10 ネフェルトイティの胸像

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(えじぷとびじゅつのなかでもひじょうにゆうめいなさくひんのひとつである)

エジプト美術の中でも非常に有名な作品のひとつである

(ねふぇるといてぃのきょうぞうは、せっかいがんせいで、1912ねんに)

ネフェルトイティの胸像は、石灰岩製で、1912年に

(どいつじんこうこがくしゃるーとヴぃひぼるはるとによって、)

ドイツ人考古学者ルートヴィヒ・ボルハルトによって、

(げんえじぷとのまちあまるなきんこうではっけんされた。こだいのちょうこくし)

現エジプトの町アマルナ近郊で発見された。古代の彫刻師

(ととめすのこうぼうあとでみつかったもので、ぼるはるとは)

トトメスの工房跡で見つかったもので、ボルハルトは

(これをこわれたとうきだといつわってひそかにこくがいへもちだした。)

これを壊れた陶器だと偽ってひそかに国外へ持ち出した。

(ねふぇるといてぃは、えじぷとをきげんぜん1353ねんから)

ネフェルトイティは、エジプトを紀元前1353年から

(ぜん1335ねんまでしはいしたふぁらお、あめんへてぷよんせいの)

前1335年まで支配したファラオ、アメンヘテプ四世の

(もっともじゅうようなおうひだった。あめんへてぷよんせいは、ちせいちゅうに)

最も重要な王妃だった。アメンヘテプ四世は、治世中に

(みずからのなまえを「たいようしんあてんにつかえるもの」をいみする)

自らの名前を「太陽神アテンに仕える者」を意味する

(「あくえんあてん」にあらため、りんりてきなそくめんをじゅうしした)

「アクエンアテン」に改め、倫理的な側面を重視した

(あらたないっしんきょうをさいようした。ねふぇるといてぃは、)

新たな一神教を採用した。ネフェルトイティは、

(おっとであるおうにほぼひってきするたかいちいをあたえられた。)

夫である王にほぼ匹敵する高い地位を与えられた。

(けんきゅうしゃのなかには、かのじょこそはいごでしんしゅうきょうをすいしんしたじんぶつ)

研究者の中には、彼女こそ背後で新宗教を推進した人物

(であり、いちじきはきょうどうせっしょうとしてせいじにもかんよしていたと)

であり、一時期は共同摂政として政治にも関与していたと

(かんがえているものもいる。あくえんあてんのしご、おうと、)

考えている者もいる。アクエンアテンの死後、王と、

(そのきょうりょくなおうひのこんせきはほとんどすべてけしさられた。)

その強力な王妃の痕跡はほとんどすべて消し去られた。

(おそらく、このふたりにきゅうらいのしゅうきょうをひていされたしんかんたち)

おそらく、このふたりに旧来の宗教を否定された神官たち

(のしわざだろう。ねふぇるといてぃのきょうぞうは、やく3400ねんまえに)

の仕業だろう。ネフェルトイティの胸像は、約3400年前に

(つくられたもので、たかさはやく50せんちあり、ほぼかんぜんなじょうたいで)

作られたもので、高さは約50センチあり、ほぼ完全な状態で

など

(はっけんされた。わずかにりょうほうのみみたぶがかけているだけだ。)

発見された。わずかに両方の耳たぶが欠けているだけだ。

(ただ、このきょうぞうはひだりめがはめこまれていたけいせきがなく、)

ただ、この胸像は左目がはめ込まれていた形跡がなく、

(どうやらみかんせいだったようだ。ととめすは、このきょうぞうを)

どうやら未完成だったようだ。トトメスは、この胸像を

(でしたちへのしどうようみほんとしてつかっていたのかもしれない。)

弟子たちへの指導用見本として使っていたのかもしれない。

(きょうぞうがおうひににせてつくられたのか、それともりそうてきな)

胸像が王妃に似せて作られたのか、それとも理想的な

(びのすがたをぞうけいしたものなのかは、いまもはんめいしていない。)

美の姿を造形したものなのかは、今も判明していない。

(2003ねん、いぎりすじんこうこがくしゃじょあんふれっちゃーが、)

2003年、イギリス人考古学者ジョアン・フレッチャーが、

(すでにはっけんされていたみいらのひとつを、あめりかのてれびきょく)

すでに発見されていたミイラのひとつを、アメリカのテレビ局

(でぃすかばりーちゃんねるからしきんをえて、ねふぇるといてぃだと)

ディスカバリーチャンネルから資金を得て、ネフェルトイティだと

(とくていすると、だいろんそうがわきおこった。ふれっちゃーはゆうりょくな)

特定すると、大論争が沸き起こった。フレッチャーは有力な

(しょうこをていじしたが、えじぷととうきょくはそのしゅちょうをみとめなかった。)

証拠を提示したが、エジプト当局はその主張を認めなかった。

(きょうぞうは、こんにちではべるりんのしんはくぶつかんでみることができる。)

胸像は、今日ではベルリンの新博物館で見ることができる。

(これはいまなお、えじぷとびじゅつでもっともしられているさくひんのひとつ)

これは今なお、エジプト美術で最も知られている作品のひとつ

(であるだけでなく、じょせいびのひとつのてんけいでもありつづけている。)

であるだけでなく、女性美のひとつの典型でもあり続けている。

(そうかんがえると、ねふぇるといてぃというなまえもあらたないみあいを)

そう考えると、ネフェルトイティという名前も新たな意味合いを

(おびてくる。かのじょのなをやくせば、「うつくしいものがきた」になるのだから。)

帯びてくる。彼女の名を訳せば、「美しい者が来た」になるのだから。

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