93 ドン・キホーテ

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(みげるでせるばんてすの「どんきほーて」(ぜんぺんは1605ねん、)

ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』(前編は1605年、

(こうへんは1615ねん)は、すぺいんごけんのもっともけっしゅつしたぶんかてきいぎょうといって)

後編は1615年)は、スペイン語圏の最も傑出した文化的偉業と言って

(いいだろう。すぺいんぶんがくのさいこうけっさくとしょうさんされ、げんごをとわずせかい)

いいだろう。スペイン文学の最高傑作と称賛され、言語を問わず世界

(さいしょのきんだいしょうせつとひろくかんがえられている。)

最初の近代小説と広く考えられている。

(たいとるにもなっているしゅじんこうは、すぺいんちゅうおうぶのらまんちゃ)

タイトルにもなっている主人公は、スペイン中央部のラ・マンチャ

(ちほうにうまれた50さいのおとこだ。きしどうものがたりにかんかされたかれは、あるひ、)

地方に生まれた50歳の男だ。騎士道物語に感化された彼は、ある日、

(とうわくするかぞくにむかって、わたしはなをどんきほーてとかえ、これより)

当惑する家族に向かって、私は名をドン・キホーテと変え、これより

(いぎょうをなしとげ、あらゆるあくをただすべく、わがこうきなるしゅんば(とは)

偉業を成し遂げ、あらゆる悪を正すべく、我が高貴なる駿馬(とは

(なばかりで、じつはやせほそっただばろしなんて)にまたがってへんれきの)

名ばかりで、じつはやせ細った駄馬ロシナンテ)にまたがって遍歴の

(たびにでるとせんげんした。そしてもじのよめないのうふさんちょぱんさを)

旅に出ると宣言した。そして文字の読めない農夫サンチョ・パンサを

(「じゅうしゃ」にした。さんちょは、どんきほーてはあたまがおかしいと)

「従者」にした。サンチョは、ドン・キホーテは頭がおかしいと

(おもっているが、しまのりょうしゅにしてやろうとやくそくされたので、それをなかば)

思っているが、島の領主にしてやろうと約束されたので、それを半ば

(しんじてあらたなしゅじんについていくことにした。しゅじゅうは、いくさきざきで)

信じて新たな主人についていくことにした。主従は、行く先々で

(かずかずのさいなんにぶつかる。どんきほーては、であうものすべてを)

数々の災難にぶつかる。ドン・キホーテは、出会うものすべてを

(つぎつぎとごかいしていく。やどやのしゅじんをきしとおもいこみ、ばいしゅんふを)

次々と誤解していく。宿屋の主人を騎士と思い込み、売春婦を

(けがれなきおとめに、しゅうどうしをまほうつかいにかんちがいし、ふうしゃをきょじんと)

汚れなき乙女に、修道士を魔法使いに勘違いし、風車を巨人と

(おもいこむ。あいてによかれとおもってやったことが、かえってめいわくになる)

思い込む。相手によかれと思ってやったことが、かえって迷惑になる

(こともしょっちゅうだ。そうしたぼうけんは、すべてどぅるしねあ)

こともしょっちゅうだ。そうした冒険は、すべてドゥルシネア・

(でるとぼそという「ひめ」にささげているが、このじょせい、じつはのうかの)

デル・トボソという「姫」に捧げているが、この女性、じつは農家の

(むすめで、かのじょじしんはこのぼうけんこうにこれっぽっちもかんしんがない。)

娘で、彼女自身はこの冒険行にこれっぽっちも関心がない。

など

(「どんきほーて」は、ちゅうせいにおいてせぞくぶんがくのだいひょうだった)

『ドン・キホーテ』は、中世において世俗文学の代表だった

(きしどうものがたりのぱろでぃーであるとどうじに、そのおまーじゅでもある。)

騎士道物語のパロディーであると同時に、そのオマージュでもある。

(ちゅうせいのきしどうものがたりは、えいゆうてきなきしたちのはなしを、おもにきふじんへの)

中世の騎士道物語は、英雄的な騎士たちの話を、おもに貴婦人への

(すうこうなあいをてーまとして、ゆるやかにむすびつけたものだ。じじつにもとづく)

崇高な愛をテーマとして、緩やかに結びつけたものだ。事実に基づく

(ものもあれば、むかしからのいいつたえもある。「どんきほーて」で)

ものもあれば、昔からの言い伝えもある。『ドン・キホーテ』で

(せるばんてすは、おなじそざいをあつかいながらもかたりくちにとういつかんをもたせ、)

セルバンテスは、同じ素材を扱いながらも語り口に統一感を持たせ、

(それまでなかったしんりめんでのふかみと、ふうしてきなじこにんしきとをあたえて)

それまでなかった心理面での深みと、風刺的な自己認識とを与えて

(いる。また、おどろくほどぽすともだんてきなひねりもくわえている。べつの)

いる。また、驚くほどポストモダン的なひねりも加えている。別の

(さっかが1614ねんに「どんきほーて」のぞくへんをかってにつくって)

作家が1614年に『ドン・キホーテ』の続編を勝手に作って

(しゅっぱんすると、せるばんてすはにせのぞくへんのことをほんもののこうへんで)

出版すると、セルバンテスは偽の続編のことを本物の後編で

(とりあげたのだ。さくちゅう、どんきほーてとさんちょは、このがんさくを)

取り上げたのだ。作中、ドン・キホーテとサンチョは、この贋作を

(ばかにしたたいどでこきおろすのである。わたしたちは、こうしたとくちょうは)

バカにした態度でこき下ろすのである。 私たちは、こうした特徴は

(げんだいのぶんがくではあたりまえだとおもっている(そもそも、しょうせつという)

現代の文学では当たり前だと思っている(そもそも、小説という

(けいしきをあたりまえだとおもっている)が、とうじとしてはざんしんなもの)

形式を当たり前だと思っている)が、当時としては斬新なもの

(だった。どんきほーてをつくりだしたことそのものがいちだいせいか)

だった。ドン・キホーテを作り出したことそのものが一大成果

(であり、そのすがたは、さまざまなじだいやひとびとにより、ぐしゃ、ひげきの)

であり、その姿は、さまざまな時代や人々により、愚者、悲劇の

(ひーろー、せけんにながされるのをこばむゆうきあるじんぶつなど、たしゅたように)

ヒーロー、世間に流されるのを拒む勇気ある人物など、多種多様に

(かいしゃくされてきた。これほどおおくのそくめんをかねそなえているからこそ、)

解釈されてきた。これほど多くの側面を兼ね備えているからこそ、

(せるばんてすがうんだどんきほーては、ときをへてもいろあせることの)

セルバンテスが生んだドン・キホーテは、時を経ても色あせることの

(ないみりょくてきなそうさくじょうのじんぶつのひとりになったのである。)

ない魅力的な創作上の人物のひとりになったのである。

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