22 アレクサンドロス大王
関連タイピング
-
プレイ回数112長文684打
-
プレイ回数126長文1977打
-
プレイ回数104長文1405打
-
プレイ回数269長文1486打
-
プレイ回数203長文957打
-
プレイ回数90長文589打
-
プレイ回数155長文684打
-
プレイ回数103長文729打
問題文
(あれくさんどろすだいおうは、ぎりしあほくぶのさんかんぶ)
アレクサンドロス大王は、ギリシア北部の山間部
(にあるまけどにあおうこくでうまれ、あてねのてつがくしゃ)
にあるマケドニア王国で生まれ、アテネの哲学者
(ありすとてれすからきょういくをうけた。)
アリストテレスから教育を受けた。
(ちちおうふぃりっぽすにせいはまけどにあのりょうどをひろげ、)
父王フィリッポス二世はマケドニアの領土を広げ、
(あてねなどこだいぎりしあのとしこっかのたいはんを)
アテネなど古代ギリシアの都市国家の大半を
(しはいかにおさめた。ちちがげきじょうであんさつされ、)
支配下に収めた。父が劇場で暗殺され、
(あれくさんどろすが20さいでおういをうけついだ。)
アレクサンドロスが20歳で王位を受け継いだ。
(あれくさんどろすは、ちちをしのぐきょういてきな)
アレクサンドロスは、父をしのぐ驚異的な
(いきおいでかくちをつぎつぎとせいふくし、とうじのちちゅうかいせかいの)
勢いで各地を次々と征服し、当時の地中海世界の
(たいはんをふくむていこくをきずいた。それまでこだいせかいで)
大半を含む帝国を築いた。それまで古代世界で
(これほどこうはんなりょういきをしはいしたおうはいなかった。)
これほど広範な領域を支配した王はいなかった。
(あれくさんどろすのぐんたいは、ほんきょちである)
アレクサンドロスの軍隊は、本拠地である
(まけどにあをしゅっぱつして、ぎりしあ、しりあ、)
マケドニアを出発して、ギリシア、シリア、
(えじぷと、めそぽたみあをせいふくした。)
エジプト、メソポタミアを征服した。
(さらにあれくさんどろすは、ぺるしあおう)
さらにアレクサンドロスは、ペルシア王
(だれいおすさんせいとたたかってこれをやぶり、)
ダレイオス三世と戦ってこれを破り、
(おうになってろくねんごのぜん330ねんにはぺるしあていこくを)
王になって六年後の前330年にはペルシア帝国を
(ほろぼした。ていこくはかくだいをつづけ、やがて)
滅ぼした。帝国は拡大を続け、やがて
(いんどにまでとうたつした。しかしそのちせいは、)
インドにまで到達した。しかしその治世は、
(あれくさんどろすが33さいのときこだいとし)
アレクサンドロスが33歳のとき古代都市
(ばびろんでなくなったことで、とつぜんおわりを)
バビロンで亡くなったことで、突然終わりを
(むかえた。あれくさんどろすがきずいただいていこくは、)
迎えた。アレクサンドロスが築いた大帝国は、
(はいかのしょうぐんたちによってぶんかつされ、そのじょうたいは)
配下の将軍たちによって分割され、その状態は
(ろーまじんにせいふくされるまですうひゃくねんかんつづいた。)
ローマ人に征服されるまで数百年間続いた。
(あれくさんどろすとへいしたちは、せいふくしたちいきで、)
アレクサンドロスと兵士たちは、征服した地域で、
(じぶんたちとはことなるしゅうかんをもつ、さまざまなみちの)
自分たちとは異なる習慣を持つ、さまざまな未知の
(ぶんめいとであった。せいふくしゃであるぎりしあじんは、)
文明と出会った。征服者であるギリシア人は、
(たたかいでやぶったみんぞくのぶんかをたんにはかいするのではなく、)
戦いで破った民族の文化を単に破壊するのではなく、
(これをきゅうしゅうし、へれにずむとよばれる)
これを吸収し、ヘレニズムと呼ばれる
(あらたなゆうごうぶんかがたんじょうした。しじょうはじめて、)
新たな融合文化が誕生した。史上はじめて、
(よーろっぱなんとうぶのひろいちいきときんとうが、)
ヨーロッパ南東部の広い地域と近東が、
(おなじげんごをはなしおなじぶんかてきはいけいをもつことに)
同じ言語を話し同じ文化的背景を持つことに
(なったのである。ぎりしあごは、なんびゃくねんにも)
なったのである。ギリシア語は、何百年にも
(わたってこだいせかいのきょうつうごとなり、しんやくせいしょも)
わたって古代世界の共通語となり、新約聖書も
(とうしょはぎりしあごでかかれていた。)
当初はギリシア語で書かれていた。
(あれくさんどろすのぐんたいがやってきたことで)
アレクサンドロスの軍隊がやってきたことで
(おこったぶんかのゆうごうこそ、かれがげんだいせかいに)
起こった文化の融合こそ、彼が現代世界に
(のこしたもっともゆういぎないさんであろう。)
残した最も有意義な遺産であろう。
(あれくさんどろすは、きょうもなおつよいかんしんを)
アレクサンドロスは、今日もなお強い関心を
(よせられており、げんざいのれきしがくしゃたちは、)
寄せられており、現在の歴史学者たちは、
(ぐんたいへのれいてつなしきぶりや、うまへのあいちゃく、)
軍隊への冷徹な指揮ぶりや、馬への愛着、
(まなんだてつがくなどについてけんきゅうをつづけている。)
学んだ哲学などについて研究を続けている。
(さいきんでは、かれのせいてきしこうもぎろんのまとになっている。)
最近では、彼の性的指向も議論の的になっている。