半七捕物帳 弁天娘9

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第13話

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問題文

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(はんしちはそっとたってだいどころのくちからのぞくと、ふうふはうらのいどばたにたっていた。)

三 半七はそっと起って台所の口から覗くと、夫婦は裏の井戸端に立っていた。

(うらはあんがいひろいあきちになっていて、いどのそばにはなつのひよけにうえたらしく、)

裏は案外ひろい空地になっていて、井戸のそばには夏の日よけに植えたらしく、

(はのないいっぽんのあおぎりがおおきいえだをひろげていた。)

葉のない一本の碧梧(あおぎり)が大きい枝をひろげていた。

(そのあおぎりのきをせなかにして、おとめがなにかこごえでていしゅとはなしていたが、)

その梧の木を背中にして、お留がなにか小声で亭主と話していたが、

(そのようすがどうもおだやかでないらしく、ふつうのそうだんごとでないようにみえたので、)

その様子がどうも穏やかでないらしく、普通の相談事でないように見えたので、

(はんしちははんぶんしめきってあるこしだかのしょうじにみをかくして、ふたりのようすを)

半七は半分しめ切ってある腰高の障子に身をかくして、二人の様子を

(しばらくうかがっていると、ふうふのこえはすこしたかくなった。)

しばらく窺っていると、夫婦の声は少し高くなった。

(「だからおまえさんはいくじがないよ。いっしょうにいちどあることじゃ)

「だからおまえさんは意気地がないよ。一生に一度あることじゃ

(ないじゃないか」と、おとめはののしるようにいった。)

ないじゃないか」と、お留は罵るように云った。

(「まあ、しずかにしろよ」)

「まあ、静かにしろよ」

(「だってさ。あんまりくやしいじゃあないか。こうとしったら、)

「だってさ。あんまり口惜しいじゃあないか。こうと知ったら、

(わたしがいけばよかった」)

わたしが行けばよかった」

(「まあいいよ。ひとにきこえる」)

「まあいいよ。人にきこえる」

(とくぞうはにょうぼうをなだめながら、おもわずうしろをみると、そのめがあたかも)

徳蔵は女房をなだめながら、思わずうしろを見ると、その眼があたかも

(はんしちとであった。そんなことにはなれているはんしちは、そこにあるておけのみずを)

半七と出合った。そんなことには馴れている半七は、そこにある手桶の水を

(ひしゃくにくんでのむようなふりをして、そうそうにもとのところへ)

柄杓(ひしゃく)に汲んで飲むような振りをして、早々に元のところへ

(かえってきた。ふうふもやがてかえってきたが、おとめのかおいろはまえよりわるかった。)

帰って来た。夫婦もやがて帰って来たが、お留の顔色は前より悪かった。

(ときどきけわしいめをしていまいましそうにりへえをにらんでいるのが)

ときどき嶮(けわ)しい目をして忌々しそうに利兵衛を睨んでいるのが

(はんしちのちゅういをひいた。)

半七の注意をひいた。

(やがてとむらいがでるじこくになって、さんじゅうにんほどのみおくりにんが)

やがて葬式(とむらい)が出る時刻になって、三十人ほどの見送り人が

など

(はやおけについていった。それでもてんきになってとくちゃんはごしょうがいいなどと)

早桶について行った。それでも天気になって徳ちゃんは後生がいいなどと

(いうものもあった。おとうとのとむらいではあるが、なにかのせわをやくために)

云うものもあった。弟の葬式ではあるが、なにかの世話を焼くために

(とくぞうもいっしょにでていった。おとめはかどおくりだけでうちにのこっていた。)

徳蔵も一緒に出て行った。お留は門送(かどおく)りだけで家に残っていた。

(あめははれたが、ほんじょあたりのみちはわるかった。そのぬかるみをわたりながら、)

雨は晴れたが、本所あたりの路は悪かった。そのぬかるみを渡りながら、

(はんしちはわざとあとのほうにひきさがってりへえとならんであるいた。)

半七はわざと後の方に引き下がって利兵衛と並んで歩いた。

(「とくぞうはまたおたなへいったんですかえ」と、はんしちはあるきながらそっときいた。)

「徳蔵は又お店へ行ったんですかえ」と、半七は歩きながらそっと訊いた。

(「またおしかけてきてこまりました」)

「また押し掛けて来て困りました」

(とくぞうはさんりょうのとむらいきんをもらっていったんかえったのであるが、)

徳蔵は三両のとむらい金を貰って一旦帰ったのであるが、

(ひるすぎになってまたでなおしてきて、どうでもとむらいをだすまえに)

午(ひる)すぎになって又出直して来て、どうでも葬式を出すまえに

(このいっけんのらちをあけてくれとせまった。じぶんのうちのしゅうしは)

この一件の埒(らち)をあけてくれと迫った。自分の家の宗旨は

(かそうだから、しがいをやいてしまえばなにもしょうこがのこらないことになる。)

火葬だから、死骸を焼いてしまえば何も証拠が残らないことになる。

(どうしてもしがいをねかしているあいだになんとかきめてくれないではこまる)

どうしても死骸を寝かしている間になんとか決めてくれないでは困る

(というのであった。やましろやでももてあまして、はんしちのうちへつかいをやると、)

というのであった。山城屋でも持て余して、半七の家へ使をやると、

(かれはもうでてしまったあとなので、どうすることもできなかった。)

彼はもう出てしまったあとなので、どうすることも出来なかった。

(なんやかやともんちゃくしているうちに、とくぞうさんのこえは)

何やかやと捫着(もんちゃく)しているうちに、徳蔵さんの声は

(だんだんおおきくなるので、やましろやのしゅじんもがをおって、かれのようきゅうする)

だんだん大きくなるので、山城屋の主人も我(が)を折って、かれの要求する

(さんびゃくりょうにたいしてひゃくりょうをていきょうして、このいじょうはどうしてもきくことは)

三百両に対して百両を提供して、この以上はどうしても肯(き)くことは

(ならない、これでふしょうちならどうともしろといいわたすと、とくぞうもがをおって、)

ならない、これで不承知ならどうともしろと云い渡すと、徳蔵も我を折って、

(とうとうそれでなっとくすることになった。かれはひゃくりょうのかねとひきかえに)

とうとうそれで納得することになった。かれは百両の金と引き替えに

(おとうとのしがいをひきとることについてなんのくじょうもないという、)

弟の死骸をひき取ることについて何の苦情もないという、

(ごじつのためにいっさつをかかされた。)

後日(ごじつ)のために一札を書かされた。

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