梶井基次郎 桜の樹の下には

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プレイ回数1025難易度(4.0) 3646打 長文 かな

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問題文

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(さくらのきのしたにはしたいがうまっている!)

桜の樹の下には屍体が埋まっている!

(これはしんじていいことなんだよ。)

これは信じていいことなんだよ。

(なぜって、さくらのはながあんなにもみごとに)

何故って、桜の花があんなにも見事に

(さくなんてしんじられないことじゃないか。)

咲くなんて信じられないことじゃないか。

(おれはあのうつくしさがしんじられないので、このにさんにちふあんだった。)

俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。

(しかしいま、やっとわかるときがきた。)

しかしいま、やっとわかるときが来た。

(さくらのきのしたにはしたいがうまっている。)

桜の樹の下には屍体が埋まっている。

(これはしんじていいことだ。)

これは信じていいことだ。

(どうしておれがまいばんいえへかえってくるみちで、おれのへやのかずあるどうぐのうちの、)

どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、

(よりによってちっぽけなうすっぺらいもの、あんぜんかみそりのはなんぞが、)

選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、

(せんりがんのようにおもいうかんでくるのか)

千里眼のように思い浮かんで来るのか

(おまえはそれがわからないといったが)

おまえはそれがわからないと言ったが

(そしておれにもやはりそれがわからないのだが)

そして俺にもやはりそれがわからないのだが

(それもこれもやっぱりおなじようなことにちがいない。)

それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。

(いったいどんなきのはなでも、いわゆるまっさかりというじょうたいにたっすると、)

いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、

(あたりのくうきのなかへいっしゅしんぴなふんいきをまきちらすものだ。)

あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。

(それは、よくまわったこまがかんぜんなせいしにすむように、)

それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、

(また、おんがくのじょうずなえんそうがきまってなにかのげんかくをともなうように、)

また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、

(しゃくねつしたせいしょくのげんかくさせるごこうのようなものだ。)

灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。

(それはひとのこころをうたずにはおかない、)

それは人の心を撲たずにはおかない、

など

(ふしぎな、いきいきとした、うつくしさだ。)

不思議な、生き生きとした、美しさだ。

(しかし、きのう、いっさくじつ、おれのこころをひどくいんきにしたものもそれなのだ。)

しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。

(おれにはそのうつくしさがなにかしんじられないもののようなきがした。)

俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。

(おれははんたいにふあんになり、ゆううつになり、くうきょなきもちになった。)

俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。

(しかし、おれはいまやっとわかった。)

しかし、俺はいまやっとわかった。

(おまえ、このらんまんとさきみだれているさくらのきのしたへ、)

おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、

(ひとつひとつしたいがうまっているとそうぞうしてみるがいい。)

一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。

(なにがおれをそんなにふあんにしていたかがおまえにはなっとくがいくだろう。)

何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

(うまのようなしたい、いぬねこのようなしたい、そしてにんげんのようなしたい、)

馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、

(したいはみなふらんしてうじがわき、たまらなくくさい。)

屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。

(それでいてすいしょうのようなえきをたらたらとたらしている。)

それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。

(さくらのねはどんらんなたこのように、それをだきかかえ、)

桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、

(いそぎんちゃくのしょくいとのようなもうこんをあつめて、そのえきたいをすっている。)

いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。

(なにがあんなかべんをつくり、なにがあんなしべをつくっているのか、)

何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、

(おれはもうこんのすいあげるすいしょうのようなえきが、しずかなぎょうれつをつくって、)

俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、

(いかんそくのなかをゆめのようにあがってゆくのがみえるようだ。)

維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。

(おまえはなにをそうくるしそうなかおをしているのだ。)

おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。

(うつくしいとうしじゅつじゃないか。)

美しい透視術じゃないか。

(おれはいまようやくひとみをすえてさくらのはながみられるようになったのだ。)

俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。

(きのう、いっさくじつ、おれをふあんがらせたしんぴからじゆうになったのだ。)

昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。

(にさんにちまえ、おれは、ここのたにへおりて、いしのうえをつたいあるきしていた。)

二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。

(みずのしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、)

水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、

(うすばかげろうがあふろでぃっとのようにうまれてきて、)

薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、

(たにのそらをめがけてまいあがってゆくのがみえた。)

溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。

(おまえもしっているとおり、)

おまえも知っているとおり、

(かれらはそこでうつくしいけっこんをするのだ。しばらくあるいていると、)

彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、

(おれはへんなものにでくわした。)

俺は変なものに出喰わした。

(それはたにのみずがかわいたかわらへ、ちいさいみずたまりをのこしている、)

それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、

(そのみずのなかだった。おもいがけないせきゆをながしたようなこうさいが、)

その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、

(いちめんにういているのだ。おまえはそれをなんだったとおもう。)

一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。

(それはなんまんひきともかずのしれない、うすばかげろうのしたいだったのだ。)

それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。

(すきまなくみのもをおおっている、かれらのかさなりあったはねが、)

隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅が、

(ひかりにちぢれてあぶらのようなこうさいをながしているのだ。)

光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。

(そこが、さんらんをおわったかれらのはかばだったのだ。)

そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。

(おれはそれをみたとき、むねがつかれるようなきがした。)

俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。

(はかばをあばいてしたいをたしなむへんしつしゃのようなざんにんなよろこびをおれはあじわった。)

墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。

(このたにまではなにもおれをよろこばすものはない。)

この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。

(うぐいすやしじゅうからも、しろいにっこうをさあおにけぶらせているきのわかめも、)

鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、

(ただそれだけでは、もうろうとしたしんしょうにすぎない。)

ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。

(おれにはさんげきがひつようなんだ。)

俺には惨劇が必要なんだ。

(そのへいこうがあって、はじめておれのしんしょうはめいかくになってくる。)

その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。

(おれのこころはあっきのようにゆううつにかわいている。)

俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。

(おれのこころにゆううつがかんせいするときにばかり、おれのこころはなごんでくる。)

俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。

(おまえはわきのしたをふいているね。ひやあせがでるのか。)

おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。

(それはおれもおなじことだ。なにもそれをふゆかいがることはない。)

それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。

(べたべたとまるでのようだとおもってごらん。)

べたべたとまるでのようだと思ってごらん。

(それでおれたちのゆううつはかんせいするのだ。)

それで俺達の憂鬱は完成するのだ。

(ああ、さくらのきのしたにはしたいがうまっている!)

ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!

(いったいどこからうかんできたくうそうかさっぱりけんとうのつかないしたいが、)

いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、

(いまはまるでさくらのきとひとつになって、)

いまはまるで桜の樹と一つになって、

(どんなにあたまをふってもはなれてゆこうとはしない。)

どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。

(いまこそおれは、あのさくらのきのしたでしゅえんをひらいているむらびとたちとおなじけんりで、)

今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、

(はなみのさけがのめそうなきがする。)

花見の酒が呑めそうな気がする。

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