紫式部 源氏物語 桐壺 7 與謝野晶子訳

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2 おもち 6879 S++ 7.2 95.2% 603.7 4373 220 60 2024/09/27
3 BEASTななせ 6457 S 6.8 94.6% 648.5 4441 253 60 2024/11/09
4 だだんどん 5915 A+ 6.4 91.9% 669.9 4343 380 60 2024/10/29
5 りつ 3695 D+ 3.9 94.3% 1136.3 4467 268 60 2024/09/25

問題文

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(としつきがたってもみかどはきりつぼのこういとのしべつのかなしみをおわすれになることが)

年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみをお忘れになることが

(できなかった。なぐさみになるかとおぼしめしてうつくしいひょうばんのあるひとなどをこうきゅうへ)

できなかった。慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを後宮へ

(めされることもあったが、けっかはこのせかいにはここういのびにじゅんずるだけのひとも)

召されることもあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人も

(ないのであるというしつぼうをおあじわいになっただけである。そうしたころ、)

ないのであるという失望をお味わいになっただけである。そうしたころ、

(せんてい--みかどのいとこあるいはおじぎみ--のだいよんのないしんのうでおうつくしいことをだれも)

先帝--帝の従兄あるいは叔父君--の第四の内親王でお美しいことをだれも

(いうかたで、ははぎみのおきさきがだいじにしておいでになるかたのことを、みかどのおそばに)

言う方で、母君のお后が大事にしておいでになる方のことを、帝のおそばに

(ほうししているないしのすけはせんていのきゅうていにいたひとで、きさきのみやへもしたしくでいりしていて、)

奉仕している典侍は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りしていて、

(ないしんのうのごようしょうじだいをもしり、げんざいでもほのかにおかおをはいけんするきかいをおおく)

内親王の御幼少時代をも知り、現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く

(えていたから、みかどへおはなしした。 「おかくれになりましたみやすどころのごようぼうに)

得ていたから、帝へお話しした。 「お亡れになりました御息所の御容貌に

(にたかたを、さんだいもきゅうていにおりましたわたくしすらまだみたことがございません)

似た方を、三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございません

(でしたのに、きさいのみやさまのないしんのうさまだけがあのかたににていらっしゃいますことに)

でしたのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていらっしゃいますことに

(はじめてきがつきました。ひじょうにおうつくしいかたでございます」)

はじめて気がつきました。非常にお美しい方でございます」

(もしそんなことがあったらとおおみこころがうごいて、せんていのきさいのみやへひめみやのごじゅだいの)

もしそんなことがあったらと大御心が動いて、先帝の后の宮へ姫宮の御入内の

(ことをこんせつにおもうしいれになった。おきさきは、そんなおそろしいこと、とうぐうの)

ことを懇切にお申し入れになった。お后は、そんな恐ろしいこと、東宮の

(おかあさまのにょごがなみはずれなつよいせいかくで、きりつぼのこういがろこつないじめかたをされた)

お母様の女御が並みはずれな強い性格で、桐壺の更衣が露骨ないじめ方をされた

(れいもあるのに、とおぼしめしてはなしはそのままになっていた。そのうちおきさきも)

例もあるのに、と思召して話はそのままになっていた。そのうちお后も

(おかくれになった。ひめみやがひとりでくらしておいでになるのをみかどはおききになって、)

お崩れになった。姫宮が一人で暮らしておいでになるのを帝はお聞きになって、

(「にょごというよりもじぶんのむすめたちのないしんのうとおなじようにおもってせわがしたい」)

「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」

(となおもねっしんにじゅだいをおすすめになった。こうしておいでになって、ははみやのこと)

となおも熱心に入内をお勧めになった。こうしておいでになって、母宮のこと

(ばかりをおもっておいでになるよりは、きゅうちゅうのごせいかつにおかえりになったら)

ばかりを思っておいでになるよりは、宮中の御生活にお帰りになったら

など

(わかいおこころのなぐさみにもなろうと、おつきのにょうぼうやおせわがかりのものがいい、)

若いお心の慰みにもなろうと、お付きの女房やお世話係の者が言い、

(あにぎみのひょうぶきょうしんのうもそのせつにごさんせいになって、それでせんていのだいよんのないしんのうは)

兄君の兵部卿親王もその説に御賛成になって、それで先帝の第四の内親王は

(とうだいのにょごにおなりになった。おとどはふじつぼである。ないしのすけのはなしのとおりに、)

当帝の女御におなりになった。御殿は藤壺である。典侍の話のとおりに、

(ひめみやのようぼうもみのおとりなしもふしぎなまで、きりつぼのこういににておいでに)

姫宮の容貌も身のおとりなしも不思議なまで、桐壺の更衣に似ておいでに

(なった。このかたはごみぶんにひのうちどころがない。すべてごりっぱなものであって、)

なった。この方は御身分に批の打ち所がない。すべてごりっぱなものであって、

(だれもおとしめることばをしらなかった。きりつぼのこういはみぶんとごあいちょうとにひれいのとれぬ)

だれも貶める言葉を知らなかった。桐壺の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬ

(ところがあった。おいたでがしんにょごのみやでいやされたともいえないであろうが、)

