「山月記」中島敦(5/6頁)

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(ときに、ざんげつ、ひかりひややかに、はくろはちにしげく、)

時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、

(じゅかんをわたるれいふうはすでにあかつきのちかきをつげていた。)

樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。

(ひとびとはもはや、ことのきいをわすれ、しゅくぜんとして、)

人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、

(このしじんのはっこうをたんじた。りちょうのこえはふたたびつづける。)

この詩人の薄倖を嘆じた。李徴の声は再び続ける。

(なぜこんなうんめいになったかわからぬと、せんこくはいったが、)

何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、

(しかし、かんがえようによれば、おもいあたることがぜんぜんないでもない。)

しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。

(にんげんであったとき、おれはつとめてひととのまじわりをさけた。)

人間であった時、己は努めて人との交を避けた。

(ひとびとはおれをきょごうだ、そんだいだといった。)

人々は己を倨傲だ、尊大だといった。

(じつは、それがほとんどしゅうちしんにちかいものであることを、)

実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、

(ひとびとはしらなかった。)

人々は知らなかった。

(もちろん、かつてのきょうとうのきさいといわれたじぶんに、)

勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、

(じそんしんがなかったとはいわない。)

自尊心が無かったとは云わない。

(しかし、それはおくびょうなじそんしんとでもいうべきものであった。)

しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。

(おれはしによってなをなそうとおもいながら、すすんでしについたり、)

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、

(もとめてしゆうとまじわってせっさたくまにつとめたりすることをしなかった。)

求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。

(かといって、また、おれはぞくぶつのあいだにごすることもいさぎよしとしなかった。)

かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。

(ともに、わがおくびょうなじそんしんと、そんだいなしゅうちしんとのせいである。)

共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

(おのれのたまにあらざることをおそれるがゆえに、あえてこっくしてみがこうともせず、)

己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、

(また、おれのたまなるべきをなかばしんずるがゆえに、)

又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、

(ろくろくとしてかわらにごすることもできなかった。)

碌々として瓦に伍することも出来なかった。

など

(おれはしだいによとはなれ、ひとととおざかり、ふんもんとざんいとによって)

己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって

(ますますおのれのうちなるおくびょうなじそんしんをかいふとらせるけっかになった。)

益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

(にんげんはだれでももうじゅうつかいであり、そのもうじゅうにあたるのが、かくじんのせいじょうだという。)

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。

(おれのばあい、このそんだいなしゅうちしんがもうじゅうだった。とらだったのだ。)

己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

(これがおのれをそこない、さいしをくるしめ、ゆうじんをきずつけ、)

これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、

(はては、おれのがいけいをかくのごとく、ないしんにふさわしいものにかえてしまったのだ。)

果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

(いまおもえば、まったく、おれは、おれのもっていた)

今思えば、全く、己は、己の有っていた

(わずかばかりのさいのうをくうひしてしまったわけだ。)

僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。

(じんせいはなにごとをもなさぬにはあまりにながいが、)

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、

(なにごとかをなすにはあまりにみじかいなどとくちさきばかりのけいくをろうしながら、)

何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、

(じじつは、さいのうのふそくをばくろするかもしれないとのひきょうなきぐと、)

事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、

(こっくをいとうたいだとがおれのすべてだったのだ。)

刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。

(おれよりもはるかにとぼしいさいのうでありながら、それをせんいつにみがいたがために、)

己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、

(どうどうたるしかとなったものがいくらでもいるのだ。)

堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。

(とらとなりはてたいま、おれはようやくそれにきがついた。)

虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。

(それをおもうと、おれはいまもむねをやかれるようなくいをかんじる。)

それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。

(おれにはもはやにんげんとしてのせいかつはできない。)

己には最早人間としての生活は出来ない。

(たとえ、いま、おれがあたまのなかで、どんなすぐれたしをつくったにしたところで、)

たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、

(どういうしゅだんではっぴょうできよう。)

どういう手段で発表できよう。

(まして、おれのあたまはひごとにとらにちかづいていく。)

まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。

(どうすればいいのだ。)

どうすればいいのだ。

(おれのくうひされたかこは?)

己の空費された過去は?

(おれはたまらなくなる。)

己は堪たまらなくなる。

(そういうとき、おれは、むこうのやまのいただきのいわにのぼり、)

そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、

(くうこくにむかってほえる。)

空谷に向って吼える。

(このむねをやくかなしみをだれかにうったえたいのだ。)

この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。

(おれはさくゆうも、あそこでつきにむかってほえた。)

己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。

(だれかにこのくるしみがわかってもらえないかと。)

誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。

(しかし、けものどもはおれのこえをきいて、ただ、おそれ、ひれふすばかり。)

しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。

(やまもきもつきもつゆも、いっぴきのとらがいかりくるって、たけっているとしかかんがえない。)

山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。

(てんにおどりちにふしてなげいても、だれひとりおれのきもちをわかってくれるものはない。)

天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。

(ちょうど、にんげんだったころ、おれのきずつきやすいないしんを)

ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を

(だれもりかいしてくれなかったように。)

誰も理解してくれなかったように。

(おれのけがわのぬれたのは、よつゆのためばかりではない。)

己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

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