半七捕物帳 津の国屋10

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第16話

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(おやすのたたりがだんだんじじつとなってあらわれてくるらしいので、)

お安の祟りがだんだん事実となって現われて来るらしいので、

(もじはるはみもすくむようにおびやかされた。きのせいか、おゆきのかおいろも)

文字春は身もすくむようにおびやかされた。気のせいか、お雪の顔色も

(すこしあおざめて、かえってゆくうしろすがたもかげがうすいようにおもわれた。)

少し蒼ざめて、帰ってゆくうしろ姿も影が薄いように思われた。

(なんにしてもそれをきいたいじょう、かのじょはしらないかおをしているわけにも)

何にしてもそれを聞いた以上、彼女は知らない顔をしているわけにも

(ゆかないので、すすまないながらもそのひのひるすぎに、きんじょでかった)

ゆかないので、進まないながらも其の日の午すぎに、近所で買った

(もなかのおりをもって、つのくにやへみまいにいった。つのくにやのにょうぼうおふじはやはり)

最中の折を持って、津の国屋へ見舞に行った。津の国屋の女房お藤はやはり

(よこになっていたが、けさにくらべるとあしのいたみはよほどうすらいだとの)

横になっていたが、けさにくらべると足の痛みは余ほど薄らいだとの

(ことであった。)

ことであった。

(「おけいこでおいそがしいところをわざわざありがとうございました。どうもおもいも)

「お稽古でお忙しい処をわざわざありがとうございました。どうも思いも

(よらないさいなんでとんだめにあいました」と、おふじはまゆをしかめながらいった。)

よらない災難で飛んだ目に逢いました」と、お藤は眉をしかめながら云った。

(「なに、にかいのものほしへせんたくものをとりこみにあがったんです。いつもじょちゅうが)

「なに、二階の物干へ洗濯物を取込みに上がったんです。いつも女中が

(するんですけれど、そのじょちゅうがけがをしましてね。いどばたでみずを)

するんですけれど、その女中が怪我をしましてね。井戸端で水を

(くんでいるうちに、ておけをさげたまますべってころんで、これもひざっこぞうを)

汲んでいるうちに、手桶をさげたまますべって転んで、これも膝っ小僧を

(すりむいたといってびっこをひいているもんですから、わたしがかわりににかいへ)

擦り剥いたと云ってびっこを引いているもんですから、わたしが代りに二階へ

(あがるとまたこのしまつです。おんなのびっこがふたりもできてしまって、)

あがると又この始末です。女のびっこが二人も出来てしまって、

(ほんとうにこまります」)

ほんとうに困ります」

(それからそれへとしりょうのたたりがひろがってくるらしいので、もじはるは)

それからそれへと死霊の祟りがひろがってくるらしいので、文字春は

(いよいよおそろしくなった。こんなところにとてもながいはできないので、)

いよいよ恐ろしくなった。こんなところにとても長居はできないので、

(かれはそうそうにあいさつをしてにげだしてきた。あかるいおうらいにでて、)

かれは早々に挨拶をして逃げ出して来た。明るい往来に出て、

(はじめてほっとしながらみかえると、つのくにやのおおやねにおおきなからすがいっぴき)

初めてほっとしながら見かえると、津の国屋の大屋根に大きな鴉が一匹

など

(じっとしてとまっていた。それがまたなんだかしさいありそうにもおもわれたので、)

じっとして止まっていた。それが又なんだか仔細ありそうにも思われたので、

(もじはるはいよいよいそいでかえってきた。そのうしろすがたをみおくって、)

文字春はいよいよ急いで帰って来た。そのうしろ姿を見送って、

(からすはひとこえたかくないた。)

鴉は一と声高く鳴いた。

(つのくにやのにょうぼうはそのごとおかほどもねていたが、まだじゆうにあるくことが)

津の国屋の女房はその後十日ほども寝ていたが、まだ自由に歩くことが

(できなかった。そのうちにもじはるはまたこんないやなはなしをきかされた。)

出来なかった。そのうちに文字春は又こんな忌な話を聞かされた。

(つのくにやのみせのわかいものが、きんじょのぶけやしきへごようききにゆくと、)

津の国屋の店の若い者が、近所の武家屋敷へ御用聞きにゆくと、

(そのやねがわらのいちまいがとつぜんそのうえにおちてきて、かれはみぎのまゆのあたりを)

その屋根瓦の一枚が突然その上に落ちて来て、彼は右の眉のあたりを

(つよくうたれて、かためがまったくはれふさがってしまった。そのわかいものは)

強く打たれて、片目がまったく腫れふさがってしまった。その若い者は

(ちょうたろうといって、このあいだのばん、じぶんのみせさきでなでしこのゆかたをきたむすめに)

長太郎といって、このあいだの晩、自分の店先で撫子の浴衣を着た娘に

(こえをかけたおとこであることを、もじはるはおゆきのはなしでしった。おそろしいたたりは)

声をかけた男であることを、文字春はお雪の話で知った。おそろしい祟りは

(それからそれへとてをひろげて、つのくにやのいっかけんぞくにわざわいするのでは)

それからそれへと手をひろげて、津の国屋の一家眷属にわざわいするのでは

(あるまいか。つのくにやばかりでなく、しまいにはじぶんのみのうえにまで)

あるまいか。津の国屋ばかりでなく、しまいには自分の身の上にまで

(ふりかかってくるのではあるまいかとおそれられて、もじはるはじつに)

振りかかって来るのではあるまいかと恐れられて、文字春は実に

(いきているそらもなかった。)

生きている空もなかった。

(かれはほどちかいえんつうじのおそしさまへにっさんをはじめた。)

かれは程近い円通寺のお祖師様へ日参をはじめた。

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