紫式部 源氏物語 須磨 16 與謝野晶子訳

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(きょうではつきひのたつにしたがってひかるげんじのないせきりょうをおおくかんじた。)

京では月日のたつにしたがって光源氏のない寂寥を多く感じた。

(へいかもそのおひとりであった。ましてとうぐうはつねにげんじをこいしくおぼしめして、)

陛下もそのお一人であった。まして東宮は常に源氏を恋しく思召して、

(ひとのみぬときにはないておいでになるのを、めのとたちはあわれにはいけんしていた。)

人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、乳母たちは哀れに拝見していた。

(おうみょうぶはそのなかでもことにふくざつなごどうじょうをしているのである。)

王命婦はその中でもことに複雑な御同情をしているのである。

(にゅうどうのみやはとうぐうのごちいにどうようをきたすようなことのないかが)

入道の宮は東宮の御地位に動揺をきたすようなことのないかが

(つねにごふあんであった。げんじまでもしっきゃくしてしまったこんにちでは、)

常に御不安であった。源氏までも失脚してしまった今日では、

(ただただこころぼそくのみおもっておいでになった。げんじのおんおとうとのみやたちそのほか)

ただただ心細くのみ思っておいでになった。源氏の御弟の宮たちそのほか

(したしかったこうかんたちははじめのころしきりにげんじとぶんつうをしたものである。)

親しかった高官たちは初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。

(ひとのみにしむしいかがとりかわされて、それらのげんじのさくが)

人の身にしむ詩歌が取りかわされて、それらの源氏の作が

(せじょうにほめられることはひじょうにたいこうのおきにめさないことであった。)

世上にほめられることは非常に太后のお気に召さないことであった。

(「ちょっかんをうけたひとというものは、じゆうにふつうのひとらしくせいかつすることが)

「勅勘を受けた人というものは、自由に普通の人らしく生活することが

(できないものなのだ。ふうりゅうないえにすんでげんだいをひぼうして)

できないものなのだ。風流な家に住んで現代を誹謗して

(しかをうまだといおうとするにんげんにおもねるものがある」 とおいいになって、)

鹿を馬だと言おうとする人間に阿る者がある」 とお言いになって、

(ほうふくのてののびてくることをめいわくにおもうひとたちはけいかいして、)

報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、

(もうしょうそくをきんらいしなくなった。にじょうのいんのひめぎみはときがたてばたつほど、)

もう消息を近来しなくなった。二条の院の姫君は時がたてばたつほど、

(かなしむどもふかくなっていった。ひがしのたいにいたにょうぼうもこちらへうつされたはじめは、)

悲しむ度も深くなっていった。東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、

(じそんしんのおおいかのじょたちであるから、たいしたこともなくて、ただげんじが)

自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、ただ源氏が

(とくべつにこころをひかれているだけのじょせいであろうとにょおうをかんがえていたが、)

特別に心を惹かれているだけの女性であろうと女王を考えていたが、

(なれてきてふじんのなつかしくうつくしいようしに、せいじつなせいかくに、)

馴れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、誠実な性格に、

(あたたかいおもいやりのあるひとあつかいにけいふくして、だれひとりいとまをこうものもない。)

暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、だれ一人暇を乞う者もない。

など

(よいいえからきているひとたちにはふじんもかおをあわせていた。)

良い家から来ている人たちには夫人も顔を合わせていた。

(だれよりもげんじがあいしているりゆうがわかったようにかのじょたちはおもうのであった。)

だれよりも源氏が愛している理由がわかったように彼女たちは思うのであった。

(すまのほうではむらさきのにょおうとのべっきょせいかつがこのままつづいていくことは)

須磨のほうでは紫の女王との別居生活がこのまま続いて行くことは

(たえうることでないとげんじはおもっているのであるが、じぶんでさえなんたるしゅくめいで)

堪えうることでないと源氏は思っているのであるが、自分でさえ何たる宿命で

(こうしたせいかつをするのかとなさけないいえに、はなのようなひめぎみをむかえるということは)

こうした生活をするのかと情けない家に、花のような姫君を迎えるという事は

(あまりにおもいやりのないことであるとまたおもいかえされもするのである。)

あまりに思いやりのないことであるとまた思い返されもするのである。

(げなんやのうみんになにかとひとのこごとをいうことなどもいまにちかいところでおこなわれるとき、)

下男や農民に何かと人の小言を言う事なども居間に近い所で行なわれる時、

(あまりにもったいないことであるとげんじじしんでじしんをおもうことさえもあった。)

あまりにもったいないことであると源氏自身で自身を思うことさえもあった。

(きんじょでときどきけむりのたつのを、これがあまのしおをやくけむりなのであろうと)

近所で時々煙の立つのを、これが海人の塩を焼く煙なのであろうと

(げんじはながいあいだおもっていたが、それはさんそうのうしろのやまで)

源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山で

(しばをくべているけむりであった。これをきいたときのさく、 )

柴を燻べている煙であった。これを聞いた時の作、

(やまがつのいおりにたけるしばしばもことといこなんこうるさとびと)

山がつの庵に焚けるしばしばも言問ひ来なむ恋ふる里人

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