風の又三郎 7

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九月四日 上の野原②
宮沢賢治 作 全文

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(「あいな。いるが。あいな。きたぞ。」いちろうはあせをぬぐいながらさけびました。)

「兄(アイ)な。いるが。兄な。来たぞ。」一郎は汗を拭いながら叫びました。

(「おおい。ああい。そこにいろ。いまゆぐぞ。」)

「おおい。ああい。そこにいろ。今行ぐぞ。」

(ずうっとむこうのくぼみで、いちろうのにいさんのこえがしました。)

ずうっとむこうの窪みで、一郎の兄さんの声がしました。

(ひがぱっとあかるくなり、にいさんがそっちのくさのなかからわらってでてきました。)

陽がぱっと明るくなり、兄さんがそっちの草の中から笑って出て来ました。

(「ゆぐきたな。みんなもつれできたのが。ゆぐきた。)

「善(ユ)ぐ来たな。みんなも連れで来たのが。善ぐ来た。

(もどりにうまこつれでてけろな。きょうぁ、ひるまがらきっとくもる。)

戻りに馬こ連れでてけろな。今日ぁ、午(ヒル)まがらきっと曇る。

(おらもうすこしくさあつめてしむがらな、)

俺(オラ)もう少し草集めて仕舞(シム)がらな、

(うなだあそばば、あのどてのなかさはいってろ。)

うなだ遊ばば、あの土手の中さ入ってろ。

(まだぼくじょうのうまにじゅっぴきばがりいるがらな。」)

まだ牧場の馬二十ぴきばがりいるがらな。」

(にいさんはむこうへいこうとして、ふりむいてまたいいました。)

兄さんはむこうへ行こうとして、振り向いてまたいいました。

(「どてがらそとさではるなよ。まよってしまうづどあぶなぃがらな。)

「土手がら外さ出はるなよ。迷ってしまうづど危なぃがらな。

(ひるまになったらまたくるがら。」)

午(ヒル)まになったらまた来るがら。」

(「うん。どてのなかにいるがら。」)

「うん。土手の中にいるがら。」

(そしていちろうのにいさんは、いってしまいました。)

そして一郎の兄さんは、行ってしまいました。

(そらにはうすいくもがすっかりかかり、たいようはしろいかがみのようになって、)

空にはうすい雲がすっかりかかり、太陽は白い鏡のようになって、

(くもとはんたいにはせました。)

雲と反対に馳せました。

(かぜがでてきて、まだかってないくさはいちめんになみをたてます。)

風が出てきて、まだ刈ってない草は一面に波を立てます。

(いちろうはさきにたって、ちいさなみちをまっすぐにいくと、)

一郎はさきにたって、小さなみちをまっすぐに行くと、

(まもなくどてになりました。)

まもなくどてになりました。

(そのどてのいっとこ、ちぎれたところに、にほんのまるたのぼうを、)

その土手の一とこ、ちぎれたところに、二本の丸太の棒を、

など

(よこにわたしてありました。)

横にわたしてありました。

(こうすけがそれをくぐろうとしますと、かすけが、)

耕助がそれをくぐろうとしますと、嘉助が、

(「おらこったなものがいせだだぞ。」といいながら、)

「おらこったなもの外せだだぞ(外せるぞ)。」といいながら、

(かたっぽのはじをぬいてしたにおろしましたので、)

片っ方のはじをぬいて下におろしましたので、

(みんなはそれをはねこえて、なかへはいりました。)

みんなはそれをはね越えて、中へ入りました。

(むこうのすこしこだかいところに、てかてかひかるちゃいろのうまが、)

むこうの少し小高いところに、てかてか光る茶いろの馬が、

(ななひきばかりあつまって、しっぽをゆるやかにばしゃばしゃふっているのです。)

七ひきばかり集まって、しっぽをゆるやかにばしゃばしゃふっているのです。

(「このうまみんなせんえんいじょうするづもな。)

「この馬みんな千円以上するづもな。

(らいねんがらみんなけいばさもではるのだづじゃい。」)

来年がらみんな競馬さも出はるのだづじゃい。」

(いちろうはそばへいきながらいいました。)

一郎はそばへ行きながらいいました。

(うまはみんないままでさびしくってしようなかったというように、)

馬はみんないままでさびしくって仕様なかったというように、

(いちろうだちのほうへよってきました。)

一郎だち(たち)の方へ寄ってきました。

(そしてはなづらをずうっとのばして、なにかほしそうにするのです。)

そして鼻づらをずうっとのばして、何かほしそうにするのです。

(「ははあ、しおをけろづのだな。」みんなはいいながら、)

「ははあ、塩をけろづのだな。」みんなはいいながら、

(てをだしてうまになめさせたりしましたが、)

手を出して馬になめさせたりしましたが、

(さぶろうだけはうまになれていないらしく、)

三郎だけは馬になれていないらしく、

(きみわるそうにてをぽけっとへいれてしまいました。)

気味悪そうに手をポケットへ入れてしまいました。

(「わあまたさぶろううまおっかながるじゃい。」とえつじがいいました。)

「わあ又三郎馬怖(オッカ)ながるじゃい。」と悦治がいいました。

(するとさぶろうは、)

すると三郎は、

(「こわくなんかないやい。」といいながら、)

「怖くなんかないやい。」といいながら、

(すぐぽけっとのてをうまのはなづらへのばしましたが、)

すぐポケットの手を馬の鼻づらへのばしましたが、

(うまがくびをのばしてしたをべろりとだすと、)

馬が首をのばして舌をべろりと出すと、

(さあっとかおいろをかえて、すばやくまたてをぽけっとへいれてしまいました。)

さあっと顔いろを変えて、すばやくまた手をポケットへ入れてしまいました。

(「わあい、またさぶろううまおっかながるじゃい。」えつじがまたいいました。)

「わあい、又三郎馬怖(オッカ)ながるじゃい。」悦治が又いいました。

(するとさぶろうはすっかりかおをあかくして、しばらくもじもじしていましたが、)

すると三郎はすっかり顔を赤くして、しばらくもじもじしていましたが、

(「そんなら、みんなでけいばやるか。」といいました。)

「そんなら、みんなで競馬やるか。」といいました。

(けいばってどうするのかとみんなおもいました。)

競馬ってどうするのかとみんな思いました。

(するとさぶろうは、)

すると三郎は、

(「ぼくけいばなんべんもみたぞ。けれどもこのうまみんなくらがないからのれないや。)

「ぼく競馬何べんも見たぞ。けれどもこの馬みんな鞍がないから乗れないや。

(みんなでいっぴきづつうまをおって、はじめにむこうの、そら、)

みんなで一ぴきづつ馬を追って、はじめにむこうの、そら、

(あのおおきなきのところについたものをいっとうにしよう。」)

あの巨きな樹のところに着いたものを一等にしよう。」

(「そいづおもしろな。」かすけがいいました。)

「そいづ面白な。」嘉助がいいました。

(「しからえるぞ。ぼくふにみっつらえでがら。」)

「叱らえるぞ。牧夫に見っつらえでがら。」

(「だいじょうぶだよ。けいばにでるうまなんかれんしゅうをしていないといけないんだい。」)

「大丈夫だよ。競馬に出る馬なんか練習をしていないといけないんだい。」

(さぶろうがいいました。)

三郎がいいました。

(「よし、おらこのうまだぞ。」)

「よし、おらこの馬だぞ。」

(「おら、このうまだ。」)

「おら、この馬だ。」

(「そんならぼくはこのうまでもいいや。」)

「そんならぼくはこの馬でもいいや。」

(みんなはやなぎのえだやかやのほで、しゅうといいながらうまをかるくうちました。)

みんなはやなぎの枝や萱の穂で、しゅうといいながら馬を軽く打ちました。

(ところがうまはちっともびくともしませんでした。)

ところが馬はちっともびくともしませんでした。

(やはりしたへくびをたれてくさをかいだりくびをのばして、)

やはり下へ首を垂れて草をかいだり首をのばして、

(そこらのけしきをもっとよくみる、というようにしているのです。)

そこらのけしきをもっとよく見る、というようにしているのです。

(いちろうがそこでりょうてをぴしゃんとうちあわせて、だあ、といいました。)

一郎がそこで両手をぴしゃんと打ち合せて、だあ、といいました。

(するとにわかに、ひちひきともまるでたてがみをそろえてかけだしたのです。)

するとにわかに、七ひきともまるでたてがみをそろえてかけ出したのです。

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