85 ジャンヌ・ダルク

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問題文

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(じゃんぬだるくは、のうかのむすめながら、)

ジャンヌ・ダルクは、農家の娘ながら、

(17さいでちゅうせいのふらんすぐんをしきして)

17歳で中世のフランス軍を指揮して

(いんぐらんどぐんとたたかったしょうじょだ。)

イングランド軍と戦った少女だ。

(みごとなしょうりをつぎつぎとかさねたものの、さいごには)

見事な勝利を次々と重ねたものの、最後には

(とらえられ、いたんしゃとせんこくされるとすぐに)

捕らえられ、異端者と宣告されるとすぐに

(かけいにしょされた。しかし、しきかんじゃんぬの)

火刑に処された。しかし、指揮官ジャンヌの

(ゆうきあふれるこうどうにかんかされ、ふらんすぐんは)

勇気あふれる行動に感化され、フランス軍は

(いんぐらんどぐんをこくないからおいはらった。)

イングランド軍を国内から追い払った。

(かのじょはいまもふらんすのこくみんてきえいゆうであり、)

彼女は今もフランスの国民的英雄であり、

(ふらんすをしょうちょうするそんざいとなっている。)

フランスを象徴する存在となっている。

(ちゅうせいのよーろっぱでは、こくおうたちのあいだで)

中世のヨーロッパでは、国王たちのあいだで

(せんそうがたえまなくおこなわれており、とりわけ)

戦争が絶え間なく行われており、とりわけ

(いんぐらんどおうとふらんすおうとはせんそうに)

イングランド王とフランス王とは戦争に

(あけくれていた。じっさい、じゃんぬがかつやくした)

明け暮れていた。実際、ジャンヌが活躍した

(1429ねんとうじ、りょうこくはひゃくねんせんそう(せいかくには)

1429年当時、両国は百年戦争(正確には

(116ねんにわたってだんぞくてきにつづいたふんそう)の)

116年にわたって断続的に続いた紛争)の

(さいちゅうだった。たいていのばあい、せんそうは、)

最中だった。たいていの場合、戦争は、

(ちゅうせいよーろっぱのしはいそうであるごうよくな)

中世ヨーロッパの支配層である強欲な

(ほうけんりょうしゅたちにとってはたんなるびじねすに)

封建領主たちにとっては単なるビジネスに

(すぎなかった。りょうしゅたちはとちをほしがり、)

すぎなかった。領主たちは土地を欲しがり、

など

(そのとちをてにいれるほうほうがせんそうであった。)

その土地を手に入れる方法が戦争であった。

(そのため、ちゅうせいではこっきょうせんはたえずへんかし、)

そのため、中世では国境線は絶えず変化し、

(じゃんぬのかぞくのようなよーろっぱにすむ)

ジャンヌの家族のようなヨーロッパに住む

(いっぱんしょみんは、とくていのしはいしゃにしんきんかんを)

一般庶民は、特定の支配者に親近感を

(いだくことはほとんどなかった。)

抱くことはほとんどなかった。

(しかしじゃんぬがうまれたころには、)

しかしジャンヌが生まれたころには、

(じじょうがかわりはじめていた。じゃんぬがひきいた)

事情が変わり始めていた。ジャンヌが率いた

(たいいんぐらんどせんそうは、やがてよーろっぱの)

対イングランド戦争は、やがてヨーロッパの

(なしょなりずむのさいしょのじれいのひとつと)

ナショナリズムの最初の事例のひとつと

(なった。じゃんぬにとってふらんすは、)

なった。ジャンヌにとってフランスは、

(たんなるちずじょうのせんでもなければ、)

単なる地図上の線でもなければ、

(くんしゅのしょゆうぶつでもなかった。ふらんすは)

君主の所有物でもなかった。フランスは

(かのじょのくにであり、かのじょはふらんすにとくべつな)

彼女の国であり、彼女はフランスに特別な

(あいこくてききずなをかんじていた。じゃんぬは)

愛国的きずなを感じていた。ジャンヌは

(じゅうだいはじめにげんしをたいけんしており、)

十代初めに幻視を体験しており、

(じぶんはこのときかみから、いんぐらんどぐんを)

自分はこのとき神から、イングランド軍を

(ふらんすからおいだせとのおつげを)

フランスから追い出せとのお告げを

(うけたとしゅちょうした。えんせきかんけいもある)

受けたと主張した。縁戚関係もある

(ふらんすきぞくといんぐらんどきぞくの)

フランス貴族とイングランド貴族の

(りょうちあらそいとしてはじまったたたかいは、)

領地争いとして始まった戦いは、

(こくみんとこくみんのしょうとつになった。そのごの)

国民と国民の衝突になった。その後の

(すうひゃくねんのあいだに、よーろっぱにあった)

数百年のあいだに、ヨーロッパにあった

(かずかずのほうけんてきなおうこくは、あいこくしんと、)

数々の封建的な王国は、愛国心と、

(そのふのそくめんであるはいがいしゅぎとを)

その負の側面である排外主義とを

(あおりながら、どくじのぶんかてき)

あおりながら、独自の文化的

(あいでんてぃてぃーをもったみんぞくこっかに)

アイデンティティーを持った民族国家に

(なっていった。じゃんぬは、1431ねんに)

なっていった。ジャンヌは、1431年に

(とらえられると、いんぐらんどぐんにより)

捕らえられると、イングランド軍により

(いたんしゃとのぬれぎぬをきせられてしょけいされた。)

異端者との濡れ衣を着せられて処刑された。

(そのご、かのじょへのいたんせんこくはろーまきょうこうに)

その後、彼女への異端宣告はローマ教皇に

(よってはきされ、1920ねんにじゃんぬはせいしきに)

よって破棄され、1920年にジャンヌは正式に

(かとりっくきょうかいのせいじんになった。)

カトリック教会の聖人になった。

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