ところがあった。お傷手が新女御の宮で癒されたともいえないであろうが、

(しぜんにむかしはむかしとしてわすれられていくようになり、みかどにまたたのしいごせいかつが)

自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しい御生活が

(かえってきた。あれほどのこともやはりえいきゅうふへんでありえないにんげんのこいで)

かえってきた。あれほどのこともやはり永久不変でありえない人間の恋で

(あったのであろう。 げんじのきみ--まだげんせいにはなっておられないおうじで)

あったのであろう。 源氏の君--まだ源姓にはなっておられない皇子で

(あるが、やがてそうおなりになるかたであるからひっしゃはこうかく。--はいつも)

あるが、やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。--はいつも

(みかどのおそばをおはなれしないのであるから、しぜんどのにょごのおとどへもしたがっていく。)

帝のおそばをお離れしないのであるから、自然どの女御の御殿へも従って行く。

(みかどがことにしばしばおいでになるおとどはふじつぼであって、おともしてげんじのしばしば)

帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺であって、お供して源氏のしばしば

(いくおとどはふじつぼである。みやもおなれになってかくれてばかりはおいでに)

行く御殿は藤壺である。宮もお馴れになって隠れてばかりはおいでに

(ならなかった。どのこうきゅうでもようぼうのじしんがなくてじゅだいしたものはないので)

ならなかった。どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないので

(あるから、みなそれぞれのびをそなえたひとたちであったが、もうみなだいぶとしが)

あるから、皆それぞれの美を備えた人たちであったが、もう皆だいぶ年が

(いっていた。そのなかへわかいおうつくしいふじつぼのみやがしゅつげんされてそのかたはひじょうに)

いっていた。その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されてその方は非常に

(はずかしがってなるべくかおをみせぬようにとなすっても、しぜんにげんじのきみが)

恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、自然に源氏の君が

(みることになるばあいもあった。ははのこういはおもかげもおぼえていないが、よくにて)

見ることになる場合もあった。母の更衣は面影も覚えていないが、よく似て

(おいでになるとないしのすけがいったので、こどもごころにははににたひととしてこいしく、)

おいでになると典侍が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、

(いつもふじつぼへいきたくなって、あのかたとしたしくなりたいというのぞみが)

いつも藤壺へ行きたくなって、あの方と親しくなりたいという望みが

(こころにあった。みかどにはふたりともさいあいのきさきであり、さいあいのみこであった。)

心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。

(「かれをあいしておやりなさい。ふしぎなほどあなたとこのこのははとは)

「彼を愛しておやりなさい。不思議なほどあなたとこの子の母とは

(にているのです。しつれいだとおもわずにかわいがってやってください。このこの)

似ているのです。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の

(めつきかおつきがまたよくははににていますから、このことあなたとを)

目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを

(ははとことみてもよいきがします」 などみかどがおとりなしになると、こどもごころにも)

母と子と見てもよい気がします」 など帝がおとりなしになると、子供心にも

(はなやもみじばのうつくしいえだは、まずこのみやへさしあげたい、じぶんのこういをうけて)

花や紅葉の美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けて

(いただきたいというこんなたいどをとるようになった。げんざいのこきでんのにょごの)

いただきたいというこんな態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の

(しっとのたいしょうはふじつぼのみやであったからそちらへこういをよせるげんじに、)

嫉妬の対象は藤壺の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、

(いっときわすれられていたきゅうえんもさいねんしてにくしみをもつことになった。にょごが)

一時忘れられていた旧怨も再燃して憎しみを持つことになった。女御が

(じまんにし、ほめられておいでになるようないしんのうがたのびをとおくこえたげんじのびぼうを)

自慢にし、ほめられておいでになる幼内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌を

(せけんのひとはいいあらわすためにひかるのきみといった。にょごとしてふじつぼのみやのごちょうあいが)

世間の人は言い現わすために光の君と言った。女御として藤壺の宮の御寵愛が

(ならびないものであったからついくのようにつくって、かがやくひのみやといっぽうを)

並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を

(もうしていた。 げんじのきみのうつくしいどうぎょうをいつまでもかえたくないようにみかどは)

申していた。 源氏の君の美しい童形をいつまでも変えたくないように帝は

(おぼしめしたのであったが、いよいよじゅうにのとしにげんぷくをおさせになることになった。)

思召したのであったが、いよいよ十二の歳に元服をおさせになることになった。

(そのしきのじゅんびもなにもみかどごじしんでおさしずになった。まえにとうぐうのごげんぷくのしきを)

その式の準備も何も帝御自身でお指図になった。前に東宮の御元服の式を

(ししんでんであげられたときのはでやかさにおとさず、そのひかんじんたちがかくかいきゅうべつべつに)

紫宸殿であげられた時の派手やかさに落とさず、その日官人たちが各階級別々に

(さずかるきょうえんのしたくをくらりょう、こくそういんなどでするのはつまりこうしきのしたくで、)

さずかる饗宴の仕度を内蔵寮、穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、

(それではじゅうぶんでないとおぼしめして、とくにおおせがあって、それらもかれいをきわめた)

それでは十分でないと思召して、特に仰せがあって、それらも華麗をきわめた

(ものにされた。)

ものにされた。

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