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1 ぽんこつラーメン 6061 A++ 6.2 96.5% 265.6 1670 60 46 2024/10/18

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問題文

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(にゅーとんが「ぜったいじかん」のがいねんをていしょうしていらい、)

ニュートンが「絶対時間」の概念を提唱して以来、

(おおくのてつがくしゃは、じかんはひとつながりでなく、)

多くの哲学者は、時間はひとつながりでなく、

(こべつにくぎられたいくつもの)

個別に区切られたいくつもの

(じかんがあるとかんがえた。)

時間があると考えた。

(しかし、らいぷにっつは、)

しかし、ライプニッツは、

(このにゅーとんてきじかんろんにはんたいした。)

このニュートン的時間論に反対した。

(らいぷにっついわく、あるできごとは、)

ライプニッツいわく、ある出来事は、

(べつのできごとのまえにおこるか、あとにおこるか、)

別の出来事の前に起こるか、後に起こるか、

(どうじにおこるかのいずれかである。)

同時に起こるかのいずれかである。

(じかんとは、このかんけいをわたしたちがあたまのなかで)

時間とは、この関係を私たちが頭の中で

(せいりするためのほうほうにすぎない。)

整理するための方法にすぎない。

(これにたいして、どいつのてつがくしゃかんとは、)

これに対して、ドイツの哲学者カントは、

(じかんはそれじたいでそんざいするものでもなければ、)

時間はそれ自体で存在するものでもなければ、

(それじたいでそんざいするものごとのかんけいを)

それ自体で存在する物事の関係を

(しめすものでもないとはんろんした。)

示すものでもないと反論した。

(じかんとは、わたしたちのせいしんがわたしたちのけいけんした)

時間とは、私たちの精神が私たちの経験した

(ことがらをせいりするほうほうにすぎないとしゅちょうした。)

事柄を整理する方法にすぎないと主張した。

(わたしたちのせいしんのそとで、わたしたちのにんしきとはむかんけいに、)

私たちの精神の外で、私たちの認識とは無関係に、

(それじたいでそんざいするものごとは、)

それ自体で存在する物事は、

(じかんのなかにはそんざいしないとかんがえたのである。)

時間の中には存在しないと考えたのである。

など

(もうひとつてつがくでろんじられているのが、)

もうひとつ哲学で論じられているのが、

(にんげんはどのようにしてじかんをけいけんするのか)

人間はどのようにして時間を経験するのか

(というもんだいだ。)

という問題だ。

(よく「じかんがながれる」といういいかたをするが、)

よく「時間が流れる」という言い方をするが、

(じかんはほんとうにながれているのだろうか?)

時間は本当に流れているのだろうか?

(あるてつがくしゃたちは、じかんとはながれるもので、)

ある哲学者たちは、時間とは流れるもので、

(まずかこがあって、つぎにげんざいがあり、)

まず過去があって、次に現在があり、

(そのごにみらいがおとずれる。)

その後に未来が訪れる。

(そして、わたしたちは、げんざいをいきているというてんで)

そして、私達は、現在を生きているという点で

(とくいなそんざいだとかんがえている。)

特異な存在だと考えている。

(それにたいしてべつのてつがくしゃたちは、)

それに対して別の哲学者たちは、

(「いま」は「ここ」とおなじようなものだと)

「今」は「ここ」と同じようなものだと

(おもっている。)

思っている。

(どこかぐたいてきなばしょをさすのではなく、)

どこか具体的な場所を指すのではなく、

(あなたが「ここ」といったときに、)

あなたが「ここ」と言ったときに、

(たまたまいるばしょをさしているにすぎない。)

たまたまいる場所を指しているにすぎない。

(こうかんがえるてつがくしゃたちは、)

こう考える哲学者たちは、

(あなたとわたしはとくいなそんざいではないとかんがえる。)

あなたと私は特異な存在ではないと考える。

(じかんはながれるものではない。)

時間は流れるものではない。

(くうかんとおなじで、いくつものぶぶんをもっている。)

空間と同じで、いくつもの部分を持っている。

(そうしたかずおおくのぶぶんのひとつに)

そうした数多くの部分のひとつに

(わたしたちはいきている。)

私たちは生きている。

(そして、くうかんでわたしたちがしめるぶぶんが)

そして、空間で私たちが占める部分が

(わたしたちにとっての「ここ」であるように、)

私たちにとっての「ここ」であるように、

(わたしたちがじかんでしめているぶぶんが、)

私たちが時間で占めている部分が、

(わたしたちにとっての「げんざい」なのである。)

私たちにとっての「現在」なのである。

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