紫式部 源氏物語 葵 8 與謝野晶子訳

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(あおいのきみのようだいはますますわるい。ろくじょうのみやすどころのいきりょうであるとも、)

葵の君の容体はますます悪い。六条の御息所の生霊であるとも、

(そのちちであるこじんのだいじんのぼうれいがついているともいわれるうわさのきこえてきたとき、)

その父である故人の大臣の亡霊が憑いているとも言われる噂の聞こえて来た時、

(みやすどころはじぶんじしんのはくめいをなげくほかにひとをのろうこころなどはないが、)

御息所は自分自身の薄命を歎くほかに人を咀う心などはないが、

(ものおもいがつのればからだからはなれることのあるというたましいは)

物思いがつのればからだから離れることのあるという魂は

(あるいはそんなうらみをつげにげんじのふじんのびょうしょうへしゅつぼつするかもしれないと、)

あるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、

(こんなふうにさとられることもあるのであった。ものおもいのれんぞくといってよい)

こんなふうに悟られることもあるのであった。物思いの連続といってよい

(じぶんのしょうがいのなかに、いまだこんどほどくるしくおもったことはなかった。)

自分の生涯の中に、いまだ今度ほど苦しく思ったことはなかった。

(みそぎのひのくつじょくかんからもえたったうらみはじぶんでももうよくせいのできない)

御禊の日の屈辱感から燃え立った恨みは自分でももう抑制のできない

(ひになってしまったとおもっているみやすどころは、ちょっとでもねむるとみるゆめは、)

火になってしまったと思っている御息所は、ちょっとでも眠ると見る夢は、

(ひめぎみらしいひとがうつくしいすがたですわっているところへいって、そのひとのまえでは)

姫君らしい人が美しい姿ですわっている所へ行って、その人の前では

(らんぼうなじぶんになって、むしゃぶりついたりなぐったり、げんじつのじぶんが)

乱暴な自分になって、武者ぶりついたり撲ったり、現実の自分が

(なしうることでないあらあらしいちからがそう、こんなゆめで、いくどとなくおなじすじをみる、)

なしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋を見る、

(なさけないことである。たましいがからだをはなれていったのであろうかとおもわれる。)

情けないことである。魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる。

(しっしんじょうたいにみやすどころがなっているときもあった。ないこともわるくいうのが)

失心状態に御息所がなっている時もあった。ないことも悪くいうのが

(せけんである、ましてこのさいのじぶんはかれらのまんばよくをまんぞくさせるのに)

世間である、ましてこの際の自分は彼らの慢罵欲を満足させるのに

(よいじんぶつであろうとおもうと、みやすどころはめいよのきずつけられることが)

よい人物であろうと思うと、御息所は名誉の傷つけられることが

(くるしくてならないのである。しんだあとにこのよのひとへうらみののこったれいこんが)

苦しくてならないのである。死んだあとにこの世の人へ恨みの残った霊魂が

(あらわれるのはありふれたじじつであるが、それさえもつみのふかさのおもわれる)

現われるのはありふれた事実であるが、それさえも罪の深さの思われる

(かなしむべきことであるのに、いきているじぶんがそうしたあくみょうをおうというのも、)

悲しむべきことであるのに、生きている自分がそうした悪名を負うというのも、

(みなげんじのきみとこいするこころがもたらしたつみである、そのひとへのあいをいまじぶんは)

皆源氏の君と恋する心がもたらした罪である、その人への愛を今自分は

など

(こんていからすてねばならぬとみやすどころはかんがえた。つとめてそうしようとしても)

根底から捨てねばならぬと御息所は考えた。努めてそうしようとしても

(じつげんせいのないむずかしいことにちがいない。)

実現性のないむずかしいことに違いない。

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