76エピクロス派
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ぽんこつラーメン | 5716 | A | 5.9 | 96.1% | 277.6 | 1653 | 66 | 27 | 2024/10/17 |
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問題文
(えぴくろすはとは、ぜん4せいきにてつがくしゃえぴくろすがひらいたがくはと)
エピクロス派とは、前4世紀に哲学者エピクロスが開いた学派と
(そのしんぽうしゃのことだ。かれらはきょうどうせいかつをいとなみ、せいじかつどうからは)
その信奉者のことだ。彼らは共同生活を営み、政治活動からは
(みをひいていた。)
身を引いていた。
(えぴくろすはは、このよにそんざいするものはげんしとこくう)
エピクロス派は、この世に存在するものは原子と虚空
((なにもないくうかん)だけだとしんじていた。したがって、れいこんも)
(何もない空間)だけだと信じていた。したがって、霊魂も
(げんしでできており、ぶっしつてきなものなのでにくたいとともにしぬと)
原子でできており、物質的なものなので肉体とともに死ぬと
(かんがえた。かみがみのそんざいもしんじていたが、かみがみはじぶんのかいらくに)
考えた。神々の存在も信じていたが、神々は自分の快楽に
(ばかりむちゅうで、にんげんせかいのできごとにはかんしんがないとおもっていた。)
ばかり夢中で、人間世界の出来事には関心がないと思っていた。
(へれにずむせかいのてつがくしょがくはのれいにもれず、えぴくろすはも)
ヘレニズム世界の哲学諸学派の例に漏れず、エピクロス派も
(「よくいきるとはどういうことか?」というもんだいにとりくんだ。)
「よく生きるとはどういうことか?」という問題に取り組んだ。
(かれらのこたえは、「よくいきるとは、こうふくにいきるということだ」)
彼らの答えは、「よく生きるとは、幸福に生きるということだ」
(である。こうふくとは、かいらくがそんざいし、くつうがそんざいしないじょうたいのことだ。)
である。幸福とは、快楽が存在し、苦痛が存在しない状態のことだ。
(しかし、かれらのかんがえるかいらくとくつうは、ほかとはずいぶんちがっていた。)
しかし、彼らの考える快楽と苦痛は、ほかとはずいぶん違っていた。
(えぴくろすはは、かいらくをせいてきかいらくとどうてきかいらくにわけた。どうてきかいらくを)
エピクロス派は、快楽を静的快楽と動的快楽に分けた。動的快楽を
(たのしむとは、あるよっきゅうをいだき、そのよっきゅうをみたし、それによって、)
楽しむとは、ある欲求を抱き、その欲求を満たし、それによって、
(そのよっきゅうのかいしょうをけいけんすることである。たとえばたべものにたいする)
その欲求の解消を経験することである。例えば食べ物に対する
(よっきゅうは、ひとはくうふくになるとなにかをたべ、それによってよっきゅうが)
欲求は、人は空腹になると何かを食べ、それによって欲求が
(みたされるから、どうてきかいらくだ。それにたいして、せいてきかいらくをたのしむ)
満たされるから、動的快楽だ。それに対して、静的快楽を楽しむ
(ばあい、よっきゅうはちいさくならない。せいてきかいらくのれいとして、てつがくてきぎろんを)
場合、欲求は小さくならない。静的快楽の例として、哲学的議論を
(おこなうことがあげられる。てつがくをじっせんすればするほど、)
行うことが挙げられる。哲学を実践すればするほど、
(もっとてつがくしたくなるからだ。えぴくろすはは、あるていどの)
もっと哲学したくなるからだ。エピクロス派は、ある程度の
(どうてきかいらくはひつようでのぞましいとみとめながらも、もとめるしげきのりょうや)
動的快楽は必要で望ましいと認めながらも、求める刺激の量や
(しゅるいがさいげんなくおおきくなるようなどうてきかいらくをさけるべきだという。)
種類が際限なく大きくなるような動的快楽を避けるべきだという。
(たとえば、こうきゅうでざーとをいつもたべていると、そぼくなでざーとで)
例えば、高級デザートをいつも食べていると、素朴なデザートで
(かいらくをえるのはむずかしくなり、そもそもでざーとなしではまんぞく)
快楽を得るのは難しくなり、そもそもデザートなしでは満足
(できない。そのためえぴくろすはは、ふだんはしっそにくらし、しょくじは)
できない。そのためエピクロス派は、普段は質素に暮らし、食事は
(そまつなものをたべ、ごちそうはときどきたべるのがよいとかんがえた。)
粗末なものを食べ、ごちそうはときどき食べるのがよいと考えた。