「待つ」太宰治 part.1
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問題文
(しょうせんのそのちいさいえきに、わたしはまいにち、ひとをおむかえにまいります。)
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。
(だれとも、わからぬひとをむかえに。)
誰とも、わからぬ人を迎えに。
(いちばでかいものをして、そのかえりには、かならずえきにたちよって)
市場で買い物をして、その帰りには、必ず駅に立ち寄って
(えきのつめたいべんちにこしをおろし、かいものかごをひざにのせ、)
駅の冷たいベンチに腰を下ろし、買い物籠を膝に乗せ、
(ぼんやりかいさつぐちをみているのです。)
ぼんやり改札口を見ているのです。
(のぼりくだりのでんしゃがほーむにとうちゃくするごとに、)
上り下りの電車がホームに到着するごとに、
(たくさんのひとがでんしゃのとぐちからはきだされ、どやどやかいさつぐちにやってきて、)
たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、
(いちようにおこっているようなかおをして、ぱすをだしたり、きっぷをてわたしたり、)
一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、
(それから、そそくさとわきめもふらずあるいて、)
それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、
(わたしのすわっているべんちのまえをとおりえきまえのひろばにでて、)
私の座っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、
(そうしておもいおもいのほうこうにちっていく。)
そうして思い思いの方向に散って行く。
(わたしは、ぼんやりすわっています。だれか、ひとり、わらってわたしにこえをかける。)
私は、ぼんやり座っています。誰か、一人、笑って私に声をかける。
(おお、こわい。ああ、こまる。むねが、どきどきする。)
おお、怖い。ああ、困る。胸が、どきどきする。
(かんがえただけでも、せなかにれいすいをかけられたように、ぞっとして、いきがつまる。)
考えただけでも、背中に冷水をかけられたように、ぞっとして、息が詰まる。
(けれどもわたしは、やっぱりだれかをまっているのです。)
けれども私は、やっぱり誰かを待っているのです。
(いったいわたしは、まいにちここにすわって、だれをまっているのでしょう。どんなひとを?)
いったい私は、毎日ここに座って、誰を待っているのでしょう。どんな人を?
(いいえ、わたしのまっているものは、にんげんでないかもしれない。)
いいえ、私の待っているものは、人間でないかもしれない。
(わたしは、にんげんをきらいです。いいえ、こわいのです。)
私は、人間を嫌いです。いいえ、怖いのです。
(ひととかおをあわせて、)
人と顔を合わせて、
(おかわりありませんか、さむくなりました、などといいたくもないあいさつを、)
お変わりありませんか、寒くなりました、などと言いたくもない挨拶を、
(いいかげんにいっていると、なんだか、)
いいかげんに言っていると、なんだか、
(じぶんほどのうそつきがせかいちゅうにいないようなくるしいきもちになって、)
自分ほどのうそつきが世界中にいないような苦しい気持ちになって、
(しにたくなります。)
死にたくなります。
(そうしてまた、あいてのひとも、むやみにわたしをけいかいして、)
そうしてまた、相手の人も、むやみに私を警戒して、
(あたらずさわらずのおせじやら、もったいぶったうそのかんそうなどをのべて、)
当たらず障らずのおせじやら、もったいぶったうその感想などを述べて、
(わたしはそれをきいて、あいてのひとのけちなようじんぶかさがかなしく、)
私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、
(いよいよよのなかがいやでいやでたまらなくなります。)
いよいよ世の中がいやでいやでたまらなくなります。
(よのなかのひとというものは、おたがい、こわばったあいさつをして、ようじんして、)
世の中の人というものは、お互い、こわばった挨拶をして、用心して、
(そうしておたがいにつかれて、いっしょうをおくるものなのでしょうか。)
そうしてお互いに疲れて、一生を送るものなのでしょうか。
(わたしは、ひとにあうのが、いやなのです。)
私は、人に会うのが、いやなのです。
(だからわたしは、よほどのことでもないかぎり、)
だから私は、よほどのことでもない限り、
(わたしのほうからおともだちのところへあそびにいくことなどはいたしませんでした。)
私のほうからお友達の所へ遊びに行くことなどは致しませんでした。
(いえにいて、ははとふたりきりでだまってぬいものをしていると、)
家にいて、母と二人きりで黙って縫い物をしていると、
(いちばんらくなきもちでした。)
いちばん楽な気持ちでした。
(けれども、いよいよだいせんそうがはじまって、)
けれども、いよいよ大戦争が始まって、
(しゅういがひどくきんちょうしてまいりましてからは、)
周囲がひどく緊張してまいりましてからは、
(わたしだけがいえでまいにちぼんやりしているのがたいへんわるいことのようなきがしてきて、)
私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変悪いことのような気がしてきて、
(なんだかふあんで、ちっともおちつかなくなりました。)
なんだか不安で、ちっとも落ち着かなくなりました。
(みをこにしてはたらいて、ちょくせつに、おやくにたちたいきもちなのです。)
身を粉にして働いて、直接に、お役に立ちたい気持ちなのです。
(わたしは、わたしのいままでのせいかつに、じしんをうしなってしまったのです。)
私は、私の今までの生活に、自信を失ってしまったのです。