伝が欠かせなかったからだ。
(くでんのないようをかきとめることはぼうとくこういとかんがえられていたが、)
口伝の内容を書きとめることは冒涜行為と考えられていたが、
(もじできろくするひつようせいがやがてあきらかとなり、くでんりっぽうの)
文字で記録する必要性がやがて明らかとなり、口伝律法の
(しゅうたいせいみしゅなーがへんさんされた。そのご、らび(りっぽうがくしゃ))
集大成ミシュナーが編纂された。その後、ラビ(律法学者)
(たちがとーらーとみしゅなーをめぐってろんぎやとうろんをかさねた)
たちがトーラーとミシュナーをめぐって論議や討論を重ねた
(けっか、そのぎろんをまとめるためかいせつしょであるたるむーどが)
結果、その議論をまとめるため解説書であるタルムードが
(かかれた。むかしからゆだやきょうでは、とーらーのてきすとを)
書かれた。昔からユダヤ教では、トーラーのテキストを
(つかってかずかずのきはんやしゅうかんをみちびきだしている。)
使って数々の規範や習慣を導き出している。
(そのためらびぶんけんのけんきゅうしゃは、いっしょうをかけて)
そのためラビ文献の研究者は、一生をかけて
(いちごいちごのいみをあきらかにするのだ。)
一語一語の意味を明らかにするのだ。