125 バールーフ・スピノザ

背景
投稿者投稿者koda-iいいね1お気に入り登録
プレイ回数67難易度(5.0) 1800打 長文 長文モードのみ

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(ばーるーふすぴのざは、あむすてるだむの)

バールーフ・スピノザは、アムステルダムの

(まらーのこみゅにてぃーでうまれた。まらーのとは、)

マラーノ・コミュニティーで生まれた。マラーノとは、

(かつてすぺいんでひそかにゆだやきょうをしんこうしていて、)

かつてスペインでひそかにユダヤ教を信仰していて、

(のちについほうされたかくれゆだやきょうとのことである。)

のちに追放された隠れユダヤ教徒のことである。

(1656ねん、すぴのざはこのゆだやきょうこみゅにてぃーから)

1656年、スピノザはこのユダヤ教コミュニティーから

(はもんされ、のちになまえをらてんごふうなべねでぃくとにかえた。)

破門され、のちに名前をラテン語風なベネディクトに変えた。

(そのためなまえをべねでぃくととするしりょうもおおい。)

そのため名前をベネディクトとする資料も多い。

(すぴのざのてつがくしそうは、ぞんめいちゅうもなくなったあとも、)

スピノザの哲学思想は、存命中も亡くなった後も、

(はげしいぎろんをまきおこした。1670ねん、かれは)

激しい議論を巻き起こした。1670年、彼は

(「しんがくせいじろん」をかんこうし、そのなかで、せいしょは)

『神学・政治論』を刊行し、その中で、聖書は

(ほかのせいてんとおなじように、かみではなくにんげんがつくった)

他の聖典と同じように、神ではなく人間が作った

(ぶんしょとしてかいしゃくすべきだとうったえた。そして、)

文書として解釈すべきだと訴えた。そして、

(しゅうきょうにとってしんにじゅうようなのは、かみのほんしつにかんする)

宗教にとって真に重要なのは、神の本質に関する

(ことではなく、ひとびとがどうとくてきにただしいことを)

ことではなく、人々が道徳的に正しいことを

(じっせんできるようものがたりやきょうくんをつうじてみちびくことだとしゅちょうした。)

実践できるよう物語や教訓を通じて導くことだと主張した。

(つまり、しゅうきょうとはどうとくてきせいじてきなとうせいしすてむであり、)

つまり、宗教とは道徳的・政治的な統制システムであり、

(どのしゅうきょうも、このもくてきをゆうこうにはたしているかぎり、)

どの宗教も、この目的を有効に果たしている限り、

(すべてただしいとすぴのざはろんじたのである。)

すべて正しいとスピノザは論じたのである。

(このかんがえは17せいきよーろっぱでははげしいはんぱつをまねくおそれがあり、)

この考えは17世紀ヨーロッパでは激しい反発を招く恐れがあり、

(そのためすぴのざはどうしょをとくめいでしゅっぱんした。)

そのためスピノザは同書を匿名で出版した。

など

(すぴのざのてつがくてきどりょくのたいはんは、しゅちょ「えちか」にそそがれ、)

スピノザの哲学的努力の大半は、主著『エチカ』に注がれ、

(どうしょは1677ねん、かれがはーぐでしんだちょくごにしゅっぱんされた。)

同書は1677年、彼がハーグで死んだ直後に出版された。

(このほんですぴのざは、かみ、しぜん、せいしん、こうふくじつげんについて)

この本でスピノザは、神、自然、精神、幸福実現について

(たいけいてきにろんじている。すぴのざにとって、しぜんのなかに)

体系的に論じている。スピノザにとって、自然の中に

(あるものはすべてげんみつかつひつぜんてきないんがほうそくによって)

あるものはすべて厳密かつ必然的な因果法則によって

(しはいされていた。したがって、すべてはひつぜんてきな)

支配されていた。したがって、すべては必然的な

(ほうそくのひつぜんてきなけっかであり、いかなるものもげんざいの)

法則の必然的な結果であり、いかなるものも現在の

(すがたとことなるすがたをとることはできない。かみはしぜんのそうたいにすぎず、)

姿と異なる姿を取ることはできない。神は自然の総体にすぎず、

(どくりつしたそうぞうしゃではないと、すぴのざはおもっていた。)

独立した創造者ではないと、スピノザは思っていた。

(そして、せかいにはいみももくてきもないとけつろんづけた。)

そして、世界には意味も目的もないと結論づけた。

(そのうえですぴのざは、「えちか」のさいしゅうぶで、このけつろんをふまえ、)

その上でスピノザは、『エチカ』の最終部で、この結論を踏まえ、

(それでもどうすればにんげんはこうふくになれるかをこうさつした。)

それでもどうすれば人間は幸福になれるかを考察した。

(じんせいのたいはん、れんずみがきでせいけいをたてていたすぴのざは、)

人生の大半、レンズ磨きで生計を立てていたスピノザは、

(1677ねんにはーぐでなくなった。)

1677年にハーグで亡くなった。

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

koda-iのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード