95 ガリレオ・ガリレイ
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | ぽんこつラーメン | 5872 | A+ | 6.1 | 95.3% | 237.9 | 1468 | 71 | 22 | 2024/11/06 |
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問題文
(いたりあのぴさこうがいにうまれたがりれおがりれいは、きんだいぶつりがくの)
イタリアのピサ郊外に生まれたガリレオ・ガリレイは、近代物理学の
(ちち、きんだいてんもんがくのちち、きんだいかがくのちちなどとよばれている。そのぎょうせきを)
父、近代天文学の父、近代科学の父などと呼ばれている。その業績を
(すこしあげてみると、ふくごうけんびきょうのはつめい、もくせいのえいせいはっけん、せかいはつの)
少し挙げてみると、複合顕微鏡の発明、木星の衛星発見、世界初の
(ふりこどけいのせっけい、うちゅうをくわしくみることのできるぼうえんきょうの)
振り子時計の設計、宇宙を詳しく見ることのできる望遠鏡の
(はつめいなど、すばらしいものばかりだ。かれのかがくじっけんは、きんだいのかがくてき)
発明など、すばらしいものばかりだ。彼の科学実験は、近代の科学的
(しゅほうのきそをきずき、かれがとなえたかんせいというかんがえは、あいざっく)
手法の基礎を築き、彼が唱えた慣性という考えは、アイザック・
(にゅーとんがうんどうほうそくをみちびきだすちょくせつのきっかけになった。)
ニュートンが運動法則を導き出す直接のきっかけになった。
(しかし、なんといってもがりれおさいだいのぎょうせきは、るねさんすじだいの)
しかし、何と言ってもガリレオ最大の業績は、ルネサンス時代の
(ろーまかとりっくきょうかいにていこうしたことだろう。とうじ、ぽーらんどの)
ローマ・カトリック教会に抵抗したことだろう。当時、ポーランドの
(てんもんがくしゃにこらうすこぺるにくすがていしょうした)
天文学者ニコラウス・コペルニクスが提唱した
(「たいようのまわりをちきゅうやわくせいがまわっている」というたいようちゅうしんせつ)
「太陽の周りを地球や惑星が回っている」という太陽中心説
((ちどうせつ)をおしえることは、きょうかいへのはんぎゃくこういとみなされていた。)
(地動説)を教えることは、教会への反逆行為と見なされていた。
(きょうかいは、せいしょをもじどおりかいしゃくして、たいようとわくせいがちきゅうのまわりを)
教会は、聖書を文字どおり解釈して、太陽と惑星が地球の周りを
(まわっているというせつをしょうにんしていたからだ。がりれおはじちょ)
回っているという説を承認していたからだ。ガリレオは自著
(「てんもんたいわ」で、さいしんのぼうえんきょうでじっししたかんそくけっかをつかって)
『天文対話』で、最新の望遠鏡で実施した観測結果を使って
(こぺるにくすをようごした。いたんしんもんがひらかれ、とうじ69さいの)
コペルニクスを擁護した。異端審問が開かれ、当時69歳の
(がりれおは、ちょしょをはっきんしょぶんとされ、ろーまのしんもんじょへしゅっとうするよう)
ガリレオは、著書を発禁処分とされ、ローマの審問所へ出頭するよう
(めいじられた。しんもんのけっか、きょうかいのきょうぎにさからったとしてゆうざいとなり、)
命じられた。審問の結果、教会の教義に逆らったとして有罪となり、
(しゅうしんけいをいいわたされた。そのあとはじたくかんきんにげんけいされ、いたんしんもんじょの)
終身刑を言い渡された。その後は自宅監禁に減刑され、異端審問所の
(やくにんがかんしするなか、ふぃれんつぇこうがいのじたくできゅうねんごになくなった。)
役人が監視する中、フィレンツェ郊外の自宅で九年後に亡くなった。
(がりれおさいばんから359ねんごの1992ねん、ろーまきょうこうよはねぱうろにせいは)
ガリレオ裁判から359年後の1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は
(がりれおのゆうきあるこうどうをみとめ、きょうかいがかれをばっしたことをこうしきにしゃざいした。)
ガリレオの勇気ある行動を認め、教会が彼を罰したことを公式に謝罪した。