「山月記」中島敦(1/6頁)

順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | Par2 | 3937 | D++ | 4.0 | 98.3% | 363.7 | 1456 | 24 | 26 | 2025/03/19 |
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問題文
(ろうさいのりちょうははくがくさいえい、てんぽうのまつねん、わかくしてなをこぼうにつらね、)
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、
(ついでこうなんいにほせられたが、せい、けんかい、)
ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、
(みずからたのむところすこぶるあつく、せんりにあまんずるをいさぎよしとしなかった。)
自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
(いくばくもなくかんをしりぞいたのちは、こざん、かくりゃくにきがし、)
いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、
(ひととまじわりをたって、ひたすらしさくにふけった。)
人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。
(かりとなってながくひざをぞくあくなたいかんのまえにくっするよりは、)
下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、
(しかとしてのなをしごひゃくねんにのこそうとしたのである。)
詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。
(しかし、ぶんめいはよういにあがらず、せいかつはひをおうてくるしくなる。)
しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。
(りちょうはようやくしょうそうにかられてきた。)
李徴は漸く焦躁に駆られて来た。
(このころからそのようぼうもしょうこくとなり、にくおちほねひいで、)
この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、
(がんこうのみいたずらにけいけいとして、かつてしんしにとうだいしたころの)
眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の
(ほうきょうのびしょうねんのおもかげは、どこにもとめようもない。)
豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。
(すうねんののち、ひんきゅうにたえず、さいしのいしょくのためについにせつをくっして、)
数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、
(ふたたびひがしへおもむき、いちちほうかんりのしょくをほうずることになった。)
再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。
(いっぽう、これは、おのれのしぎょうになかばぜつぼうしたためでもある。)
一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。
(かつてのどうはいはすでにはるかこういにすすみ、)
曾ての同輩は既に遥か高位に進み、
(かれがむかし、どんぶつとしてしがにもかけなかった)
彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかった
(そのれんちゅうのかめいをはいさねばならぬことが、)
その連中の下命を拝さねばならぬことが、
(おうねんのしゅんさいりちょうのじそんしんをいかにきずつけたかは、そうぞうにかたくない。)
往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。
(かれはおうおうとしてたのしまず、きょうはいのせいはいよいよおさえがたくなった。)
彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。
(いちねんののち、こうようでたびにで、じょすいのほとりにとまったとき、)
一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、
(ついにはっきょうした。あるやはん、きゅうにかおいろをかえてねどこからおきあがると、)
遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、
(なにかわけのわからぬことをさけびつつそのまましたにとびおりて、)
何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、
(やみのなかへかけだした。かれはにどともどってこなかった。)
闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。
(ふきんのさんやをそうさくしても、なんのてがかりもない。)
附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。
(そのごりちょうがどうなったかをしるものは、だれもなかった。)
その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。