「山月記」中島敦(4/6頁)

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(えんさんはじめいっこうは、いきをのんで、)

袁傪はじめ一行は、息をのんで、

(そうちゅうのこえのかたるふしぎにききいっていた。)

叢中の声の語る不思議に聞入っていた。

(こえはつづけていう。)

声は続けて言う。

(ほかでもない。じぶんはがんらいしじんとしてなをなすつもりでいた。)

他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。

(しかも、ぎょういまだならざるに、このうんめいにたちいたった。)

しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。

(かつてつくるところのしすうひゃっぺん、もとより、まだよにおこなわれておらぬ。)

曾て作るところの詩数百篇、固より、まだ世に行われておらぬ。

(いこうのしょざいももはやわからなくなっていよう。)

遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。

(ところで、そのなか、いまもなおきしょうせるものがすうじゅうある。)

ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。

(これをわがためにでんろくしていただきたいのだ。)

これを我が為に伝録して戴きたいのだ。

(なにも、これによっていちにんまえのしじんづらをしたいのではない。)

何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。

(さくのこうせつはしらず、とにかく、さんをやぶりこころをくるわせてまで)

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで

(じぶんがしょうがいそれにしゅうちゃくしたところのものを、)

自分が生涯それに執着したところのものを、

(いちぶなりともこうだいにつたえないでは、しんでもしにきれないのだ。)

一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

(えんさんはぶかにめいじ、ふでをとってそうちゅうのこえにしたがってかきとらせた。)

袁傪は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随って書きとらせた。

(りちょうのこえはくさむらのなかからろうろうとひびいた。)

李徴の声は叢の中から朗々と響いた。

(ちょうたんおよそさんじっぺん、かくちょうこうが、いしゅたくいつ、)

長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、

(いちどくしてさくしゃのさいのひぼんをおもわせるものばかりである。)

一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。

(しかし、えんさんはかんたんしながらもばくぜんとつぎのようにかんじていた。)

しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。

(なるほど、さくしゃのそしつがだいいちりゅうにぞくするものであることはうたがいない。)

成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。

(しかし、このままでは、だいいちりゅうのさくひんとなるのには、)

しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、

など

(どこか(ひじょうにびみょうなてんにおいて)かけるところがあるのではないか、と。)

何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。

(きゅうしをはきおわったりちょうのこえは、とつぜんちょうしをかえ、みずからをあざけるかごとくにいった。)

旧詩を吐き終った李徴の声は、突然調子を変え、自らを嘲るか如くに言った。

(はずかしいことだが、いまでも、こんなあさましいみとなりはてたいまでも、)

羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、

(おれは、おれのししゅうがちょうあんふうりゅうじんしのつくえのうえにおかれているさまを、)

己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、

(ゆめにみることがあるのだ。がんくつのなかによこたわってみるゆめにだよ。)

夢に見ることがあるのだ。岩窟の中に横たわって見る夢にだよ。

(わらってくれ。しじんになりそこなってとらになったあわれなおとこを。)

嗤ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。

((えんさんはむかしのせいねんりちょうのじちょうへきをおもいだしながら、かなしくきいていた。))

(袁傪は昔の青年李徴の自嘲癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)

(そうだ。おわらいぐさついでに、)

そうだ。お笑い草ついでに、

(いまのおもいをそくせきのしにのべてみようか。)

今の懐いを即席の詩に述べて見ようか。

(このとらのなかに、まだ、かつてのりちょうがいきているしるしに。)

この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。

(えんさんはまたかりにめいじてこれをかきとらせた。そのしにいう。)

袁傪は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

(たまたまきょうしつによりるいとなる)

偶因狂疾成殊類(偶々狂疾に因り類と殊る)

(さいかんあいよってのがるべからず)

災患相仍不可逃(災患相選仍って逃るべからず)

(こんにちのそうがたれかあえててきせん)

今日爪牙誰敢敵(今日の爪牙誰か敢えて敵せん)

(とうじのせいせきともにあいたかし)

当時声跡共相高(当時の声跡共に相高し)

(われいぶつとなるほうぼうのもと)

我為異物蓬茅下(我異物と為る蓬茅の下)

(きみすでにようにじょうじてきせいごうなり)

君已乗軺気勢豪(君已に軺に乗じて気勢豪なり)

(このゆうべけいざんのめいげつにたいす)

此夕渓山対明月(此の夕べ渓山の明月に対す)

(ちょうしょうをなさずただこうをなす)

不成長嘯但成嘷(長嘯を成さず但嘷を成す)

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