風の又三郎 9

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九月四日 上の野原④
宮沢賢治 作 全文

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問題文

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(「いちろう、いちろう、こっちさこう。」)

「一郎、一郎、こっちさ来う。」

(ところがなんのへんじもきこえません。)

ところが何の返事も聞えません。

(こくばんからふるはくぼくのこなのような、くらいつめたいきりのつぶが、そこらいちめんおどりまわり、)

黒板から降る白墨の粉のような、暗い冷たい霧の粒が、そこら一面踊りまわり、

(あたりがにわかにしいんとして、いんきにいんきになりました。)

あたりがにわかにシインとして、陰気に陰気になりました。

(くさからはもう、しずくのおとがぽたりぽたりときこえてきます。)

草からはもう、雫の音がポタリポタリと聞えて来ます。

(かすけは、もうはやくいちろうたちのところへもどろうとしていそいでひっかえしました。)

嘉助は、もう早く一郎たちの所へ戻ろうとして急いで引っ返しました。

(けれどもどうも、それは、まえにきたところとはちがっていたようでした。)

けれどもどうも、それは、前に来た所とは違っていたようでした。

(だいいち、あざみがあんまりたくさんありましたし、)

第一、薊があんまり沢山ありましたし、

(それにくさのそこにさっきなかったいわかけが、たびたびころがっていました。)

それに草の底にさっき無かった岩かけが、度々ころがっていました。

(そしてとうとうきいたこともないおおきなたにが、いきなりめのまえにあらわれました。)

そしてとうとう聞いたこともない大きな谷が、いきなり眼の前に現われました。

(すすきがざわざわざわっとなり、むこうのほうはそこしれずのたにのように、)

すすきがざわざわざわっと鳴り、むこうの方は底知れずの谷のように、

(きりのなかにきえているではありませんか。)

霧の中に消えているではありませんか。

(かぜがくると、すすきのほはほそいたくさんのてをいっぱいのばして、)

風が来ると、芒(ススキ)の穂は細い沢山の手を一ぱいのばして、

(せわしくふって、)

忙(セワ)しく振って、

(「あ、にしさん、あ、ひがしさん。あ、にしさん。あ、みなみさん。あ、にしさん。」)

「あ、西さん、あ、東さん。あ、西さん。あ、南さん。あ、西さん。」

(なんていっているようでした。)

なんていっている様でした。

(かすけはあんまりみっともなかったので、めをつぶってよこをむきました。)

嘉助はあんまり見っともなかったので、目を瞑って横を向きました。

(そしていそいでひっかえしました。)

そして急いで引っ返しました。

(ちいさなくろいみちが、いきなりくさのなかにでてきました。)

小さな黒い道が、いきなり草の中に出て来ました。

(それはたくさんのうまのひづめのあとでできあがっていたのです。)

それは沢山の馬の蹄の痕で出来上っていたのです。

など

(かすけは、むちゅうで、みじかいわらいごえをあげて、そのみちをぐんぐんあるきました。)

嘉助は、夢中で、短い笑い声をあげて、その道をぐんぐん歩きました。

(けれども、たよりのないことは、みちのはばがごすんぐらいになったり、)

けれども、たよりのないことは、みちのはばが五寸ぐらいになったり、

(またさんじゃくぐらいにかわったり、おまけになんだか、)

また三尺ぐらいに変ったり、おまけに何だか、

(ぐるっとまわっているようにおもわれました。)

ぐるっと廻っているように思われました。

(そして、とうとう、おおきなてっぺんのやけたくりのきのまえまできたとき、)

そして、とうとう、大きなてっぺんの焼けた栗の木の前まで来た時、

(ぼんやりいくつにもわかれてしまいました。)

ぼんやり幾つにも岐(ワカ)れてしまいました。

(そこはたぶんは、のうまのあつまりばしょであったでしょう、)

そこは多分は、野馬の集まり場所であったでしょう、

(きりのなかにまるいひろばのようにみえたのです。)

霧の中に円い広場のように見えたのです。

(かすけはがっかりして、くろいみちをまたもどりはじめました。)

嘉助はがっかりして、黒い道をまた戻りはじめました。

(しらないくさほがしずかにゆらぎ、)

知らない草穂が静かにゆらぎ、

(すこしつよいかぜがくるときは、どこかでなにかがあいずをしてでもいるように、)

少し強い風が来る時は、どこかで何かが合図をしてでも居るように、

(いちめんのくさが、それきたっとみなからだをふせてさけました。)

一面の草が、それきたっとみなからだを伏せて避けました。

(そらがひかってきいんきいんとなっています。)

空が光ってキインキインと鳴っています。

(それからすぐめのまえのきりのなかに、いえのかたちのおおきなくろいものがあらわれました。)

