紫式部 源氏物語 明石 16 與謝野晶子訳

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問題文

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(もうしゅったつのあさになって、しかもむかえのひとたちもおおぜいきているさわぎのなかに、)

もう出立の朝になって、しかも迎えの人たちもおおぜい来ている騒ぎの中に、

(じかんとひとめをぬすんでげんじはおんなへかきおくった。 )

時間と人目を盗んで源氏は女へ書き送った。

(うちすててたつもかなしきうらなみのなごりいかにとおもいやるかな )

うち捨てて立つも悲しき浦波の名残いかにと思ひやるかな

(へんじ、 )

返事、

(としふるもとまやもあれてうきなみのかえるかたにやみをたぐえまし )

年経るも苫屋も荒れてうき波の帰る方にや身をたぐへまし

(これはじっかんそのままかいただけのうたであるが、てがみをながめているげんじは)

これは実感そのまま書いただけの歌であるが、手紙をながめている源氏は

(ほろほろとなみだをこぼしていた。おんなのかんけいをしらないひとびとはこんなすまいも、)

ほろほろと涙をこぼしていた。女の関係を知らない人々はこんな住居も、

(いちねんいじょういられてわかれていくときはなごりがあれほどおしまれるものなのであろうと)

一年以上いられて別れて行く時は名残があれほど惜しまれるものなのであろうと

(たんじゅんにどうじょうしていた。よしきよなどはよほどおきにいったおんななのであろうと)

単純に同情していた。良清などはよほどお気に入った女なのであろうと

(にくくおもった。じしんたちはしんちゅうのうれしさをおさえて、きょうかぎりにたっていく)

憎く思った。侍臣たちは心中のうれしさをおさえて、今日限りに立って行く

(あかしのうらとのわかれにしめっぽいうたをつくりもしていたが、それははぶいておく。)

明石の浦との別れに湿っぽい歌を作りもしていたが、それは省いておく。

(しゅったつのひのきょうおうをにゅうどうははでにもうけた。ぜんたいのひとへせんべつに)

出立の日の饗応を入道は派手に設けた。全体の人へ餞別に

(りっぱなりょそうひとそろいずつをだすこともした。いつのまにこのよういが)

りっぱな旅装一揃いずつを出すこともした。いつの間にこの用意が

(されたのであるかとおどろくばかりであった。げんじのいふくはもとよりしつをせいせんして)

されたのであるかと驚くばかりであった。源氏の衣服はもとより質を精選して

(ちょうせいしてあった。いくこかのころもびつがれつにくわわっていくことになっているのである。)

調製してあった。幾個かの衣櫃が列に加わって行くことになっているのである。

(きょうきていくかりぎぬのひとところにおんなのうたが、 )

今日着て行く狩衣の一所に女の歌が、

(よるなみにたちかさねたるたびごろもしほどけしとやひとのいとわん )

寄る波にたち重ねたる旅衣しほどけしとや人のいとはん

(とかかれてあるのをみつけて、たちぎわではあったがげんじはへんじをかいた。 )

と書かれてあるのを見つけて、立ちぎわではあったが源氏は返事を書いた。

(かたみにぞかうべかりけるあうことのひかずへだてんなかのころもを )

かたみにぞかふべかりける逢ふことの日数へだてん中の衣を

(というのである。 「せっかくよこしたのだから」)

というのである。 「せっかくよこしたのだから」

など

(といいながらそれにきかえた。いままできていたいふくはおんなのところへやった。)

と言いながらそれに着かえた。今まで着ていた衣服は女の所へやった。

(おもいださせるこいのぎこうというものである。じしんのにおいのしんんだきものが)

思い出させる恋の技巧というものである。自身のにおいの沁んだ着物が

(どれだけゆうこうなものであるかをげんじはよくしっていた。)

どれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。

(「もうすてましたよのなかですが、きょうのおおくりのできませんことだけは)

「もう捨てました世の中ですが、今日のお送りのできませんことだけは

(ざんねんです」 などといっているにゅうどうが、りょうてでなみだをかくしているのが)

残念です」 などと言っている入道が、両手で涙を隠しているのが

(かわいそうであるとげんじはおもったが、ほかのわかいひとたちのめには)

かわいそうであると源氏は思ったが、他の若い人たちの目には

(おかしかったにちがいない。 )

おかしかったに違いない。

(「よをうみにここらしおじむみとなりてなおこのきしをえこそはなれね )

「世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね

(こどもへのもうしわけにせめてくにざかいまではおともをさせていただきます」)

子供への申しわけにせめて国境まではお供をさせていただきます」

(とにゅうどうはいってから、 「ですぎたもうしぶんでございますが、)

と入道は言ってから、 「出すぎた申し分でございますが、

(おもいだしておやりくださいますときがございましたらごおんしんを)

思い出しておやりくださいます時がございましたら御音信を

(いただかせてくださいませ」 などとたのんだ。かなしそうでめのあたりの)

いただかせてくださいませ」 などと頼んだ。悲しそうで目のあたりの

(あかくなっているげんじのかおがうつくしかった。 「わたくしにはとうぜんのぎむであることも)

赤くなっている源氏の顔が美しかった。 「私には当然の義務であることも

(あるのですから、けっしてふにんじょうなものでないとすぐにまた)

あるのですから、決して不人情な者でないとすぐにまた

(よくおもっていただくようなひもあるでしょう。わたくしはただこのいえとはなれることが)

よく思っていただくような日もあるでしょう。私はただこの家と離れることが

(なごりおしくてならない、どうすればいいことなんだか」 といって、)

名残惜しくてならない、どうすればいいことなんだか」 と言って、

(みやこいでしはるのなげきにおとらめやとしふるうらをわかれぬるあき )

都出でし春の歎きに劣らめや年ふる浦を別れぬる秋

(となみだをそででげんじはぬぐっていた。これをみるとにゅうどうはきもとおくなったように)

と涙を袖で源氏は拭っていた。これを見ると入道は気も遠くなったように

(しおれてしまった。それきりたちいもよろよろとするふうである。あかしのきみのこころは)

萎れてしまった。それきり起居もよろよろとするふうである。明石の君の心は

(かなしみにみたされていた。そとへはあらわすまいとするのであるが、)

悲しみに満たされていた。外へは現すまいとするのであるが、

(じしんのはっこうであることがかなしみのこんぽんになっていて、すてていくうらめしいげんじが)

自身の薄倖であることが悲しみの根本になっていて、捨てて行く恨めしい源氏が

(またこいしいおもかげになってみえるせつなさは、ないてわずかにもらすほかは)

また恋しい面影になって見えるせつなさは、泣いて僅かに洩らすほかは

(どうしようもない。ははのふじんもなだめかねていた。)

どうしようもない。母の夫人もなだめかねていた。

(「どうしてこんなにくろうのおおいけっこんをさせたのだろう。かたいじなかたのいいなりに)

「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたのだろう。固意地な方の言いなりに

(わたくしまでもがついていったのがまちがいだった」 とふじんはたんそくしていた。)

私までもがついて行ったのがまちがいだった」 と夫人は歎息していた。

(「うるさい、これきりにあそばされないことものこっているのだから、)

「うるさい、これきりにあそばされないことも残っているのだから、

(おかんがえがあるにちがいない。ゆでものんでまあおちつきなさい。)

お考えがあるに違いない。湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。

(ああくるしいことがおこってきた」 にゅうどうはこうつまとむすめにいったままで、)

ああ苦しいことが起こってきた」 入道はこう妻と娘に言ったままで、

(へやのかたすみによっていた。つまとめのととがくちぐちににゅうどうをひなんした。)

室の片隅に寄っていた。妻と乳母とが口々に入道を批難した。

(「おじょうさまをごこうふくなかたにしておみあげしたいと、どんなにながいあいだ)

「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、どんなに長い間

(いのってきたことでしょう。いよいよそれがじつげんされますかと)

祈って来たことでしょう。いよいよそれが実現されますかと

(ぞんじておりましたのに、おきのどくなごけいけんをあそばすことに)

存じておりましたのに、お気の毒な御経験をあそばすことに

(なったのでございますね。さいしょのごけっこんで」)

なったのでございますね。最初の御結婚で」

(こういってなげくひとたちもかわいそうにおもわれて、そんなこと、こんなことで)

こう言って歎く人たちもかわいそうに思われて、そんなこと、こんなことで

(にゅうどうのこころはまえよりもずっとぼけていった。ひるはしゅうじつねているかとおもうと、)

入道の心は前よりもずっとぼけていった。昼は終日寝ているかと思うと、

(よるはおきだしていく。 「じゅずのおきどころもしれなくしてしまった」)

夜は起き出して行く。 「数珠の置き所も知れなくしてしまった」

(とりょうてをすりあわせてぜつぼうてきなたんそくをしているのであった。)

と両手を擦り合わせて絶望的な歎息をしているのであった。

(でしたちにひなんされてはつきよにでてみどうのぎょうどうをするがいけにおちてしまう。)

弟子たちに批難されては月夜に出て御堂の行道をするが池に落ちてしまう。

(ふうりゅうにつくったにわのいわかどにこしをおろしそこねてけがをしたときには、)

風流に作った庭の岩角に腰をおろしそこねて怪我をした時には、

(そのいたみのあるあいだだけはんもんをせずにいた。)

その痛みのある間だけ煩悶をせずにいた。

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