それからすぐ眼の前の霧の中に、家の形の大きな黒いものがあらわれました。

(かすけはしばらくじぶんのめをうたがってたちどまっていましたが、)

嘉助はしばらく自分の眼を疑って立ちどまっていましたが、

(やはりどうしてもいえらしかったので、)

やはりどうしても家らしかったので、

(こわごわもっとちかよってみますと、それはつめたいおおきなくろいいわでした。)

こわごわもっと近寄って見ますと、それは冷たい大きな黒い岩でした。

(そらがくるくるくるっとしろくゆらぎ、くさがばらっといちどにしずくをはらいました。)

空がくるくるくるっと白く揺らぎ、草がバラッと一度に雫を払いました。

((まちがってはらをむこうがわへおりれば、またさぶろうもおれも、もうしぬばかりだ。))

(間違って原をむこう側へ下りれば、又三郎もおれも、もう死ぬばかりだ。)

(とかすけは、はんぶんおもうようにはんぶんつぶやくようにしました。)

と嘉助は、半分思う様に半分つぶやくようにしました。

(それからさけびました。)

それから叫びました。

(「いちろう、いちろう、いるが。いちろう。」)

「一郎、一郎、いるが。一郎。」

(またあかるくなりました。くさがみないっせいによろこびのいきをします。)

また明るくなりました。草がみな一斉に悦びの息をします。

(「いさどのまちの、でんきこうふのわらすぁ、)

「伊佐戸の町の、電気工夫の童(ワラス)ぁ、

(やまおとこにてあしぃしばらえてたふうだ」と、)

山男に手足ぃ縄(シバ)らえてたふうだ」と、

(いつかだれかのはなしたことばが、はっきりみみにきこえてきます。)

いつか誰かの話した語(コトバ)が、はっきり耳に聞えて来ます。

(そして、くろいみちが、にわかにきえてしまいました。)

そして、黒い路が、にわかに消えてしまいました。

(あたりがほんのしばらくしいんとなりました。)

あたりがほんのしばらくしいんとなりました。

(それからひじょうにつよいかぜがふいてきました。)

それから非常に強い風が吹いて来ました。

(そらがはたのようにぱたぱたひかってひるがえり、)

空が旗のようにぱたぱた光って翻えり、

(ひばながぱちぱちぱちっともえました。)

火花がパチパチパチッと燃えました。

(かすけはとうとうくさのなかにたおれて、ねむってしまいました。)

嘉助はとうとう草の中に倒れて、ねむってしまいました。

(そんなことはみんなどこかのとおいできごとのようでした。)

そんなことはみんなどこかの遠いできごとのようでした。

(もう、またさぶろうがすぐめのまえにあしをなげだして、)

もう、又三郎がすぐ眼の前に足を投げだして、

(だまってそらをみあげているのです。)

だまって空を見あげているのです。

(いつかいつものねずみいろのうわぎのうえに、がらすのまんとをきているのです。)

いつかいつもの鼠いろの上着の上に、ガラスのマントを着ているのです。

(それからひかるがらすのくつをはいているのです。)

それから光るガラスの靴をはいているのです。

(またさぶろうのかたにはくりのきのかげがあおくおちています。)

又三郎の肩には栗の木の影が青く落ちています。

(またさぶろうのかげはまたあおくくさにおちています。)

又三郎の影はまた青く草に落ちています。

(そしてかぜがどんどんどんどんふいているのです。)

そして風がどんどんどんどん吹いているのです。

(またさぶろうはわらいもしなければものもいいません。)

又三郎は笑いもしなければ物もいいません。

(ただちいさなくちびるをつよそうにきっとむすんだまま、だまってそらをみています。)

ただ小さな唇を強そうにきっと結んだまま、黙ってそらを見ています。

(いきなりまたさぶろうは、ひらっとそらへとびあがりました。)

いきなり又三郎は、ひらっと空へ飛びあがりました。

(がらすのまんとがぎらぎらひかりました。)

ガラスのマントがギラギラ光りました。

(ふとかすけはめをひらきました。)

ふと嘉助は眼をひらきました。

(はいいろのきりがはやくはやくとんでいます。)

灰いろの霧が速く速く飛んでいます。

(そしてうまがすぐめのまえにのっそりとたっていたのです。)

そして馬がすぐ眼の前にのっそりと立っていたのです。

(そのめはかすけをおそれてよこのほうをむいていました。)

その眼は嘉助を怖れて横の方を向いていました。

(かすけは、はねあがって、うまのなふだをおさえました。)

嘉助は、はね上って、馬の名札を押えました。

(そのうしろから、さぶろうがまるでいろのなくなったくちびるを、)

そのうしろから、三郎がまるで色のなくなった唇を、

(きっとむすんでこっちへでてきました。)

きっと結んでこっちへ出てきました。

(かすけはぶるぶるふるえました。)

嘉助はぶるぶるふるえました。

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